リートリンの覚書

日本の神様75・彦五十狭彦命


彦五十狭彦命
(ひこいさせりひこのみこと)

孝霊(こうれい)天皇と
妃・倭国香媛の子
記紀等に伝わる古代日本の皇族
四道将軍のひとり

・別名
吉備津彦命
(きびつひこのみこと)
比古伊佐勢理毘古命
(ひこいさせりひこのみこと)
大吉備津日子命
(おおきびつひこのみこと)

・神格
軍神


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“妃の倭国香媛は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と彦五十狭彦命(いさせりびこのみこと・またの名は吉備津彦命(きびつひこのみこと))と倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)を生みました。”

孝霊(こうれい)天皇と
妃・倭国香媛の子です。

・十代崇神天皇のときに
「西方の敵を平定せよ」
という命令を受けて
吉備国(岡山県と広島県東部)におもむき、
古代豪族、
吉備氏の祖先になったとされています。


そのほか

・吉備津神社では、
鬼退治伝説が伝えられています。

はるか昔、
異国からやって来た鬼が
吉備国に住みつきました。

彼は、元百済国の皇子で、
名を温羅(うら)といいました。

温羅は吉備津神社の西北にある
片岡山に鬼の城をつくり、
多くの家来を従えていました。

この鬼の一味の悪事に、
周囲の農民たちは苦しめられていました。

そのため、
吉備津彦命が大王の命令をうけて
鬼を討ちに向かったといいます。

・吉備津神社の社伝によりますと、
吉備国を平定した吉備津彦命は、
吉備の中山の麓に建てた御殿
「茅葺宮(かやぶきのみや)
に住んで政治を行い、
二百八十一歳まで生きたといいます。

この長寿にちなみ
延命長寿の神とされています。


神徳

産業興隆
家内安全
厄除け
病気平癒
子育て守護


主な神社

吉備津神社(岡山県)
田村神社(香川県)


感想

彦五十狭彦命。

自分は、
吉備津彦命の方が
馴染みが深いように思います。

吉備津彦命は、
桃太郎伝説のモデルになった方ですね。

社伝を読むと
鬼退治伝説、
随分と詳しく伝えられています。

参考にしている本では、
温羅は百済の王子であった。
巨躯に赤髪の異様な姿。

性格は極めて凶暴とありました。

巨躯に赤髪って😳
(百済王家はもしかすると
モンゴロイドじゃなかった?)

気になりますね😏

他には、

吉備津彦命は、
二百八十一歳まで生きていた?
一瞬文字の打ち間違いかと思い、
調べ直しましたが。

ビックリ‼️
間違いじゃなかった。

長生きですね。

日本書紀では、
超長生きの方がいます。

その年齢は正しいのか否か。
気になります。

さて、今日はこれにて。
明日も日本の神様シリーズ続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。






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