令和時代です(*'▽')
せっかくの10連休というのに 今年は天気が悪くて困ったものですね
1日くらいどこかに行きたい・・と考えているのですが
この時期 毎年気になっているのが
飯山なのはな祭りでございます
http://www.iiyama-nanohana.jp/#mce_temp_url#
随分前から ぜひぜひぜひ1度行ってみたい・・と
思いながら一度も叶わず・・・
ワタシの両親は この地域の出身で
母は生前いつも
ゴールデンウィーク頃の田舎の美しさを
夢見る少女のように思い出しては熱弁しておりました
母は決して饒舌ではなかったし
父には逆らえない昭和の専業主婦そのものでしたけど
老後は田舎に帰りたいと熱望していた父に
悲鳴を上げながら
「あんな寒い所に帰るのは
絶対にイヤです!!」
と、頑ななまでの断固拒否態勢を崩しませんでした
母は結婚を機に長野から東京の三鷹にある父の会社の社宅で
4年ほど過ごしたあと、横浜のこの地に移り住みました
坂のある生活をしたことのなかったので「げ・・」と思ったようですが
実際に住んでみたら横浜の気候が大変お気に召したようで
ここでの暮らしを終生気に入っておりました
母曰く、横浜は海風が吹くので夏が涼しい(とくにここは山の上)
三鷹にいた時は夏が暑くて困ったけれど
こっちに越してきたら東京よりも風が涼しくて
意外にも夏が快適なことに大変驚いたそうです
そして雪の積もらない冬
特別豪雪地帯育ちの母にとって
雪がふらない冬の体験は
まさにここは天国(・・?ここ楽園(・・?
と、いうほどに快適なものだったようです
今は飯山もそこまで雪は降らないようですが
両親が育った時代は 本当にとんでもなく
雪が積もって積もって積もって大変だったそうです
二度と飯山で暮らすのはイヤ(/・ω・)/ と
常々口にしていた母が唯一自慢していたことが
この「飯山の春の美しさ」だったので
ワタシは子供の頃から ぜひ一度みてみたいと
思いながら育ちました
地球温暖化の進む昨今ですので
母がいつも語っていた春の様子は
もうないかもしれませんが
とりあえず 母がいうには
飯山の春は 3月ではなく5月の初め
この時期に一気に全部の花が一斉に咲き乱れるそうで
梅に桜にりんごの花にツツジに菜の花と
ありとあらゆる花が どっと咲き誇り
雪が解けた土色の大地から一斉に新芽が吹き出してくる
その息吹の合唱が 凄まじくとにかく圧巻で
この世にこんなに美しい世界があるのかと
思わず踊り駆け出し歌いだしたくたくなるくらいの絶景とのこと
そんなに素晴らしいなら
子供にも見せたい・・とか少しでも思ってくれてもいいのに
そういう思考にたどり着かないのがワタシの母の母たるところ
ワタシが小3の頃
病気療養のために母は田舎に一時期帰省していた事があるのですが
ちょうど飯山に帰ったのがゴールデンウィークで
ワタシは上野駅まで母を見送りに行きましたが
大人はとても嘘つきなので(特に父は)
療養とか言ってるけど もう2度と帰ってこないんじゃないかと
思うと不安で不安で
母を乗せた特急あさまが見えなくなるまで
ホームの端で泣きながら見送りました
一方の母ときたら、一緒に帰る祖母と自由席の椅子取りに必死で
なんとか窓際の席をゲットしたにもかかわらず
ワタシが開かない窓ごしのホームから
一所懸命母に手を振ってるのに 祖母とお弁当の用意やら
荷物の上げ下げやら2人で興奮状態
発車間際に祖母と慌ててメモ帳を出し
「ここに電話して下さい」という殴り書きを
窓ごしに見せたものの列車はさっさと速度を上げて走り出していったので
父もワタシも電話番号など覚えられるわけもなく
どこにかけて欲しかったのやら40年以上経った今でもナゾのままですが
とにかくワタシは母と今生の別れになってしまったのではないか・・
という不安がぬぐいきれず毎晩、母の実家に電話しました
が・・・5日目くらいで
「毎晩かけてこないでちょうだい」
と、冷酷にあしらわれてしまったのでした
母の実家には母の弟(長男)家族が住んでいたので
従弟はワタシより年下だし
どうやらワタシは
甘えん坊の寂しがり屋と、バカにされてしまっていたようでした
母から拒絶され仕方なく母の枕を抱いて寝る日々を
数カ月ほど続けていると
ナニゴトもなかったかのように母は帰ってきました
その間、電話はおろか手紙ひとつ寄こしてはくれませんでした
この時は ただ寂しかっただけで特に母に対して思う事もなかったのですが
自分が「母親」というものになってから
母に対して
「ちょっとひどいんじゃないの?」
とちょいちょいワタシはだいぶ遅ればせながら怒り心頭にくることが
多くありました
統合失調症を患って
世捨て人みたいになってたので仕方無いのですけどね
帰ってきた母は
久しぶりに5月に飯山に帰って
素晴らしい春の花々を観ることが出来た
やっぱり飯山の春は本当にキレイだよ。と語っていました
両親の村には今では大きな街道が出来てしまい
ワタシが子供の頃に観た村の光景から
随分様変わり超過疎化が加速中のようですが
かわりに菜の花畑で町おこしに力を入れているようで
👆野沢菜が有名です
母の墓参りに行くなら
この時期に行きたいなと思いながら13年
一度も行けず・・・
と、いうのも父が厄介な性格なので
簡単に「行ってくる」と言えないのです
ワタシが行くといえば父も一緒に行きたがる
そうすると父はJRの大人の休日倶楽部で行きたいとか言い出し
そうなるとゴールデンウィークは使えない
使えないとなると
菜の花なんてゴールデンウィークには
まだ咲いてないと言い出し
時期を延ばせと詰め寄る始末
さらには
親戚がたくさんいるので
田舎に帰る為のお土産の用意がどーのこーの
あの家に挨拶に行かないといけないとか
新幹線の切符は自由席じゃなきゃイヤだとか
でも座りたいとか
とにかくめんどくさいしうるさいしドケチだし
そんなこんなで 全く行けない状態で・・・
行くなら父に内緒で
この過疎化の進んだひと気の無い村に意外にも沢山いる親戚に
はち会ったり見つかることなく
地味~に行って帰ってこないといけないわけなのです
さて・・・
そこで迎えた令和元年の今年!
改元記念といってはナンですが!!
ワタクシ ついに意を決して
春の飯山に訪れてみようと
決心したのでした!!(>_<)
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