かなたんの更年期を楽しむブログ♪

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最強ドラマ「おしん」 戦争編に学ぶ

2019年12月10日 15時01分51秒 | ドラマ・テレビ・映画

今年 朝ドラの再放送とし

7:15からBSで放送されている「おしん」

昭和58年の春から1年間に渡って続いた長編ドラマですが

 👆ワタクシは中学3年生

それから36年ほどの間に 

何度も総集編も含め再放送され続けてきました

ワタシも 何度も再放送をチョコチョコ観てはいますが

ぶっ通しで 全話をしっかり視聴するのは 

今回が初めてかもしれません

お話の筋はだいたい分かっているし 

録画したDVDも全話持っているのですけれど

10代で観るのと 30代で観るのと 

そして50代で観るのと・・・

観るたびに 観方が変わっている自分がいます

橋田壽賀子さんは このドラマを書き上げた時は

おいくつだったのでしょうか?

60近く?かな?・・・

すごい・・・の一言しかありませんです

10年に一度は「おしん」を観るべきかも

というくらい 本当に よく出来た作品で

このドラマを昭和末期に作られた橋田壽賀子さんには

国民栄誉賞をぜひとも あげてほしい

と、ワタクシ 心から思っております

51歳になって観ている「おしん」が

多分 ワタシの中では

これまでで一番ハマってる気がします

リアルタイム放送では 

ちょうど戦争が終わった所です

終戦のゴタゴタ期を 

おしんがどう立ち直っていくのか

明日から見始めても全然ハマれると思いますので

ぜひとも観て頂きたいです(≧▽≦)

ワタシの祖父は明治生まれの尋常小学校しか出てない

百姓ですから

もちろん戦争にも出兵しました

鉄砲の銃声のせいで耳が遠くなり

会話に不自由しましたけど 

平成まで生きました

ワタシの父は 国民学校時代の入学生です

中学生の頃、国語の教科書に「尋三の春」というお話が

載ってまして その時 

小学校は尋常小学校と言われていて 「小3」ではなく

「尋三」とか「尋四」とかの呼称が使われていた

なんてことを戦前生まれの教諭から教わりましたが

軍事教育が過熱した昭和16年以降は国民小学校と

名称が変わったので この6年間に入学した小学生は

履歴書に 国民学校入学 と書かれている方もいると思います

父の年代は 国一?国二?(。´・ω・)? 

どうだったのでしょうか

ちなみにワタシの母は昭和15年生まれなので

新改革後、つまり今と同じ6・3・3制 小中学校が始まった

第一期生として小学校に入学したことを

意外と自慢してました 

学校で きっと 「あなたたちは新しい時代の」

みたいに 散々期待を込めて言われて育ったんだろうなぁ

なんてことを 

おしんを観ながら 想像してしまいます

父は小4で終戦を迎えたので

教科書に 墨を塗らされた子供の1人です

両親は長野の山奥の農家育ちなので

戦争の空襲にも遭わず

食べるものもそこまで困ることなく

そこまで戦争の犠牲を受けなかったと思いますが

軍国教育を受けていた父は

たまたま 村の空を飛行機が飛んでいくのをみると

早く自分も戦争に出て敵機をやっつけてやるんだ!

と興奮しながら見上げていたそうです

そういう記憶を持っている親や先生に習った世代も

ワタシたちで終わりでしょう

そして そのワタシがもう50過ぎですので

たまには こういう歴史を思い出さないといけないなぁ

と おしんを観て 感じます

戦争が終わって

地主だった母の家は 没落とまではいきませんが

かなりの土地を失ったそうです

ド貧乏だった父の家は ここから

怒涛の勢いで 生活水準を上げていき

ワタシが物心ついた頃には

母の家と変わらない生活をされていました

それでも父の家は村でも有名な貧困ぶりだった?とかで

長男である父の兄のお嫁さんは

村で探せず 少し離れた所からもらったそうです

戦前、地主で裕福だった母の家は 

戦争がなければ 父との縁談話は絶対に無かったほどの

格差があったようですが

家長である母の父が若くして早世したことも手伝って

お嬢さん育ちの母とド貧乏育ちの父は見合い結婚し 

ワタシが生まれたというわけです

戦争がなければ ワタシは2人の子として

誕生していないのだと思うと

戦後20年以上経ってから生まれたワタシも

戦争の影響を受けているんだなぁ

なんてことを思います

ワタシが通っていた小学校に

昭和初期生まれの女性の先生がいました

先生は独身で年老いたお父様と暮らしていましたが

子供心に なぜ先生は独身なのかなぁ・・

と、思っていました

先生は人格者で厳しい中にもユーモアがあって 

んな悪ガキも先生にだけは頭があがらない

先生の鏡とも呼べるような とにかく仕事一筋の

立派な方でした

短大生の時、社会学の講義で 

太平洋戦争の頃の

学徒出陣と転向について学びました

その時、実話として

出兵したいいなずけの男性が

戦死してしまった女性の事を話してくれました

その女性は、裕福なお家の一人娘だったので

戦後、随分長い事

様々な所から見合い話を持ち込まれたそうですが

一切首を縦に振らず 独身を通し続けたという話でした

教科の先生は その方に取材にも行ったことがあるそうで

その女性は 小学校の教諭としてPTAや保護者の方からも

大変評価が高く 素晴らしい教育をされているとのこと

そこで「あれ?(・・?」 と思ったワタシ

続けて

「その方は横浜市の小学校の先生ですが 

 名前はいいませんが、下の名は〇子さんといいます」

なんと! ワタシの心当たりのある

あの先生の名前と同名でした(一人娘云々も全部合致)

社会学の先生は あの時

教え子が この中にいると思ったか思わなかったか

分かりませんけど

ワタシも 授業が終わった後に先生に聞きに行こうかと

思いながら

きっと ハッキリは教えてくれないだろうな

と思い 真実を確かめることはしませんでした

でも間違いないと 今でも確信しています

とても厳しく いつでも背筋を正してシャキッとしている

でも とても明るい

そう、言うなれば キャンディ♡キャンディの

メリージェーン校長(👈キャンディが学んだ看護学校の校長)

のような あの先生に そんな過去があったなんて・・・

先生らしいといえば誠に先生らしいのですが

いろいろ考えさせられてしまい

今も 先生を 時々思い出します




 











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