一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

主の昇天

2018-05-10 07:48:51 | カトリック
復活ののち40日後に主は御昇天された、と聖福音書にある通り今日は主の昇天の祝日に当たります。
ロザリオで言えば栄えの玄義の第二の黙想です。主が天に昇られたとき弟子達はいつまでも空を見上げて天の国を羨望したことでしょうか。
私たちの最終的な目標かつ目的はもちろん天国に行くことです。天国で聖人に会えるのはもちろんですが、まず何よりも主イエズスに会えるという大きなお恵みがあります。
もちろんこの世にイエズス様は聖体としてとどまってはおりますが、私を含めて多くの人は五感で捉えきれていません。もし五感全て御聖体を捉えていたら不遜などは出来ません。以前ある人が私に言ったことは、司教や神父、神学生が数十人が集うミサで聖堂に出入りする聖職者を観察してると聖櫃にましますイエズス様に頭を下げたのはたったの数人だった、と私に嘆きながら教えてくれました。むしろ多くの聖職者は知り合いの信者の方に会釈をしていたとも付け加えていました。
このように私たちは口では「聖体」と申しましても多くの人は、聖人に倣って、ミサの時はもちろん普段の礼拝の時でも、最高位の礼拝を示せてはいません。これが現実なのです。ですから天国にもし行けるとしたらそこで初めて全身全霊で主を感じることが出来たとき、この世において私たちの主に対する忘恩は計り知れないほど知ることになるとは思います。
これがファチマと秋田のマリア様の仰る罪人の回心の必要性と聖職者の信仰の「悪魔的方向感覚の喪失」ということなのでしょう。
天国の福楽を願いましょう。