聖霊降臨の大祝日おめでとうございます。
かつてある司教様の説教を思い出しました。
『神様からのお恵みは現実的かつ超自然的なのです。超自然的なものとは神様のみから来るものです。恩寵は私たちよりもさらに上から与えられなくてはなりません。私たちは恩寵が無い状態で死ねば地獄に行くことになります。私たち人間は天国に行くに値するような特性や性質を持っていません。
新しい教えによって私たちは支配されています。この新しい教えは僅か数十年の間によって私たちを支配しています。その教えでは、私たちの本質というものは天国に行くのが当たり前とされています。人間であれば天国に行くのに値する存在なのだそうです。しかしこれは排斥されている教えです。私たちは原罪によって堕落していることを忘れてはいけないのです。もし人間が洗礼によって原罪が赦されなければ地獄に行きます。私たちの主は十字架の上で死にました。それは恐ろしい死でした。私たち人類の罪を贖うためでした。真の教えと真の教会を得るためです。
真のカトリック教会は何かのジョーク的なものでもオプションや何かしらの他の物ではありません。それは天国に行くための必須なものです。しかし今日多くの人々はカトリック教会が天国へ行くのに必ずしも必要なものではないと考えています。
カトリック教会は天国に行くのに欠かせないものです。決してカトリック教会の教え無しに天国に行くことは出来ません。神様は教会の周りで働きかけることは出来ますが教会を通して天国に行くことが基本であり最良なのです。もちろん教会の外から天国へ行く人は居ますがそれはかなり少数です。全世界がカトリック教会を忘れさられているのは驚愕的なことです。現在のカトリック教会の破壊は神様のお許しによるものです。もちろん神様はその破壊を望んではおられませんが、しかしそれを許されたのです。私たち人間には自由意志があります。もし私たちが地獄へ行くのでしたら神様はお止めになりません。もし私たちが教会を破壊するならばそれと同じくお止めにならないのです。しかし神様は世の終わりまでご自分の教会をお救いになります。私たちは世の終わりに近づいています。ですから教会は非常に小さいのです。余りに多くの霊魂はこの世の快楽を求めています。イエズス様は仰いました。あなたがたはこの世または天国の両方を求めることは出来ません。殉教者は天国を選びました。そしてこの世で命を失いました。彼らは正しかったのです。彼らは天国にいます。彼らはこの世で生きなかったのですが天国で生きています。カトリック教会は常に天国のことを考えなくてはなりません。それが私たちがカトリックである所以なのです。天国へ行くために、他の理由はありません。神様の栄光のために。霊魂の救いのために。人の霊魂を救うためにはまず自分の霊魂を救わなくてはなりません。』
つづく
かつてある司教様の説教を思い出しました。
『神様からのお恵みは現実的かつ超自然的なのです。超自然的なものとは神様のみから来るものです。恩寵は私たちよりもさらに上から与えられなくてはなりません。私たちは恩寵が無い状態で死ねば地獄に行くことになります。私たち人間は天国に行くに値するような特性や性質を持っていません。
新しい教えによって私たちは支配されています。この新しい教えは僅か数十年の間によって私たちを支配しています。その教えでは、私たちの本質というものは天国に行くのが当たり前とされています。人間であれば天国に行くのに値する存在なのだそうです。しかしこれは排斥されている教えです。私たちは原罪によって堕落していることを忘れてはいけないのです。もし人間が洗礼によって原罪が赦されなければ地獄に行きます。私たちの主は十字架の上で死にました。それは恐ろしい死でした。私たち人類の罪を贖うためでした。真の教えと真の教会を得るためです。
真のカトリック教会は何かのジョーク的なものでもオプションや何かしらの他の物ではありません。それは天国に行くための必須なものです。しかし今日多くの人々はカトリック教会が天国へ行くのに必ずしも必要なものではないと考えています。
カトリック教会は天国に行くのに欠かせないものです。決してカトリック教会の教え無しに天国に行くことは出来ません。神様は教会の周りで働きかけることは出来ますが教会を通して天国に行くことが基本であり最良なのです。もちろん教会の外から天国へ行く人は居ますがそれはかなり少数です。全世界がカトリック教会を忘れさられているのは驚愕的なことです。現在のカトリック教会の破壊は神様のお許しによるものです。もちろん神様はその破壊を望んではおられませんが、しかしそれを許されたのです。私たち人間には自由意志があります。もし私たちが地獄へ行くのでしたら神様はお止めになりません。もし私たちが教会を破壊するならばそれと同じくお止めにならないのです。しかし神様は世の終わりまでご自分の教会をお救いになります。私たちは世の終わりに近づいています。ですから教会は非常に小さいのです。余りに多くの霊魂はこの世の快楽を求めています。イエズス様は仰いました。あなたがたはこの世または天国の両方を求めることは出来ません。殉教者は天国を選びました。そしてこの世で命を失いました。彼らは正しかったのです。彼らは天国にいます。彼らはこの世で生きなかったのですが天国で生きています。カトリック教会は常に天国のことを考えなくてはなりません。それが私たちがカトリックである所以なのです。天国へ行くために、他の理由はありません。神様の栄光のために。霊魂の救いのために。人の霊魂を救うためにはまず自分の霊魂を救わなくてはなりません。』
つづく