薔薇色ファンタジー★ヴェルヴェットの小部屋

色褪せぬ美しきもの・映画・音楽・文学・絵画等。ヴェルヴェット・ムーンのサブchouchouの偏愛日記です。忙中有閑♪

イヴ・モンタン 『シャンソン・フランセーズ その栄光と知られざる歴史』 序文より

2009-12-11 | ノスタルジー・メモ
 
花が自然のものであるように、シャンソンは人間のものといえる。それは、可憐にして純粋な表現で、情熱という嵐、感情という雷雨、怒りという大風、優しさというそよ風、愛の風・・・・・・・といった心の変化に晒されている。希望、苦悩、歓喜、抵抗、不安がそこに表現されるシャンソンは、人間でもあるのだ。

 今日は微笑みを、明日は厳しさを、往々にして気紛れで、時には狂ったように・・・・・・・シャンソンは泣き、笑い、情熱に燃え、踊り、そして思考する。数多くの秘密を分かち合った友人でもあるのだ。

 バラの花がいつまでも愛されるように、シャンソンも永遠である。その要素である美しさ、優しさ、そして希望が永遠なのだから。

「シャンソン・フランセーズ その栄光と知られざる歴史」
著:ピエール・サカ 序文:イヴ・モンタン 監修・訳:永瀧達治

★私はどういう訳か、洋楽が好きになり最初は英国のロックやポップスに夢中になっていた。体が弱くなかなか子供が産まれなかったという母が私を産んでくださった。当時では高齢出産という時期のこと。なので、私の両親と私の世代は大きく違っていた。けれど、そのことがいつの間にか私には学びとなってゆき今に至り継続中。映画好きの両親と一緒に古い映画をよく観た。お陰で私は同世代の作品と古い映画を平行して愛好するようになった。音楽も同じように、無意識のうちに、あるいは運命的な出会いのようなレコードたちを聴き続けている。それらに国境はない。アイドルやポップ・ミュージックも大好き!

文学も同じようにフランス文学が特に好きらしい。けれど、英国文学やドイツ文学に大好きな作家が幾人もおられる。国籍や言語をあまり意識しているつもりはないけれど、何故だか「シャンソン・フランセーズ」は相性が良いのか心が安堵する楽曲が多い。母の持っていた古いレコードをなんとなく聴いていた頃から、意識的に自分でも購入するようになったのは80年代の初め。ヨーロッパのニュー・ウェイヴの音楽を聴きながら。リオやヴァネッサ・パラディ、シャルロット・ゲンズブールやエルザ、ミレーヌ・ファルメールやパトリシア・カースたちが大好きで聴き入っていた頃。ブリジット・フォンテーヌ、バルバラ、フランソワーズ・アルディは既にキャリアの長い方々であった。英国のマリアンヌ・フェイスフル、ドイツ人だけれど無国籍な佇まいの孤高のニコも同じく。

イヴ・モンタン!大好き。俳優だと想っていたのに、歌手としても偉大なお方だと知ったのもそんな頃。初めて観た映画は『戒厳令』。政治映画でとてもシリアスな作品から知った。劇中の苦悩する渋い表情に魅せられた。そして、今でも「好きな男優」の指折りに必ず入るお方。モンタンの出演作品は結構観ることができている。作品によって様々なモンタンの魅力がある。晩年のモンタンも大好き!額の皺や白くなった髪は長い芸能生活、「イヴ・モンタンの軌跡」である。両親と私が一緒に鑑賞したり、魅せられたお方のおひとり。なので、私のあの時、あの頃が共に蘇るのである。そして、愛する両親との想い出も。みんな、もうこの世に居られないけれど、私の心の中にはずっと、いつまでも。

『スヌーピーブックス 一生の友 』 著:チャールズ・M. シュルツ

2009-04-04 | ノスタルジー・メモ
チャールズ・M. シュルツ及びスヌーピーと仲間たちが私は子供の頃から大好き。小学生の頃、日曜日に遠かったけれどバスで「スヌーピーの店」に行くのが楽しみだった。まだ小さなお財布に少しのお小遣いがあるのみ。お友達も同じ。母と一緒だとちょっとだけ得をしたものだけれど、欲しいものは高価で手の届かない場所に飾られていた。私とお友達はせいぜい文房具やハンカチなどを買っては嬉々として帰宅したものだ。

私の子供時代は今のようなケーブルテレビなども無い頃。でも、スヌーピーの映画を観たり本を読んだりしていた。今でも大好きなので、甥たちが幼い頃から一緒に再見したりして過ごしている。彼らは「カートゥーン・ネットワーク」などで海外アニメが毎日観れる...羨ましい。でも、そんなお陰で世代の違う彼らとスヌーピーのお話で弾むのだ。仲間たちはそれぞれ個性的でみんな好き。でも、一等好きなキャラクターはというと、私はチャーリー・ブラウン!あのシャイで心優しき少年がたまらなく好きである。上の甥はとても感性が近いようでやはりチャーリーが好きらしい。下の甥はライナスのファンのようだ。とても興味深い。

この『一生の友』はコミックである。やはり子供の頃から大ファンだと仰るさくらももこさんが素敵な翻訳をされている。私は大人になった今も彼らの言動に励まされたり考えさせられたりする。そして、素朴な一言が胸に響き感動のあまり泣いてしまうことも多々ある。シュルツの描く世界は、ただのコミック、子供向けの作品としてだけではなく、現代アメリカ文学のひとつでもある。

ウッドストックが自分が役立たずだと思っていると、スヌーピーは「キミはほんとはとても役に立っているんだよ」「小鳥のさえずりがなかったら、世の中つまらないと思うよ ほんとだってば、キミはとても役に立っているんだよ」ちょっと元気の出たウッドストック☆

ポプリ:POT-POURRI (英国の古き良き香り)

2007-11-05 | ノスタルジー・メモ
”ポプリ”は今ではとてもお手頃な価格で様々な芳香を楽しむことが出来る。私も好きなのでいくつかの箇所に置いたりして使用している。特に薔薇の香りが好き。そもそも、この”ポプリ”は中世以来、疫病に対する効果的な予防法がなく、衛生のためにも消毒法が無かった時代において、装飾や香りの楽しみのためというよりも、悪疫を退け、不快な匂いを撃退するという実用的な(あるいは医学的)目的に供されていたもの。ドライ・タイプのものやペイスト・タイプのものも活用されていた。また、ポプリを円形の小さな容器に詰め、首やベルトにかけるポマンダーは、当時の女性の広がったスカートの下のフープに吊るすなどと活用されていた。バラやハーブなどによる室内香としてポプリはエリザベス1世時代(16世紀)に遡る。かのシェイクスピアも愛用者であり、その歴史がヴィクトリア朝時代には普段の生活にすっかり定着するようになり、果物を混ぜたものなども病室に置いたりして香りが癒しの役目を担ってきたのだと思うと、自然の香りたちと共に人間は歩んできたのだと感謝のような気持ちを好きなポプリたちを見つめて思う。

上の写真のように、この時代は乳鉢で香料をすりつぶす力仕事はそのお家のメイドのお役目。そして、”いかがでしょうか?”と奥様にその香りを嗅いで頂くというもの。でも、次第に労働者階級の人々たちの生活にも浸透してゆき、今日では世界中で様々な形状のものや用途に使用されている。香りとはとても大切なものだといつも感じているので、このような長い歴史の知恵の尊さを思う。

絵葉書(ポストカード)の起源

2007-06-11 | ノスタルジー・メモ
私がとっても小さな頃、従兄弟のお兄さんが東京に行って来たお土産に頂いたものの中にポストカード・セットと東京タワーの日めくりみたいになったブリキのカレンダーがあった。多分、私の記憶する最も古いポストカードのこと。兵庫ののどかな町で生まれ育った私には、東京は同じ日本でもとても遠い存在と感じていたものだ。仲良しのお友達から頂いたアンティーク・カードやちょこちょこと自分でも買っていた(レプリカものも含めて)そんな生まれる前の絵葉書がいつの間にかファイルに何冊かとなっている。私はコレクションしてはいないのだけれど眺めるのが好き♪ひとつの芸術、文化、通信手段として今も世界中で使われているものなので。

さて、起源は...と調べてみると実はドイツだった(説は他にもあり複雑)。私は大好きなサラ・ベルナールなどの女優さまのポストカードたちやミュシャたちの活動に興味を持つ中で、フランスかイギリスかと思っていた。何事にも起源があり、そこから広く開花し受け継がれていくもの。ドイツの工場の広告用に製造されたのが最古で1888年だそうだ。ベルリンに住むフライリッヒ・フォン・ヘンデルという工場主がお得意様たちに宛てたもの。しかし、その実物は現存しないらしくどんなものだったのかは知る由もない(私製絵葉書のことだと思うのだけれど、どのように異なるのか資料でもその様子が残っていれば...と残念に思うし、よく区別出来ずにいる私)。

絵入りポストカードとなると、1867年のウィーンのエマヌエル・ヘルマン博士というお方が作り、19世紀末以降フランス(ベル・エポック)や英国(エドワーディアン)では隆盛を極めることになる。その後の戦争が無ければ、もっと現存した多種に渡る素敵で愛らしく面白いものが見れたかもしれない。著名な芸術家たちだけではなく、名も知れぬ人々がどなたかに贈ったものやお祝いに添えたものたちが膨大な数として世界中で往来していたのだと思うと楽しい。

好きな題材を含むのでまた、時折ポスターなど(映画にも繋がるもの)と共にこの素敵な愛すべき芸術について綴ってみようと思う。日本では明治時代に隆盛を極めたようで、海外の絵葉書の中にはジャポニズムと分類されるものもあるので、欧州と日本の文化がお互いに影響しあった(絵画など芸術全般に言えることだろうけれど)のだという歴史を眺めたりするだけでも心地良いものだ♪

シャンソン界の異端児★ブリジット・フォンテーヌ:BRIGITTE FONTAINEとの衝撃の出合い!

2005-01-03 | ノスタルジー・メモ
今から10年少し前に、”女性ヴォーカルの会を作りたい...”って数人のお友達にお話してみると予想外に大きな反応を頂き歓喜したものだった。そして、名前は「BRIGITTE」と迷わなかった。「KATE」でも良かったし「MYLENE」でも良かったけれど、フランスの音楽に興味を持ち始める機会を与えて下さったのはBRIGITTE FONTAINEだから。きっと、お婆さんになっても聴いていると思う。あのお声が大好きなのだ。好き過ぎて何を書けば良いか分からないので思いつくままに。

リアルタイムではない『ラジオのように』をジャケ買いした。伊丹の星電社の片隅に再発盤が新入荷のコーナーに有ったのだ。不思議な悦ばしき出会いは思いがけずやって来た。とにかく「わぁ~!これ買う!!」という感覚でレジに持っていった様に思う。全くその時はこの作品が名盤だということすら知らなくて、さらにフランス人であるということさえ...。針を下ろして音が流れてきた時のあの奇妙な気持ちを何と喩えればよいのだろう...”なんだろう?この音楽は。”とか”よく分からないけれどかっこいい!”・・・多分このような印象を持った。そして、間章氏のライナーノーツをじっくり拝読していく内にすっかり私はフォンテーヌに魅了されていたのだと思う。あの文章、活字は私にはあまりにも大きなものだった。

当時、英国を中心としたニューウェーヴの音楽が好きでラジオは毎日聴いていた。雑誌も細かくチェックしていた。16歳の私は学校では音楽の会話の出来るお友達がほとんど居なかった。みんな恋愛や日本の音楽やアイドルのことで楽しそうだった。そんなお話を聞きながらも早くお家に帰って好きな音楽が聴きたい!と思ったり、気分が乗らない会話に時間を費やすより図書館で過ごす事を選ぶ様になってしまった。休日は数人で映画に行く事もあったけれど、次第に私の観たい映画では無いことに忠実な態度を取り始めていた。今振り返ってみて、この時期の私はとてつもない速度で音楽や文学や映画といった今の私の宝物たちに接近して行ったと思える。そして、「ブリジット・フォンテーヌ」という風変わりなアーティスト(ヴォーカリスト)の衝撃はデヴィッド・ボウイ様との出会い以来の事。私にとってのあるキーであると言える。そうとしか思えない。「ヴァガボンド」という言葉に憧れたけれど私には持ち合わせてはいないと今も思う...。訳詞を読みながら浮かぶ不可思議な幻想。ラディカルであり猥雑であり、でも、あの優しさは今も私の心に必要なのだ。一等好きな作品は『III』。「はたご屋」ばかりを何度も繰り返し針を置き聴き入った。このままだと狂ってしまうかも?というくらいにその世界に引き込まれてしまった。正しく声の美力なり!というかこのお方は魔力の様だ。今も御大フォンテーヌは健在だけれど、あの空気感はあの時代のものだったのだと思う。誰にも時代の空気感は再現不可能なのだ。特にあの様な時代は...なので一層憧れるのかもしれない。

アレスキーやジャック・イジュラン、ピエール・バルーにも傾倒していく中、セルジュ・ゲンスブールに出会い、バルバラ、はたまたカトリーヌ・リベロに出会う。映画ではゴダール!文学はランボーからネルヴァルに向かっていった。この選択肢が今の私に繋がっている大切なキーだと思うし、もうどうしようもない後戻り不可能な組み込まれてしまった何かの様にも。たかが私個人の事ながら、音楽やある一曲が人生を変えるきっかけになる事を私は感じる事が出来たのだ。良かったのか?悪かったのか?はどうでもいい。フォンテーヌのお声は今も時に少女の様に可愛らしく響き、かつ厳しいアナーキストな面持ちも消えてはいない。”過激な優しさ”をこれ程までに表現出来るヴォーカリストを私は知らない。シャンソンというカテゴリーからは大きくはみ出した異端児フォンテーヌ。そんなカテゴリーを軽く飛び越えるフォンテーヌは今も私は大好き!

※2005年1月3日付で書いたものに追記。『BRIGITTE』の由来はブリジット・バルドー(好きだけれど)ではなく、フォンテーヌ!そして、私の長年の心のミューズのお一人でもある。結局のところ、私はもうすっかり歳を重ねてしまったけれど、今もまだ行ったり来たり...。戻れない時間だけれど想い出は永遠。ノスタルジーに浸っていてはいけないとも想うけれどまだまだ彷徨しているみたい。そんな心を此方でつらつらと綴っているのだろう。人それぞれの”少女観”があるけれど、私は”美しい!”と思えるものや”儚い幻想”のようなものがいつも好きな気がする。此方の『我が心の泉の畔の妖精たち』あるいは時空を超えたミューズたちはまったく変わらない☆