私の一等大好きな作家であるオスカー・ワイルドの作品や生涯、戯曲の映画化など可能な限り関連したものは反応せずにはいられない。歳を重ねる中でいつの間にか一等...という存在になっているようだ。ちょっと、古い想い出ながら、私は子供の頃から涙腺の非常に脆い子供で、いくじなしとも言えるけれど、感動し易いとも言える。同じように笑うことも多く、”ないたカラスがもう笑うた”と父にからかわれたりしていた。大人になった今もそんな性格はあまり変わりはないようだ。最も幼い記憶(母に読んで聞かせてもらったもの以外で)。幼稚園の先生が紙芝居で『バンビ』のお話をみんなに聞かせてくださった。教室に何十人かやや後方に座って聞き入っているうちに涙が溢れてきて先生を困られせてしまったことがある。後でお優しく先生は頭を撫でてくださったけれど、どこか体調が悪くなったのかと心配されたようだった。遠いのに母まで呼ばれた始末...お父さん鹿が決闘するシーンの絵やその時の恐怖と尊厳さ、深い愛を想うだけで今も泣いてしまう。その次の記憶は小学2年生頃の国語の時間。オスカー・ワイルドの『幸福な王子』が教科書に載っていた。ほとんど、同じ頃、それは社会の時間か国語の時間かははっきりしないけれど、担任の先生が『八月がくるたびに』というご本を読んでくださった。それが最初に知った日本に原爆が投下された戦争の悲劇に関するご本だった。そして、母が小学生用の児童文学全集や偉人物語を買ってくれたものを好きな作品は幾度も、あまり好きでないのものはパラパラと読んでいた。そんな子供時代の私を想い出すことが再読で安易に出来て愉快でもある。
オスカー・ワイルドの作品はどれも好きだけれど、最初の出会いが児童文学だったこともあり、先ずはそんな中で極めて大好きな作品のことを。『幸福な王子』の他にもうひとつ『柘榴(ざくろ)の家』という童話集がある。その中のひとつに『王女の誕生日』(1889年3月、「パリ・イリュストレ」が初出)というベラスケスの絵の時代を借りてきたような物語。
スペインの王女(インファンタ)の12歳のお誕生日。豪奢な装飾に彩られた大きなお屋敷やそこに集まる人々の豪華絢爛な衣装や宝石などがまばゆいばかりである。そんな中に、初めてそのお屋敷にやって来て踊りを披露する侏儒(こびと)。曲がった脚でよたよた歩きながら、不格好な頭を振り入ってきた侏儒を子供たちも王女も大笑いした。侏儒はと言えば、子供たちが笑うと自分までも楽しくなり笑い、踊ったり、おどけたりしている。王女の心をすっかりとらえていた。髪に付けていた白い薔薇を半ば冗談気分で王女は侏儒に投げつけた。侏儒は王女さまから白い薔薇を頂き天にも舞う喜び。王女さまに好かれているのだと思い込んでいる。わがままな王女さまはもう一度侏儒の踊りを見たいと招待する。
その幾つもある広間をそろりと歩いてゆく侏儒。真っ暗な部屋に行き着き、不可思議な光景を目にする。ある小さな人影がじっとこちらを見ている。侏儒の心臓は震え叫び声を上げる。その化け物は侏儒の動きをしっかり模倣するではないか!なんだろう?といっときは考えた侏儒にもようやく真相がわかりかけると、狂おしいような絶望の叫びを上げすすり泣きながら床に倒れてしまった。不格好なせむしで、見るも忌まわしい奇怪なあいつは自分だった。ほかならぬこの自分があの化け物だったのだ。子供たちが嘲笑っていたのはこの自分だったのだ。愛してくれていると思っていた王女さまも、自分の醜さを嘲り、ねじれた手足を冷やかしていただけなのだ。そんな自分の姿を知る鏡などの存在しない森で小鳥たちと楽しく過ごしていた侏儒。そして、なぜ父親は、自分を殺してくれなかったのだろうか?と熱い涙が頬を伝い、白い薔薇の花をむしって空中に撒き散らし、床に腹ばい、うめきながら横たわってしまった。
そこへ王女さまが開いた扉から仲間と一緒に入ってきた。また踊ってくれるように頼むけれど、侏儒はすっかり動かなくなってしまった。不機嫌になった王女は”侏儒を起こして、あたしのために踊れとおっしゃってくださいな”と伯父ドン・ペドロに言う。しかし、動かない侏儒の心臓に侍従が手を当てると、肩をすくめ立ち上がり、王女にうやうやしく一礼して言った。”わがうるわしき王女さま、王女さまのおもしろい侏儒は、もう二度と、踊りはいたしませぬ。残念でございます。これくらい醜ければ、王さまをお笑わせることもできましたろうものを。」と侏儒の心臓が破れたことを告げた。すると、王女は顔をしかめ、あでやかな薔薇の花びらに似たくちびるを、美しい軽蔑でゆがめ、”これからさき、あたしのところへ遊びに来るものは、心臓のないものにしてね”と叫び、庭へ走り出て行った。
最後の王女の非情な台詞と心臓の破れてしまった侏儒。どちらも罪ではなく、咎めることは出来ない幼い子供たちの心。でも、純粋な侏儒の繊細で柔和な心とその壮絶で残酷な嘆きと叫びの中での死を想うといたたまれない。
オスカー・ワイルドの作品はどれも好きだけれど、最初の出会いが児童文学だったこともあり、先ずはそんな中で極めて大好きな作品のことを。『幸福な王子』の他にもうひとつ『柘榴(ざくろ)の家』という童話集がある。その中のひとつに『王女の誕生日』(1889年3月、「パリ・イリュストレ」が初出)というベラスケスの絵の時代を借りてきたような物語。
スペインの王女(インファンタ)の12歳のお誕生日。豪奢な装飾に彩られた大きなお屋敷やそこに集まる人々の豪華絢爛な衣装や宝石などがまばゆいばかりである。そんな中に、初めてそのお屋敷にやって来て踊りを披露する侏儒(こびと)。曲がった脚でよたよた歩きながら、不格好な頭を振り入ってきた侏儒を子供たちも王女も大笑いした。侏儒はと言えば、子供たちが笑うと自分までも楽しくなり笑い、踊ったり、おどけたりしている。王女の心をすっかりとらえていた。髪に付けていた白い薔薇を半ば冗談気分で王女は侏儒に投げつけた。侏儒は王女さまから白い薔薇を頂き天にも舞う喜び。王女さまに好かれているのだと思い込んでいる。わがままな王女さまはもう一度侏儒の踊りを見たいと招待する。
その幾つもある広間をそろりと歩いてゆく侏儒。真っ暗な部屋に行き着き、不可思議な光景を目にする。ある小さな人影がじっとこちらを見ている。侏儒の心臓は震え叫び声を上げる。その化け物は侏儒の動きをしっかり模倣するではないか!なんだろう?といっときは考えた侏儒にもようやく真相がわかりかけると、狂おしいような絶望の叫びを上げすすり泣きながら床に倒れてしまった。不格好なせむしで、見るも忌まわしい奇怪なあいつは自分だった。ほかならぬこの自分があの化け物だったのだ。子供たちが嘲笑っていたのはこの自分だったのだ。愛してくれていると思っていた王女さまも、自分の醜さを嘲り、ねじれた手足を冷やかしていただけなのだ。そんな自分の姿を知る鏡などの存在しない森で小鳥たちと楽しく過ごしていた侏儒。そして、なぜ父親は、自分を殺してくれなかったのだろうか?と熱い涙が頬を伝い、白い薔薇の花をむしって空中に撒き散らし、床に腹ばい、うめきながら横たわってしまった。
そこへ王女さまが開いた扉から仲間と一緒に入ってきた。また踊ってくれるように頼むけれど、侏儒はすっかり動かなくなってしまった。不機嫌になった王女は”侏儒を起こして、あたしのために踊れとおっしゃってくださいな”と伯父ドン・ペドロに言う。しかし、動かない侏儒の心臓に侍従が手を当てると、肩をすくめ立ち上がり、王女にうやうやしく一礼して言った。”わがうるわしき王女さま、王女さまのおもしろい侏儒は、もう二度と、踊りはいたしませぬ。残念でございます。これくらい醜ければ、王さまをお笑わせることもできましたろうものを。」と侏儒の心臓が破れたことを告げた。すると、王女は顔をしかめ、あでやかな薔薇の花びらに似たくちびるを、美しい軽蔑でゆがめ、”これからさき、あたしのところへ遊びに来るものは、心臓のないものにしてね”と叫び、庭へ走り出て行った。
最後の王女の非情な台詞と心臓の破れてしまった侏儒。どちらも罪ではなく、咎めることは出来ない幼い子供たちの心。でも、純粋な侏儒の繊細で柔和な心とその壮絶で残酷な嘆きと叫びの中での死を想うといたたまれない。