本日、勤労感謝の日で休日。昨日、娘(8歳)と温泉プールにいく約束をしたので、さっそくでかけた。家から車で20分ほど走った山の中に温泉がわき出て、プールもある。3時間はいって大人500円。朝から娘は楽しみにしていたのでレッツゴー。ちなみに息子は「いかない」と一言。
別々に更衣室にはいりプールに入ったのはいいが、娘がこない。もしかしたら、着替えに手間取っているのかもしれないと思ったが、どうすることもできないので、しばらくジャグジーにつかりながら待つ。30分以上待っても来ない。なにかあったのかと心配になり、着替えて更衣室の外に出たら、いすに座ってじっとうつむいていた。
娘は私より早く着替えてプールに行ったが、私の姿がみえず、しかも見知らぬ子供たちが声高々にプールに遊んでいるのをみて、怖くなって引き返して、更衣室の外でどうすることもできずに待っていた。「もう一度、プールにはいるかい?」と聞くと、涙をぽろぽろこぼして首を横にふった。そう、娘は極端な人見知りなのだ。特に見知らぬ同年代の子供を怖がる。
結局、帰ることにした。帰りの車で、眠り込んでしまった娘。よほど心的エネルギーを使った出来事だったのだろう。娘の将来に一抹の不安がないわけでもない。しかし、人生を歩くのは娘。私が歩けるわけでもない。帰ってから二人でスーパーに買い物に行き、アイスを食べながら、再チャレンジすることを話し合った。思い起こしてみれば、私も少なからず、そんな傾向にあったかな。
娘について、私の脳裏に一つの風景がある。昨年の秋。娘が夏休みに育てていた朝顔。花の時期が終わり、そこから種をとっている娘の姿。仕事部屋の窓から眺めていた娘の姿が、今でも焼き付いている。なぜ、そのシーンが焼き付いているのかは、おいおい語るとして、娘のところには、ごくたまに近所の友達が遊びにくるが、自分から友達の家にいくことはしない。いつも一人で遊んでいる。学校の勉強も、養護学級になるかならないかの境目で、娘なりにいろんな寂しさを味わっていると思う。
私ができることはなんだろう。事情があり、離れて暮らしていたときも「おとーちんは?」「おとーちん、ちゃんとご飯食べているかな」と私を案じていたという。私にできることはなんだろう。改めて自分を問う毎日だ。
別々に更衣室にはいりプールに入ったのはいいが、娘がこない。もしかしたら、着替えに手間取っているのかもしれないと思ったが、どうすることもできないので、しばらくジャグジーにつかりながら待つ。30分以上待っても来ない。なにかあったのかと心配になり、着替えて更衣室の外に出たら、いすに座ってじっとうつむいていた。
娘は私より早く着替えてプールに行ったが、私の姿がみえず、しかも見知らぬ子供たちが声高々にプールに遊んでいるのをみて、怖くなって引き返して、更衣室の外でどうすることもできずに待っていた。「もう一度、プールにはいるかい?」と聞くと、涙をぽろぽろこぼして首を横にふった。そう、娘は極端な人見知りなのだ。特に見知らぬ同年代の子供を怖がる。
結局、帰ることにした。帰りの車で、眠り込んでしまった娘。よほど心的エネルギーを使った出来事だったのだろう。娘の将来に一抹の不安がないわけでもない。しかし、人生を歩くのは娘。私が歩けるわけでもない。帰ってから二人でスーパーに買い物に行き、アイスを食べながら、再チャレンジすることを話し合った。思い起こしてみれば、私も少なからず、そんな傾向にあったかな。
娘について、私の脳裏に一つの風景がある。昨年の秋。娘が夏休みに育てていた朝顔。花の時期が終わり、そこから種をとっている娘の姿。仕事部屋の窓から眺めていた娘の姿が、今でも焼き付いている。なぜ、そのシーンが焼き付いているのかは、おいおい語るとして、娘のところには、ごくたまに近所の友達が遊びにくるが、自分から友達の家にいくことはしない。いつも一人で遊んでいる。学校の勉強も、養護学級になるかならないかの境目で、娘なりにいろんな寂しさを味わっていると思う。
私ができることはなんだろう。事情があり、離れて暮らしていたときも「おとーちんは?」「おとーちん、ちゃんとご飯食べているかな」と私を案じていたという。私にできることはなんだろう。改めて自分を問う毎日だ。