泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

THE BLUE HEARTS

2005-07-16 20:52:13 | どろな話
仕事の帰り。車の中で久しぶりにFMラジオを聞く。ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」が流れていた。涙がぽろぽろと流れた。こういうことがよくあって、昔なじんだ曲のいくつか、耳にすると、じーんとして動けなくなる。きっと、つらくて自暴自棄になっていた時、悔しくて悔しくてどうにもならなかった時、助けてもらっていたんだなと思う。倉庫の中から探し出してきたブルーハーツのベストアルバムを聴きながら、感謝感謝。

花火が上がった。夏祭りの夜の恒例。庭から見える風景のあちこちで打ち上げ花火がみえる。ここで生まれ育つ子供たちは、夏の夜に花火を見上げながら、友と交わり、恋に戸惑ったりするんだろう。コンビニに行く途次、花火をみながら娘が

「祭は楽しいなぁ」
「おう!楽しいよな!」

「楽しい」と思えること、言えること。大切に大切に。

あぁぁ…体が…

2005-07-16 14:35:00 | どろな話
ちょいと前の話。梅雨に入り始め、天気がすぐれないので、いっちょう雨雲通り越して、雲海でも見下ろすか!と思いつき、子供たちをつれて富士山新五合目へ。そこから6合目に上り、宝永火山の火口を見ながら新五合目まで戻るコースがある。約1時間の道のり。子供はさっさか富士山のガレ場を上っていく。ひぃ~なんと足が、体が、ついていかない。



もう少し体力あると踏んでいたが、運動不足もあるし、加齢の衰えもあるだろうし。少し歩きましょうかねぇ。親愛なる友人・松本竜弥氏が管理するブログでこんなことを紹介している。「健康のために歩くのではなく、美しくキレイに歩いたことが、健康につながる」これは至言だ。何かの為に生きるのではない、意味を探す為に生きるのではない、生きたことが意味になる。生きたことが「自分」になる。「幸せになる道などない。道こそが幸せだ」と同じだねぇ。

セルフケアバッグ

2005-07-16 13:48:11 | どろな話
親愛なるジェリー・モウ氏に示唆いただいた「セルフケアバッグ」。皆さんは何かに傷ついた時、何かに疲れた時、自分を癒すために何をされているだろうか。そして、その方法をいくつ持っているだろうか。

私の小さな紙袋には4枚のカードが入っている。それぞれの裏表に「する事」が書かれている。つらい時、その紙袋をシャカシャカシャカと振り、紙袋に手を入れてカードを取り出す。「寝る」と書かれている。「むぅ…今は寝ることができないな…」と裏を返してみる。「好きな音楽を聴く」と書かれている。さぁ、好きな音楽を聴いてみよう。カードはいくつでも増やしていい、自分をケアする行動はいくつでも発見して選んでいい。

シャカシャカシャカ…「バイクに乗る」 よし!今日は晴れている!

今日は祭りだ!

2005-07-16 12:28:01 | どろな話
地元の神社の、年に一度のお祭り。大人御輿、子供御輿がねり歩き、うちの境内でも練り歩いてくれる(つまり…祝儀をとられるってことだわ)。子供御輿をかついだ子供たちにはなんとお小遣いが出る。小中学生が対象だが、これがまたけっこうもらえるらしい。地元の神社の祭典を維持し、毎年にぎやかに開けることは、町の財産だと思う。人々が協力し、一つのことを成していく。意味なんて考えてない。みな「そういうもんだ」で働いている。



娘と息子がはっぴを着て出かけていった。御輿をかつぐ(小遣いをもらう)ために。自分が子供の頃を思い出す。私が生まれ育った東京・大森もお祭りはにぎやかだった。地元に古くから住む家の子は、講中に参加して、祭り囃子の太鼓や笛を練習したり、御輿かつぎに興じたり。家族ぐるみでそこに融け込んでいた。それを羨ましく眺めていたことを思い出す。今でも、実家があり、母と弟家族が大森に住む。私は6歳から30年、その地を中心とした暮らしが続いた。それまでは池上という地にいた。

東急池上線「池上駅」を降りると、いつでも懐かしい感じがする。長く住んだ「大森」は、訪れてもなぜか懐かしい感じがしない。いつだか、母とそんな話をする機会があった。「いい思い出がないんでしょ」とあっさり。なるほどねぇ。そうかそうか。苦しかったもんなぁ。「苦しかった自分」それに気づいたら、なんとなく懐かしい感じがしてきた。今でもたまに訪れて、小学校時代の友人たちと杯を交わし、近況を語り合う。みんな老けた。ということは私も老けたわけだ。

今夜は祭り囃子を聞きにでかけよう。そこにいる町の人々は、普段とは違ってみえる。お祭りは偉大だな。すべての人に祝福を。