泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

セルフケアバッグ

2005-07-16 13:48:11 | どろな話
親愛なるジェリー・モウ氏に示唆いただいた「セルフケアバッグ」。皆さんは何かに傷ついた時、何かに疲れた時、自分を癒すために何をされているだろうか。そして、その方法をいくつ持っているだろうか。

私の小さな紙袋には4枚のカードが入っている。それぞれの裏表に「する事」が書かれている。つらい時、その紙袋をシャカシャカシャカと振り、紙袋に手を入れてカードを取り出す。「寝る」と書かれている。「むぅ…今は寝ることができないな…」と裏を返してみる。「好きな音楽を聴く」と書かれている。さぁ、好きな音楽を聴いてみよう。カードはいくつでも増やしていい、自分をケアする行動はいくつでも発見して選んでいい。

シャカシャカシャカ…「バイクに乗る」 よし!今日は晴れている!

今日は祭りだ!

2005-07-16 12:28:01 | どろな話
地元の神社の、年に一度のお祭り。大人御輿、子供御輿がねり歩き、うちの境内でも練り歩いてくれる(つまり…祝儀をとられるってことだわ)。子供御輿をかついだ子供たちにはなんとお小遣いが出る。小中学生が対象だが、これがまたけっこうもらえるらしい。地元の神社の祭典を維持し、毎年にぎやかに開けることは、町の財産だと思う。人々が協力し、一つのことを成していく。意味なんて考えてない。みな「そういうもんだ」で働いている。



娘と息子がはっぴを着て出かけていった。御輿をかつぐ(小遣いをもらう)ために。自分が子供の頃を思い出す。私が生まれ育った東京・大森もお祭りはにぎやかだった。地元に古くから住む家の子は、講中に参加して、祭り囃子の太鼓や笛を練習したり、御輿かつぎに興じたり。家族ぐるみでそこに融け込んでいた。それを羨ましく眺めていたことを思い出す。今でも、実家があり、母と弟家族が大森に住む。私は6歳から30年、その地を中心とした暮らしが続いた。それまでは池上という地にいた。

東急池上線「池上駅」を降りると、いつでも懐かしい感じがする。長く住んだ「大森」は、訪れてもなぜか懐かしい感じがしない。いつだか、母とそんな話をする機会があった。「いい思い出がないんでしょ」とあっさり。なるほどねぇ。そうかそうか。苦しかったもんなぁ。「苦しかった自分」それに気づいたら、なんとなく懐かしい感じがしてきた。今でもたまに訪れて、小学校時代の友人たちと杯を交わし、近況を語り合う。みんな老けた。ということは私も老けたわけだ。

今夜は祭り囃子を聞きにでかけよう。そこにいる町の人々は、普段とは違ってみえる。お祭りは偉大だな。すべての人に祝福を。

小さなお墓

2005-07-15 11:35:01 | どろな話
折った割り箸の墓標と、雑草の花や葉でまとめた供花。コガネムシの墓だと言う。ここは娘にとって弔いの場所であり、種を植え命が芽吹く場所。命尽きた熱帯魚、小鳥、リス、カメなどが眠る。そのたびに小石や木片で墓標を立てる。



昨日、この墓を作りながら、そばにコットンの実を植えていた。21℃で発芽。生育温度は18℃。ちょいと静岡では育たないけれど、芽吹きを見ることはできるだろう。その夜、車で娘とでかけた時にこんな話をした。

「あー早く夏休みこないかなー」
「もうすぐだよ。たくさん遊んで、勉強のパワーアップもしような」
「宿題は答え見ながらすぐにやっちゃうからな」
「算数と国語の装備と武器が今弱いだろー。中ボスに負けちゃうぞ」
「中ボスって何?」
「テストとか宿題とかが中ボス」
「あーそうか。ラスボスは何?」
「ラスボスはね、お父さんもまだ見たことがないんだけど、きっと教えてあげられるよ」

そのラスボスをいつか伝える時が来る。私自身がそれに向かう時が来る。もう始まっているんだけどね。明日かもしれないし40年後かもしれない。勝っても負けてもそこでゲームセット。楽しかったかな。悔いが残るかな。それまでに伝えられるものはできうるかぎり伝えるよ。足りないものは、他から遠慮なく持ってくればいい。勉強なんざできなくてもいい。自分を灯火として生きられるように…