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昔のポートレート好きについて。懐古趣味は逃避にあらず

2019-03-23 17:19:27 | 日記
過去のものは僕を安心させました。

過去のものは、決して自分を裏切らない。

現在進行中のものは、それに想いを託したとしても、

進化し、何れは自分を裏切っていく。


(『カフェー小品集)』 ~諦念とタンゴの調べより~)


何故にアンティークに惹かれるのか。

それはアンティークが過ぎ去りし日の残滓だからです。

時間軸に於いて、現在と未来は変容する浮気もの。

しかし過去はもう風化する以外、その存在を裏切ることがないのです。

現代と未来は常に予期を赦さず、僕達を攻撃してきます。

だけれども過去だけは、それがいくら邪なものであろうと

記憶のペンキを重ね塗れば、いとも易く美しいオブジェとして

静かに微笑みかけてくれるのです。


(『それいぬ』 ~アンティーク趣味と未来への不安に就いてより~)


  


嶽本野ばらさんの作品に繰り返し出てくるこういった考え。

すごくわかると思います。

現在と未来には不安がつきまとうから、

過去に浸っていると安らぐ。

私にもそういうところがあります。


  


これは嶽本さんの思想に通じるかどうかわからないけど、

私が以前から惹かれるものに、昔の肖像写真があります。

ポートレートってやつですな。




有名人のポートレートでなくてもいい。

目の覚めるような美男美女の写真でなくてもいい。

知った人の写真でなくてもいいんです。

むしろ、名もなき人々、誰?この人。って人。容姿も普通。

そういった写真に、強く、強く惹かれるのです。


  



老若男女、国籍。これはこだわりありません。

ただ、被写体の人が、すでに死んでしまっていること。

もしくは生きていても、はるか昔に撮った写真。

これが条件なのですね。






変でしょう。なんでかなと自分でもわからなかった。

だけど、それらの写真を見るとき、

「生きていたら何歳だろう」

「どんな人生を歩んだ人なんだろう」とか。

その人の背景、人となり、人生のドラマなど想像せずにはいられない。

それが楽しいんだと思う、安らぐんだと思う。






自分も、はるか昔から続いているこの世に生まれ生きていた人々。

この中の一人にすぎないと。そう思えるのがいいのかな。

未来は不安だし今はいろいろ悩みややることもあって大変。

だけど、こんなのははるか昔からみんなが経験してきたたことなんだよと。

そう思えるのがいいんです。





過去とつながることで、前を向けるっていうのかな。

いつの時代も、その時代に生きる人にとっては、未来は不安なものだった。

その不安な未来は、やがて過ぎ去り、どれも過去になってきた。

これまでこの世に生きた人たちが、みんな乗り越えてきたことだよって・・・

そう思えるのがいいんです。


  


ちょっと難しい話になったでしょうか。

昔はよかった、とか、過去を懐かしむ「懐古趣味」というと、

どうも逃避のイメージがつきまといますが、

こんなふうに過去に癒されるのは、悪いものではないでしょう。

野ばらさんの懐古趣味は、ちょっと後ろ向き?かな?

気持ちはとてもよくわかるけど。


  


掲載の写真は、「DISFARMER」より。

アメリカ・アーカンソー州の小さな田舎町、

ヒバー・スプリングスで写真館を営んでいた著者が、

1939年から1946年までに撮りためたポートレート集です。

もちろん名もなき人たちばかり、

しかし確かにこの世に生を刻んだ、ほとんどが亡くなっている人たち。

強く惹かれたあまりに、当時1万円も出して写真集を買いました。(笑)

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