過去のものは僕を安心させました。
過去のものは、決して自分を裏切らない。
現在進行中のものは、それに想いを託したとしても、
進化し、何れは自分を裏切っていく。
(『カフェー小品集)』 ~諦念とタンゴの調べより~)
何故にアンティークに惹かれるのか。
それはアンティークが過ぎ去りし日の残滓だからです。
時間軸に於いて、現在と未来は変容する浮気もの。
しかし過去はもう風化する以外、その存在を裏切ることがないのです。
現代と未来は常に予期を赦さず、僕達を攻撃してきます。
だけれども過去だけは、それがいくら邪なものであろうと
記憶のペンキを重ね塗れば、いとも易く美しいオブジェとして
静かに微笑みかけてくれるのです。
(『それいぬ』 ~アンティーク趣味と未来への不安に就いてより~)
嶽本野ばらさんの作品に繰り返し出てくるこういった考え。
すごくわかると思います。
現在と未来には不安がつきまとうから、
過去に浸っていると安らぐ。
私にもそういうところがあります。
これは嶽本さんの思想に通じるかどうかわからないけど、
私が以前から惹かれるものに、昔の肖像写真があります。
ポートレートってやつですな。
有名人のポートレートでなくてもいい。
目の覚めるような美男美女の写真でなくてもいい。
知った人の写真でなくてもいいんです。
むしろ、名もなき人々、誰?この人。って人。容姿も普通。
そういった写真に、強く、強く惹かれるのです。
老若男女、国籍。これはこだわりありません。
ただ、被写体の人が、すでに死んでしまっていること。
もしくは生きていても、はるか昔に撮った写真。
これが条件なのですね。
変でしょう。なんでかなと自分でもわからなかった。
だけど、それらの写真を見るとき、
「生きていたら何歳だろう」
「どんな人生を歩んだ人なんだろう」とか。
その人の背景、人となり、人生のドラマなど想像せずにはいられない。
それが楽しいんだと思う、安らぐんだと思う。
自分も、はるか昔から続いているこの世に生まれ生きていた人々。
この中の一人にすぎないと。そう思えるのがいいのかな。
未来は不安だし今はいろいろ悩みややることもあって大変。
だけど、こんなのははるか昔からみんなが経験してきたたことなんだよと。
そう思えるのがいいんです。
過去とつながることで、前を向けるっていうのかな。
いつの時代も、その時代に生きる人にとっては、未来は不安なものだった。
その不安な未来は、やがて過ぎ去り、どれも過去になってきた。
これまでこの世に生きた人たちが、みんな乗り越えてきたことだよって・・・
そう思えるのがいいんです。
ちょっと難しい話になったでしょうか。
昔はよかった、とか、過去を懐かしむ「懐古趣味」というと、
どうも逃避のイメージがつきまといますが、
こんなふうに過去に癒されるのは、悪いものではないでしょう。
野ばらさんの懐古趣味は、ちょっと後ろ向き?かな?
気持ちはとてもよくわかるけど。
掲載の写真は、「DISFARMER」より。
アメリカ・アーカンソー州の小さな田舎町、
ヒバー・スプリングスで写真館を営んでいた著者が、
1939年から1946年までに撮りためたポートレート集です。
もちろん名もなき人たちばかり、
しかし確かにこの世に生を刻んだ、ほとんどが亡くなっている人たち。
強く惹かれたあまりに、当時1万円も出して写真集を買いました。(笑)
過去のものは、決して自分を裏切らない。
現在進行中のものは、それに想いを託したとしても、
進化し、何れは自分を裏切っていく。
(『カフェー小品集)』 ~諦念とタンゴの調べより~)
何故にアンティークに惹かれるのか。
それはアンティークが過ぎ去りし日の残滓だからです。
時間軸に於いて、現在と未来は変容する浮気もの。
しかし過去はもう風化する以外、その存在を裏切ることがないのです。
現代と未来は常に予期を赦さず、僕達を攻撃してきます。
だけれども過去だけは、それがいくら邪なものであろうと
記憶のペンキを重ね塗れば、いとも易く美しいオブジェとして
静かに微笑みかけてくれるのです。
(『それいぬ』 ~アンティーク趣味と未来への不安に就いてより~)
嶽本野ばらさんの作品に繰り返し出てくるこういった考え。
すごくわかると思います。
現在と未来には不安がつきまとうから、
過去に浸っていると安らぐ。
私にもそういうところがあります。
これは嶽本さんの思想に通じるかどうかわからないけど、
私が以前から惹かれるものに、昔の肖像写真があります。
ポートレートってやつですな。
有名人のポートレートでなくてもいい。
目の覚めるような美男美女の写真でなくてもいい。
知った人の写真でなくてもいいんです。
むしろ、名もなき人々、誰?この人。って人。容姿も普通。
そういった写真に、強く、強く惹かれるのです。
老若男女、国籍。これはこだわりありません。
ただ、被写体の人が、すでに死んでしまっていること。
もしくは生きていても、はるか昔に撮った写真。
これが条件なのですね。
変でしょう。なんでかなと自分でもわからなかった。
だけど、それらの写真を見るとき、
「生きていたら何歳だろう」
「どんな人生を歩んだ人なんだろう」とか。
その人の背景、人となり、人生のドラマなど想像せずにはいられない。
それが楽しいんだと思う、安らぐんだと思う。
自分も、はるか昔から続いているこの世に生まれ生きていた人々。
この中の一人にすぎないと。そう思えるのがいいのかな。
未来は不安だし今はいろいろ悩みややることもあって大変。
だけど、こんなのははるか昔からみんなが経験してきたたことなんだよと。
そう思えるのがいいんです。
過去とつながることで、前を向けるっていうのかな。
いつの時代も、その時代に生きる人にとっては、未来は不安なものだった。
その不安な未来は、やがて過ぎ去り、どれも過去になってきた。
これまでこの世に生きた人たちが、みんな乗り越えてきたことだよって・・・
そう思えるのがいいんです。
ちょっと難しい話になったでしょうか。
昔はよかった、とか、過去を懐かしむ「懐古趣味」というと、
どうも逃避のイメージがつきまといますが、
こんなふうに過去に癒されるのは、悪いものではないでしょう。
野ばらさんの懐古趣味は、ちょっと後ろ向き?かな?
気持ちはとてもよくわかるけど。
掲載の写真は、「DISFARMER」より。
アメリカ・アーカンソー州の小さな田舎町、
ヒバー・スプリングスで写真館を営んでいた著者が、
1939年から1946年までに撮りためたポートレート集です。
もちろん名もなき人たちばかり、
しかし確かにこの世に生を刻んだ、ほとんどが亡くなっている人たち。
強く惹かれたあまりに、当時1万円も出して写真集を買いました。(笑)
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