最近、PCでの仕事をするとき、
作業的なもののときは
人の声が入っているものを
少々考える必要があるときには
自然音だったり、ピアノだったりをよく聞いています。
(You Tubeからひろって
画面を見ないで流しっぱなしにすることが多いです)
私はNLPでよく言われている
視覚、聴覚、体感覚のうち
聴覚は一番使っていないので
「聞きながら」ができるのだと思っています。
一番使っていない聴覚ですが
私は小学生のとき、
ピアノをちょっとやっていて
先生が新しい曲を弾くと
耳で覚えてしまって、楽譜をあまり見ないため
その後先生が弾いてくれなくなった、という思い出があります。
また、英語は話せないのにも関わらず
発音は真似することができるので
海外にいった時に
ネイティブからばーーーっと話しかけられることもありました。
ひょっとしたら、ですが
子どもの時には、聴覚が強かったのが
大人になる過程の中で
他の感覚を強く発達させる機会が多くなり
体感覚、視覚の方を強めていったのでは、と
推測をしています。
幼稚園のときには、ヤマハの音楽教室で
音と遊ぶことを週一回やっていたし
家で童謡のレコードをかけてもらって
(あぁ、時代を感じる!!)
それに合わせて踊ったり、歌ったり。
両親が「歌上手だね~」「踊り上手だね~」と
褒めてくれたことが、
私の音への関心、
聴覚の発達につながったのかもしれません。
どんな生活の、何が原因なのか
検証はなかなかできないとは思いますが
子どもの成長過程を観察することで
多少なりとも、私なりの結論はでてくるのかな、と思っています。
ちなみに今聴いているのは
いろんなピアニストが弾く
リストの ラ・カンパネラ。
こんな曲弾けるくらい、
ピアノ頑張ればよかった!!
人によって速度も違えば、強弱も違う。
やっぱりひとりとして同じ人はいないのだな、と思います。
作業的なもののときは
人の声が入っているものを
少々考える必要があるときには
自然音だったり、ピアノだったりをよく聞いています。
(You Tubeからひろって
画面を見ないで流しっぱなしにすることが多いです)
私はNLPでよく言われている
視覚、聴覚、体感覚のうち
聴覚は一番使っていないので
「聞きながら」ができるのだと思っています。
一番使っていない聴覚ですが
私は小学生のとき、
ピアノをちょっとやっていて
先生が新しい曲を弾くと
耳で覚えてしまって、楽譜をあまり見ないため
その後先生が弾いてくれなくなった、という思い出があります。
また、英語は話せないのにも関わらず
発音は真似することができるので
海外にいった時に
ネイティブからばーーーっと話しかけられることもありました。
ひょっとしたら、ですが
子どもの時には、聴覚が強かったのが
大人になる過程の中で
他の感覚を強く発達させる機会が多くなり
体感覚、視覚の方を強めていったのでは、と
推測をしています。
幼稚園のときには、ヤマハの音楽教室で
音と遊ぶことを週一回やっていたし
家で童謡のレコードをかけてもらって
(あぁ、時代を感じる!!)
それに合わせて踊ったり、歌ったり。
両親が「歌上手だね~」「踊り上手だね~」と
褒めてくれたことが、
私の音への関心、
聴覚の発達につながったのかもしれません。
どんな生活の、何が原因なのか
検証はなかなかできないとは思いますが
子どもの成長過程を観察することで
多少なりとも、私なりの結論はでてくるのかな、と思っています。
ちなみに今聴いているのは
いろんなピアニストが弾く
リストの ラ・カンパネラ。
こんな曲弾けるくらい、
ピアノ頑張ればよかった!!
人によって速度も違えば、強弱も違う。
やっぱりひとりとして同じ人はいないのだな、と思います。