覚えていますか?大好きな写真の1枚です。
色んな場所に行きましたね!日本全国・ロンドン・パリ・ブリュッセル・デュッセルドルフ・フランクフルト・ジュネーブ・ローマ・ミラノ・バルセロナ・ロス・サンフランシスコ・ボストン・シカゴ・ワシントン・ニューヨーク・・・
本当に寒かったけど、「おおーさみーっ!」っと言いながらみんなで歩けるこの季節が好きでした。
「まぼちゃん!まぼちゃん!」と何かを見つけると呼んでくれる声、頭から離れません。
この道はロンドンのグリーンロード。コンサートを終えて歩くつるさんはしばし無言で歩いていました。そうでしたね、つるさんは綺麗だったり、圧倒されたり、何かを感じると無言になります・・・そんな時は、何考えているんだろうな・・・といつも思っては少し後ろを歩きました。
この時もきっとそうだったんですね。
16年前、僕は一世一代の嘘をつきました。
誠さんには聞かされていないかもしれませんが。
どうしても音楽をやって生きていきたいと思った僕は、太鼓を叩けると嘘をついてみなさんの中に飛び込みました。幼少期から音楽に携わってきた音大生から見たそれは目を覆うものだったでしょう。でも、恥をかいても、悔しい思いをしても、どうしてもここに来たかったんです。
そして、あなたに出会いました。
サンバ・アフリカ・・・つるさんが苦労の末に手にしたものを厳しく、温かく、惜しげもなく教えてくれましたね。一日4ステージあるコンサートの一回を僕に叩かせてくれたのが人前でドラムを叩いた初めての僕のステージでした。
それから毎日叩きました、ずっと前を行く背中を見失わないように。
一日中パンデイロを叩きましたね・・・僕に基礎パターンを叩かせ・・・つるさんは色んなパターンを試していました。思えばあのパンデイロも僕が欲しいと言ったのを聞いて、つるさんが買ってきてくれたものでしたね。車を飛ばして、うちの前まで来てくれて・・・「おら!どうだ。」と言って差し出した黒い胴に透明なブルーのヘッド。僕の初めてのパンデイロです。
つるさん、誠さん、たっちゃんが30の時に立ち上げたGADOGADOの原型「おんすき」
そのころ僕は18歳か・・・出会いって不思議です、つるさんの存在すら知らなかったんですから。
GADOGADOの初ステージ、ヴォーカルをして歌ったのは藤枝市のホールでしたよね。
何気ないリハーサル・・・だけど本当に幸せでした。
数えきれないステージでしたが、ずっと忘れずにいることがあります。
北九州のホール・・・覚えてます?オケピットがあって、「下でやろうか!見えねーじゃん!あっはっは!」なんて言っていたところです。
リハーサルでいまいち乗らない感じで・・・俺、なんとかしなきゃ・・・って思って・・・
マイクスタンドで手振りをしながら歌わなきゃいけないのに、スタンドどけてぐっとマイクつかんで、広い舞台を走り回りながら歌ったんです。全体のテンションが上がったというか、音圧が上がるのを感じました。
リハーサル後、つるさんは僕を呼んで
「さっき、マボがマイクを掴んで歌ったろ?演奏がぐっと締ったよな。音楽って・・・バンドってそういうもんなんだよ。」と
この言葉、ずっと大切にしています。GADOGADOのフロントマンとして、シンガーとして、そして太鼓である時も。
最近は「まぼちゃんえらいよなー。ずっと進化してて。」と言ってくれていましたが、僕はどんどん進化していくつるさんにおいていかれまいと必死だっただけです。
つるさんがブラジル代表を見てサッカーを始めたように、僕はつるさんを見て打楽器を初め
つるさんが海外アーティストを見て衝撃を受けたように、僕はつるさんに衝撃を受け
つるさんをはじめGADOGADOの歴史に責任を感じ走ってきました。
そしてこれからも。
また、旅の話、たくさんしましょう。
MABO
色んな場所に行きましたね!日本全国・ロンドン・パリ・ブリュッセル・デュッセルドルフ・フランクフルト・ジュネーブ・ローマ・ミラノ・バルセロナ・ロス・サンフランシスコ・ボストン・シカゴ・ワシントン・ニューヨーク・・・
本当に寒かったけど、「おおーさみーっ!」っと言いながらみんなで歩けるこの季節が好きでした。
「まぼちゃん!まぼちゃん!」と何かを見つけると呼んでくれる声、頭から離れません。
この道はロンドンのグリーンロード。コンサートを終えて歩くつるさんはしばし無言で歩いていました。そうでしたね、つるさんは綺麗だったり、圧倒されたり、何かを感じると無言になります・・・そんな時は、何考えているんだろうな・・・といつも思っては少し後ろを歩きました。
この時もきっとそうだったんですね。
16年前、僕は一世一代の嘘をつきました。
誠さんには聞かされていないかもしれませんが。
どうしても音楽をやって生きていきたいと思った僕は、太鼓を叩けると嘘をついてみなさんの中に飛び込みました。幼少期から音楽に携わってきた音大生から見たそれは目を覆うものだったでしょう。でも、恥をかいても、悔しい思いをしても、どうしてもここに来たかったんです。
そして、あなたに出会いました。
サンバ・アフリカ・・・つるさんが苦労の末に手にしたものを厳しく、温かく、惜しげもなく教えてくれましたね。一日4ステージあるコンサートの一回を僕に叩かせてくれたのが人前でドラムを叩いた初めての僕のステージでした。
それから毎日叩きました、ずっと前を行く背中を見失わないように。
一日中パンデイロを叩きましたね・・・僕に基礎パターンを叩かせ・・・つるさんは色んなパターンを試していました。思えばあのパンデイロも僕が欲しいと言ったのを聞いて、つるさんが買ってきてくれたものでしたね。車を飛ばして、うちの前まで来てくれて・・・「おら!どうだ。」と言って差し出した黒い胴に透明なブルーのヘッド。僕の初めてのパンデイロです。
つるさん、誠さん、たっちゃんが30の時に立ち上げたGADOGADOの原型「おんすき」
そのころ僕は18歳か・・・出会いって不思議です、つるさんの存在すら知らなかったんですから。
GADOGADOの初ステージ、ヴォーカルをして歌ったのは藤枝市のホールでしたよね。
何気ないリハーサル・・・だけど本当に幸せでした。
数えきれないステージでしたが、ずっと忘れずにいることがあります。
北九州のホール・・・覚えてます?オケピットがあって、「下でやろうか!見えねーじゃん!あっはっは!」なんて言っていたところです。
リハーサルでいまいち乗らない感じで・・・俺、なんとかしなきゃ・・・って思って・・・
マイクスタンドで手振りをしながら歌わなきゃいけないのに、スタンドどけてぐっとマイクつかんで、広い舞台を走り回りながら歌ったんです。全体のテンションが上がったというか、音圧が上がるのを感じました。
リハーサル後、つるさんは僕を呼んで
「さっき、マボがマイクを掴んで歌ったろ?演奏がぐっと締ったよな。音楽って・・・バンドってそういうもんなんだよ。」と
この言葉、ずっと大切にしています。GADOGADOのフロントマンとして、シンガーとして、そして太鼓である時も。
最近は「まぼちゃんえらいよなー。ずっと進化してて。」と言ってくれていましたが、僕はどんどん進化していくつるさんにおいていかれまいと必死だっただけです。
つるさんがブラジル代表を見てサッカーを始めたように、僕はつるさんを見て打楽器を初め
つるさんが海外アーティストを見て衝撃を受けたように、僕はつるさんに衝撃を受け
つるさんをはじめGADOGADOの歴史に責任を感じ走ってきました。
そしてこれからも。
また、旅の話、たくさんしましょう。
MABO