山の案内 歩き日記 | ||
写真:左上(太鼓橋)/右下(眼鏡橋)/冬枯れの田園 享保用水路の太鼓橋の写真がないかと依頼があり撮影に訪れた。ついでに周辺を歩きながら冬枯れの田園風景も撮影した。 その昔、飯野平野は、広大な土地がありながら、水の便が悪く水田利用が出来ない状態であった。そこで、享保17年(1732)にフランス山の上流約200mに井堰をつくり、飯野平野に水を引くこととした。 用水路は、長さ6,800m、幅2.1mで山を削りながら作られており、途中には隧道5ヶ所あり、当時は測量器具もなかったため、夜に提灯を利用して高低を測りながら大変な苦労の末に完成した用水路である。 木材でやぐらを組み、それに50cm角の石を積み重ね、アーチの中央に親石として五角の石が組み込まれている。鹿児島県串木野の肥田佐兵衛氏が請負、切石は、この有島川の上流から木馬で運び出されたと言われる。軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。 |
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