池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

江戸へ下る

2011年12月23日 | 旅先の事
江戸へ夕方から下る事になった。
東海道をひた走る計画である。
本来ならばいつも関東方面へ出向く時には中仙道が走りやすいので
中仙道を利用するのであるが、この時期は雪の障害を考えて
春の訪問が木曽路に訪れる間では東海道だなぁ~と考えて東へ向かう事にした。
岐阜県垂井宿も丸亀製麺の釜玉うどんとかしわ天丼とはとはしばしの期間の
お別れである。
しかし、滋賀県内の主要道の通勤時間帯の渋滞は慢性的で
一昔前の田舎道の様相は全く無い。
この日は夕方で栗東市の渋滞を過ぎるとすんなりと流れて水口で予定の
給油を済ませてこれから長い道のりの約500kmの始まりとなる。
「ヨウ候~~~~!一丁行きまっせ~!!!」と
気を引き締めてスタートしたとたんに早くもその気が緩む。
気力の持続距離わずかに約500m
《丸亀製麺》発見!迷わず入店。
この頃では、いつもの釜玉うどんよりも釜揚げに少し注文の頻度が増えている。
それも大盛りで汁(つゆ)が二つ、たっぷりの生姜とねぎ、わさびとねぎの2種類。



体を温めて、鈴鹿を越えた後は浜名湖近くまで走りきって休憩をしようと
走っているのであるが少し名古屋近辺で睡魔が現れては消えていく。
とにかく走れるところまで走りきろうと浜名湖近辺の休憩をスルーして
いやはや、良く走ってきたモンで由比まで来てしまった。
かなり速いペースだ。ここで30分ほど休憩。
右は東海道線、相当なスピードで貨物列車が行き過ぎる。
左は東名高速道路の向こうは駿河湾。
真正面には昼間なら美しい富士山である。

沼津を過ぎ箱根峠にかかる頃の時刻は午前2時前。
ここを越えれば江戸の灯りも近い。
箱根新道が以前と違い無料になっていた。
急坂を下ると小田原。
西湘バイパスを利用せずにひたすら国道一号線を東に走る。
茅ヶ崎、江ノ島を右に見て道は少し北北東に向きを変える。
保土ヶ谷でギブアップ。睡魔との闘いの限界これ以上の運転は危ない。
1時間の仮眠。不思議なモンですっきり。
これができないと重大事故につながる。

横浜で国道15号(第一京浜)に。
もう着いたも同然。午前6時きっちりに目的地に到着した。



大井競馬場より海側の運河は朝早くから行きかう小船の風情が大変に長閑だ。
朝の気ぜわしい時間なのにここだけは少し時間の流れが緩やかなように感じる。

東京モノレールの大井競馬場駅から大井競馬場の裏方が見ることができる。
馬がいて人が居る。当然であるが疲れた脳内にはそれが楽しくも感じてしまう。



移動で大井競馬場駅から東京モノレールを浜松町まで利用し、
山手線に乗り換えて東京駅へ出た。八重洲口で少しの時間待ち。
駅地下のマクドナルドで軽い浅食をとる
そこに集う八重洲口の時間待ち女性は皆上品で美しい。
でも、隣の席はハズレ。アウト。
向かいの席の妙齢清楚美人の眠たそうな眼と半開きの赤い輝く唇に吸い込まれる
マックフライポテトが艶っぽくて見とれてしまう。
《東男に京女》という言葉があるが、そんな彼女と私とが、
《東女に京男》を少し夢見てにやけてしまう。
まったくのバカな自分に相変わらずだなと確認印を押した。



仕事を済ませ、帰りは中央道で帰ることにした。
山へと続く高速道路は本当にユーミンの歌うがごとく空への滑走路である。
登り坂が多い。



予想に反して雪が無い。快適。景色は澄んだ冬の空気の中で雄雄しき山々が
何かを見る者に語りかけているようにさえも感じてしまう。
それは挑発的同姓的文言で表すのが適当であろう。
即ち、「なんか文句あるんか~?」的文言だ。

矢沢永吉 東京


やしきたかじんの《東京》とブログ掲載をどちらにするかを
悩んだのであるが、自身の気持ちとカッコよさでエーちゃんにした。
江戸へ向かう途中、頻繁にメールをくれた女子への、
私の素直になれない気持ちの表現でもある。

しかし、本当にかっこよすぎます。

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