これほど、心情を具現した音の表現は無い。
もともとショパンのピアノ曲は好きなのであるが・・・・。
と、書き出しは好きなピアノ曲の音色から感じる感情を表現して今回のブログの
文面をスタートする事にする。
先ずはお聞きいただき心を鎮めてもらいたく思う。
Chopin-Etude no. 3 in E major, Op. 10 no. 3, "Tristesse"
今ではもう回りは冬の風情があふれてきていて、
街の店々は12月のクリスマスや歳末商戦を迎えるショーウインドウや
店の飾りつけも見受けられるようになってきている。
私の住む山の中でも民家の軒からあのイルミネーションを飾り付ける家々も
ちらほらと見受けられるようにになってきた。
なかなか古民家でのあの飾りつけはアンマッチなようであるが、
意外であるが茅葺にも良く似合うものである。
好ましいと感じる事さえある。
さて、
この季節一番私は移ろい行く季節を感じる季節でもある。
明の季節から暗の季節への急坂を転げ落ちるように季節の移ろう速度は
加速度を増して秋は急速に冬へと変化する。
私はこの時期、仕事に熱中している季節から少し手の空く季節を迎えて
物事を考える事が多くなる時期でもある。
以前、主としていた仕事では、この時期からすごく忙しくなり、
そのように考える事は皆無であったのであるが・・・・・・・・。
山中に住み始めてからその仕事の呪縛から解き離れた心中には
あの、常に緊張した張り詰めた糸の張力の張り直しと確認の連続の毎日が
懐かしくもあり、又、その緊張がなくなった今では、
その緊張の糸が無くなった事が寂しく切ない時も有り、
常に感傷的な心情が湧き出ているのも実際である。
よって、何を見て、何を感じて、何を話をしても独りになれば
ふさぎこむ事の日々が増えつつあるのも感じている。
決して弱くなったのではなく、真面目に真摯に真剣に考えれば考えるほど
その刹那の万物の事象に遅れまいとする焦る気持ちや、
その刹那な事象に追いつけず、時節の流れに乗り切れず思い通りにできない
悔しさが自身で悔しくて仕方がない。自己反省のみしかないのが現状である。
弱くなった折れる気持ちが自身で悔しいのである。
自然を見てみると、春に桜が咲き、夏に蝉が鳴き、秋に木々の葉が色付き、
冬には低く垂れ込めた灰色の空から雪が降る。
これは変わらぬ超太古からの自然の常識的時間経緯であり毎年繰り替えされる
あまりにも当たり前な事象。
その中に生きている私も自然の一部なのであるが、
それを理解しているつもりでも考える事はやはり自身の行く末。
突き詰めて今からの自身の今後をどうしても考えてしまう。
物事の成り立ちや科学に裏付けられた実証を突き詰めて観察し研究し
実行する場合のようではなく、どうしても自身の心中を深く真剣に
考えてしまうと悲しくなる。
私はいったい何を今までしてきたのかこれから何をしようとするのか?
これだ!という目標が定まらない。これが実情。
《突き詰めて心中の行く末の先を読み切る事ができずに居る事が、
これほど苦しい事はない。》
と、いうのだけは最近理解ができた。
もともとショパンのピアノ曲は好きなのであるが・・・・。
と、書き出しは好きなピアノ曲の音色から感じる感情を表現して今回のブログの
文面をスタートする事にする。
先ずはお聞きいただき心を鎮めてもらいたく思う。
Chopin-Etude no. 3 in E major, Op. 10 no. 3, "Tristesse"
今ではもう回りは冬の風情があふれてきていて、
街の店々は12月のクリスマスや歳末商戦を迎えるショーウインドウや
店の飾りつけも見受けられるようになってきている。
私の住む山の中でも民家の軒からあのイルミネーションを飾り付ける家々も
ちらほらと見受けられるようにになってきた。
なかなか古民家でのあの飾りつけはアンマッチなようであるが、
意外であるが茅葺にも良く似合うものである。
好ましいと感じる事さえある。
さて、
この季節一番私は移ろい行く季節を感じる季節でもある。
明の季節から暗の季節への急坂を転げ落ちるように季節の移ろう速度は
加速度を増して秋は急速に冬へと変化する。
私はこの時期、仕事に熱中している季節から少し手の空く季節を迎えて
物事を考える事が多くなる時期でもある。
以前、主としていた仕事では、この時期からすごく忙しくなり、
そのように考える事は皆無であったのであるが・・・・・・・・。
山中に住み始めてからその仕事の呪縛から解き離れた心中には
あの、常に緊張した張り詰めた糸の張力の張り直しと確認の連続の毎日が
懐かしくもあり、又、その緊張がなくなった今では、
その緊張の糸が無くなった事が寂しく切ない時も有り、
常に感傷的な心情が湧き出ているのも実際である。
よって、何を見て、何を感じて、何を話をしても独りになれば
ふさぎこむ事の日々が増えつつあるのも感じている。
決して弱くなったのではなく、真面目に真摯に真剣に考えれば考えるほど
その刹那の万物の事象に遅れまいとする焦る気持ちや、
その刹那な事象に追いつけず、時節の流れに乗り切れず思い通りにできない
悔しさが自身で悔しくて仕方がない。自己反省のみしかないのが現状である。
弱くなった折れる気持ちが自身で悔しいのである。
自然を見てみると、春に桜が咲き、夏に蝉が鳴き、秋に木々の葉が色付き、
冬には低く垂れ込めた灰色の空から雪が降る。
これは変わらぬ超太古からの自然の常識的時間経緯であり毎年繰り替えされる
あまりにも当たり前な事象。
その中に生きている私も自然の一部なのであるが、
それを理解しているつもりでも考える事はやはり自身の行く末。
突き詰めて今からの自身の今後をどうしても考えてしまう。
物事の成り立ちや科学に裏付けられた実証を突き詰めて観察し研究し
実行する場合のようではなく、どうしても自身の心中を深く真剣に
考えてしまうと悲しくなる。
私はいったい何を今までしてきたのかこれから何をしようとするのか?
これだ!という目標が定まらない。これが実情。
《突き詰めて心中の行く末の先を読み切る事ができずに居る事が、
これほど苦しい事はない。》
と、いうのだけは最近理解ができた。