池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

こんな~んつくろ~~~~~っと!!!!(小枝読み)

2010年05月31日 | 私の仕事
発想のスタートは全て私の場合思い付きによるところが多い。

こんな形で商品化ができるやん!
この容量で充分やん!
あそこのお店においても~たら売れるんとちがうか~?

商品を作る前にちょっとした《くすっと笑える冗談みたいな会話》から
商品が出来上がることが多く、又サンプルが出来上がってくるまでの時間が
すこぶる早いと自慢できる。

で、今回はお米の販売方法。
疑問からの商品開発のスタートをはじめた。
使いきれる容量がパッケージされた商品がない。
一人暮らしで最小2キロ詰めは残すの場所とる事が多い。
袋がダサい!
自然で優しさがある包材を開発できないか?

以上を思考する事しばしだがひらめきも早い。

作ったのが下記の商品。

食味ランク特Aの 丹後コシヒカリ!!2合入 スペシャル~~~~!



30キロ入る米紙袋をそのまま2合いりに作り変えた。
素朴で優しくリサイクルも簡単。
地球にやさしいパッケージを考えてみました。

ペット容器やプラスティックをリサイクルするのに多大な二酸化炭素を排出し、
利益に群がるセコイ欲張り者の存在が指摘されている今日この頃、
本質の地球の優しさを維持する為にこの素材が一番やろな~と思ったが、
森林破壊をしているぞ~と言われたらど~しょ~?と、
今、気が付いている。




区切りをつける。

2010年05月20日 | 言わせてもらいます。
今月末に自分で考えている生涯の3分の2を終了し3分の1を残すだけになる。
で、
今月中に今後の人生の事について全ての身の回りを見渡して
全ての区切りをつけることにした。

今から整理を始めても遅いかもしれないが、残りの生涯の準備をしなくてはいけない。

今日から、自分がしておかねばならない事は何か整理してみた。

①将来性のない事はしない事
②無駄にしている事は止める事
③時代に合わないことはしない事
④我慢しなければいけないことは止める事
⑤肉体的に悪い事は止める事
⑥ストレス感じる事はしない事
等・・・・・
等・・・・・
等々・・・・

今の関わっている事全て切り捨て更新しなければいけない。

いったい、私は今まで何をして何を残してきたのか悩んでしまう。

人生ソフトのアップグレードのダウンロードの為に旧ソフトの削除に
すごく時間がかかりそうだ。

又、これからの人生ソフト内のセキュリティソフトのウイルスに対する
防御性能は必ず低下するので、感染する恐れの有るサイトへの接続や
信憑性のないメール受信も控えなければならない。

昨夜遅くまで、友人と話して感じた事である。

考えを逆にしてみると、
次々と過去の愚行を踏み越える事を考えると新しい行動力が沸く。

これも不思議だ。

明日は父親の依頼で印鑑証明を取りに行く。
持つもの全てを廃棄し整理してみようか?と思っている。

現実、
飛ぶ物は力尽きたり、飛ぶ為の機能が損なわれると必ず落ちる。
落ちればバ~ラバラ!生命はない。
周りの見張りを怠ったが為に不意の一撃や
反撃するも弱点突かれた一撃で力尽きたり、
飛ぶための機能が働かず落ちる。

他人事のように傍観できる自分も明日はわが身
なんて非情で恐ろしいことなんだ。
戦時だけの事ではないと最近実感した。

">

淋しいくせにかっこええ~~~~

2010年05月14日 | 昔の事
楽しくうきうきする音楽は無いもんであろうかとあれこれ検索しているうちに
スゥイングの検索ワードで行き着いたところが
エディー・コンドン!

トランペットでないコルネットのソロがメインの曲である。
淋しいのにどこかうきうきするその曲調は単調なマーチテンポながら
詠うコルネットの響きがすばらしい!




子供のときに遊び足りなかったり、少し友達とイサカイがあつた公園からの帰り道、
仲間とはなれて木切れでも蹴りながら一人で家にたどり着いたら、
母が作る夕食が好物のククレカレーやった時のような
食べ物だけでけろっと忘れてしまう《まあいいか、またまた明日》的
心地よさがあるように感じる。
できるなら、何とかなるさ的少し開き直り感情も混ぜてみたい。

しかしこの頃、音楽ネタが多い。
というよりも、
他の話題が沸いてこない。
感性の休止状態でも有る事は自覚できている。


自社農園の持つという事

2010年05月03日 | 野菜作りの事
昨今、納品先の販売店様の多くが自社で農産物の品質基準を施行したり
栽培の管理をしていたり、又、季節の野菜や地場の特産野菜の栽培を
地元の農家さんと契約をしていたりして、その販売方法と流通《筋道》の変化は
既存の市場流通と対極方向に進んでいるようになってきたように思う。
この事は好ましい事と評価をしたい。

地場で地場の野菜を食べる。
地場で旬野菜を旬の時期に美味しく食べる。
地場で作られた野菜を地方に進物にする。

京都の卸売市場は昔より、遠地よりの流通野菜と京都近郊産の野菜の競売り場は
別に開市され、同じ白菜でも京都産や滋賀県産と他府県産の野菜とでは
取り扱う仲買問屋も区別されてきた。
この流通形態が有ったので、地場消費だけではなく京野菜としてほぼ全国へ
流通とその名を広める事ができたのではないかと思う。

そこで、先日、大阪の有る販売店さんが小規模ながらも自社で販売する野菜を
自社経営の農園で作っているときいた。
富田林で行っているらしい。

有る野菜産地で、広大な敷地で野菜を作っていてその企業の看板を見る限りでは
その系列店販売で使用するものであろうか?見受けたことがある。

中小の飲食店さんや八百屋さん農産加工の業者さんでも自分の事業規模に応じた
契約先である農家がが見つかれば
好みの野菜が手に入れる事も可能である。
今後はこのような、直栽培、直販売の形が主になってくるであろうし
農家に近い八百屋さんがこの頃は増えてきつつあるように思う。
見渡せばおしゃれな青果販売店が増えてきた。
本当に雑貨屋さんのようなかわいい青果店が増えてきて、
四季の彩りが訪れるたびに楽しくて仕方がない。

野菜マニアの私としては、ここで青果店が栽培技術の実際を少しだけ経験すれば
もっと種類の開発と食材としての提案と販売ができると思うのであるが・・・・・

しかし、この連休中は良く晴れている。
この初夏の空の色と乾いた空気と紫外線たっぷりの有害日差しは
相当昔に行った事のある当時《憧れのアメリカ西海岸》である。
LA郊外のコロナスピードウエイで夜にアマチュアモトクロスレースが
行われていたな~などと懐かしく思い出す。
で、
アルバートハモンド・《カリフォルニアの青い空》
恋を歌わない内容と人生の苦労や頑張りの結果の報われなさを歌う
歌詞の意味は切ないが《カリフォルニアの青い空》と意味のそぐわない
邦題が付くと曲調はさわやかで明るいから受け入れやすかったので
日本で流行ったのかもしれない。






































突然という事

2010年05月02日 | 言わせてもらいます。
《突然》にと思う事が多くある。
最近、新しい取引先様との商談が《突然》湧き出す事も多いし、
対人関係に《突然》に問題が起きたり、その事が《突然》に解決もする。
本来は《突然》ではなくその問題事象が露見するまでに私が気がついて
いないからなのであるが、分かりつつも不安や問題事象に対する気分の悪さから
苛立ちが先立ち、カリカリしてほとほと自己嫌悪に陥りしんどくて仕方ない。

新年を迎えてから4ヶ月も過ぎた、新年1月より生活環境の変化や
仕事に対する取り組みの新しい展開変化があったのであるが、
必然と前の生活環境や仕事の内容に戻ろうとしているのであるから
なぜかしら不思議すら感じる。
結局、下手な考えを駆使するのではなく、
以前の生活や仕事の内容が私の本意で本当の良策の本筋であつたのかもしれない。

で、《突然》について・・・・・・・

《突然》という言葉は、自発を伴わなくて外的な要因が主の意味を持つ。
他覚的な事象や意味を含む場合が多い
即ち受身の事柄や外的要因に対しての時間的短さや驚きを表す言葉でもあろうか?
自覚として自分の意思から《突然に~》という言葉は生まれない。・・・と思うが・・

《突然》に辞令を受けた。《突然》に解雇された。《突然》出会った。
少し違うかもしれんな~。

写真は良く行く病院に咲く緑の桜《御衣黄》私にとっては悲しく見える桜。



↓下記URLクリックで拡大画像が表示されます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a3/921f3d59a7c7cf131698b3060bae7a3d.jpg

《突然》の身内の若い死に直面した本日、《突然》を考えてみた。

もやもやとした私の周りに有る気分の悪くなる精神的軋轢の空気は
自営業そのものを否定しつつあるし、社会に役に立つているのであろうかと
疑問すら感じる始末である。
しかし、周りの支えてくれる方々からのご依頼に対して答えているうちが
私を評価してくれているのだとも安堵の気持ちでもいられるのである。

辛いけれども安心。安心だけれども辛い。

こんな日にはなぜかしら内山田洋とクールファイブを歌う。
あああ・・・・・余計にもやもやする。