雪の積もる前日の午後から、大阪を徘徊した。
特に大丸心斎橋から心斎橋を南へ向けて。
食べたい物と見てみたいところがあったからだ。
御堂筋の日航ホテル側から見る大丸心斎橋店の姿は美しくさえある。
少しも昔と変わらぬ佇まいを見せる。
しかし、どうも1階の赤のテントの張り出しがイマイチ建物本来の美しさを
壊しているようにも思えるのだが、いかがであろうか?
私なら、深緑の帆布を使ってみたい。
その大丸の南側の通りを東に歩き心斎橋筋を横切るとすぐ右手のお店を
目当てに行ったのであるが休業日。
残念である。
このお店は、私が大阪で仕事をしている在住時代に休日にバイクに乗らない日は
必ず晩御飯を食べていた店である。
近々、再び行く予定なのでこのブログで紹介しようかと思う。
創業から100年近いお店。
心斎橋筋を次の目当ての店へと歩く事にした。大手の楽器屋さん。
が~~~~ん!ここも休業日。
昼ごはんを食べていないので中途半端な時間で凄くお腹が空いていて、
う~~~~ん?≪不二家≫だぁ~~!
そのレストランのショーケースに惹かれてしまう。
が、
それを通り越すと左手に、
お~~~~~っ!懐かしい!≪心斎橋 ミツヤ≫ここ全く昔のままやん!
ショーケースのメニューサンプルすら懐かしい!
思わず入店。
強烈な昭和レトロの鏡張りだらけの壁と暖房の効いていないテーブルが
なぜか気分が落ち着く。
応対した若いウエイトレスさんに尋ねると、
即答で「創業62年目です!」
必ず古いお客様が訪れて聞かれる文言が一緒なのであろう。
なんと、いかにも商売人の町らしく、ランチメニューが午後5時まで
滑り込みセーフでそのランチメニューが下の画像です。
このような繁華街で≪ヤッスゥ~~~!689円!≫
お味の方は超昭和レトロな味でございました。
そのミツヤの店内でどこからか餡子の話が聞こえるので耳を傾けていた私は
「甘味は絶対に法善寺やん!」と思い食後の一服もせず、そちらに颯爽と足を向ける。
心斎橋を南へ、道頓堀橋の上はいったいナンなんだろう?
ひどい風情の崩れようだ。というよりも乱れまくり。
ここだけは幻滅で、もう勘弁して欲しい雰囲気。
≪カニ道楽≫からは焼きガニの美味しい匂いがする。
これはたまりません!
長年来ていなかったので、そんな昔の香りも懐かしく道頓堀筋を東にしばらく・・・
千日前のアーケードを南へ向かうが・・・・・?
ん・・・・・?
千日前通りを渡った。
なんば花月の前まで来て気が付く。
あ~~~~!
≪自由軒≫のライスカレーまでミツヤで挫けた空腹感を我慢すれば良かった。
で、
法善寺は千日前通りよりも北側。したがい戻る。
夕暮れ深まり、提灯の薄明かりがなんとも美しい横丁と水掛不動のお堂周りである。
ひっきりなしに、お参りの方々が水を掛け線香を手にされている。
なんともいえない雰囲気がある。
そして何よりも空気が澄んでいるし騒音が無い。
大阪の繁華街の真ん中のビルの裏側に入るだけでこのような石畳に打ち水の似合う
町並みが存在するのである。
水掛不動さんは昔と変わらずとにかく真っ黒けに苔むしている。
日が暮れているビルの谷間ではなおさらその表情は見る事ができない。
また、写真に収めようという考えが起こらない場所でもある。
そんな風情に酔いつつもお目当ての≪夫婦善哉≫をいただく事にした。
このサイズにしてはちょっと料金お高い目であるが、
そこは風情と歴史に感謝しながらいただく事にする。
甘いものは、やはりホッコリするものだ。
法善寺横丁から御堂筋へ戻る事にした。
その路地には粋なオネーさんや、いかにもな西川ヘレン風のご婦人も
ちらほら見受ける事があった。
しかし、よくよく人間観察しているとどうも暇そうなオヤジが多いし、
職業柄の個性的な方々の常住日常の活動時間帯の中に迷い込んだようである。
死神博士か?と思うような紳士ともすれ違う。
途中、≪ぼてじゅう≫仲店が閉店し移転して他店と統合されている張り紙を残念に
思いながら、御堂筋の≪播じゅう≫の南側に出てしみじみと子供の頃を思い出す。
播じゅうのお食事はお財布の中身に冒険が必要かもしれないので行きたいけれど
要調査である。
たしか、御堂筋に面して大衆すし屋があったようだが影も形もなくなっていた。
月の法善寺横丁 藤島 桓夫
大阪のこの日歩いた地域は、先の大戦で甚大なる空襲の被害に合い、
焼け野が原から立ち上がり発展した地域でもある。
戦後になって新生大阪の都市計画に準じて新しい人たちが
職や食を求めて地方から多く流入したに違いない。
その中で、創業から年数の長い企業か残っている事は特筆に価すべきことでは
無いか等と考えてもみた。
空襲の被害が無いに等しく少なかった京都市内は大阪と比べ物にならないほど
古いものは現存数は半端無く多いと思う。
多くの古い考え方を一気に空襲により焼失した大阪に比べて
残ってしまった京都はそれ故に超保守的な考え方の方々が多く、やりにくい。
しかぁ~し!そんな京都でも最近では、
本当にその古いものを生かし受け継いでいるものを市中で見つける事は
この頃では皆無に等しくなりつつある。
京都風が溢れ過ぎているからがその要因であろうという事は直ぐに察しが付く。
大阪はいつまでたっても大阪。
雑多の中に昔から光るものがキラリと息をする街である。
特に≪味ののれん≫に関しては、他地域では見られないものを見つける事ができるし、
実際、それを拾い手に取る事が安易にできるそんな街である。
まやかしの≪京都の味ののれん≫には触れたくも無いのがこの頃の私の本音である。
かばん屋の呼び込みのマイクロホンのように感じて止まないから。
水に濡れるとそのかばんは美味しそうに猫がかじる。
特に大丸心斎橋から心斎橋を南へ向けて。
食べたい物と見てみたいところがあったからだ。
御堂筋の日航ホテル側から見る大丸心斎橋店の姿は美しくさえある。
少しも昔と変わらぬ佇まいを見せる。
しかし、どうも1階の赤のテントの張り出しがイマイチ建物本来の美しさを
壊しているようにも思えるのだが、いかがであろうか?
私なら、深緑の帆布を使ってみたい。
その大丸の南側の通りを東に歩き心斎橋筋を横切るとすぐ右手のお店を
目当てに行ったのであるが休業日。
残念である。
このお店は、私が大阪で仕事をしている在住時代に休日にバイクに乗らない日は
必ず晩御飯を食べていた店である。
近々、再び行く予定なのでこのブログで紹介しようかと思う。
創業から100年近いお店。
心斎橋筋を次の目当ての店へと歩く事にした。大手の楽器屋さん。
が~~~~ん!ここも休業日。
昼ごはんを食べていないので中途半端な時間で凄くお腹が空いていて、
う~~~~ん?≪不二家≫だぁ~~!
そのレストランのショーケースに惹かれてしまう。
が、
それを通り越すと左手に、
お~~~~~っ!懐かしい!≪心斎橋 ミツヤ≫ここ全く昔のままやん!
ショーケースのメニューサンプルすら懐かしい!
思わず入店。
強烈な昭和レトロの鏡張りだらけの壁と暖房の効いていないテーブルが
なぜか気分が落ち着く。
応対した若いウエイトレスさんに尋ねると、
即答で「創業62年目です!」
必ず古いお客様が訪れて聞かれる文言が一緒なのであろう。
なんと、いかにも商売人の町らしく、ランチメニューが午後5時まで
滑り込みセーフでそのランチメニューが下の画像です。
このような繁華街で≪ヤッスゥ~~~!689円!≫
お味の方は超昭和レトロな味でございました。
そのミツヤの店内でどこからか餡子の話が聞こえるので耳を傾けていた私は
「甘味は絶対に法善寺やん!」と思い食後の一服もせず、そちらに颯爽と足を向ける。
心斎橋を南へ、道頓堀橋の上はいったいナンなんだろう?
ひどい風情の崩れようだ。というよりも乱れまくり。
ここだけは幻滅で、もう勘弁して欲しい雰囲気。
≪カニ道楽≫からは焼きガニの美味しい匂いがする。
これはたまりません!
長年来ていなかったので、そんな昔の香りも懐かしく道頓堀筋を東にしばらく・・・
千日前のアーケードを南へ向かうが・・・・・?
ん・・・・・?
千日前通りを渡った。
なんば花月の前まで来て気が付く。
あ~~~~!
≪自由軒≫のライスカレーまでミツヤで挫けた空腹感を我慢すれば良かった。
で、
法善寺は千日前通りよりも北側。したがい戻る。
夕暮れ深まり、提灯の薄明かりがなんとも美しい横丁と水掛不動のお堂周りである。
ひっきりなしに、お参りの方々が水を掛け線香を手にされている。
なんともいえない雰囲気がある。
そして何よりも空気が澄んでいるし騒音が無い。
大阪の繁華街の真ん中のビルの裏側に入るだけでこのような石畳に打ち水の似合う
町並みが存在するのである。
水掛不動さんは昔と変わらずとにかく真っ黒けに苔むしている。
日が暮れているビルの谷間ではなおさらその表情は見る事ができない。
また、写真に収めようという考えが起こらない場所でもある。
そんな風情に酔いつつもお目当ての≪夫婦善哉≫をいただく事にした。
このサイズにしてはちょっと料金お高い目であるが、
そこは風情と歴史に感謝しながらいただく事にする。
甘いものは、やはりホッコリするものだ。
法善寺横丁から御堂筋へ戻る事にした。
その路地には粋なオネーさんや、いかにもな西川ヘレン風のご婦人も
ちらほら見受ける事があった。
しかし、よくよく人間観察しているとどうも暇そうなオヤジが多いし、
職業柄の個性的な方々の常住日常の活動時間帯の中に迷い込んだようである。
死神博士か?と思うような紳士ともすれ違う。
途中、≪ぼてじゅう≫仲店が閉店し移転して他店と統合されている張り紙を残念に
思いながら、御堂筋の≪播じゅう≫の南側に出てしみじみと子供の頃を思い出す。
播じゅうのお食事はお財布の中身に冒険が必要かもしれないので行きたいけれど
要調査である。
たしか、御堂筋に面して大衆すし屋があったようだが影も形もなくなっていた。
月の法善寺横丁 藤島 桓夫
大阪のこの日歩いた地域は、先の大戦で甚大なる空襲の被害に合い、
焼け野が原から立ち上がり発展した地域でもある。
戦後になって新生大阪の都市計画に準じて新しい人たちが
職や食を求めて地方から多く流入したに違いない。
その中で、創業から年数の長い企業か残っている事は特筆に価すべきことでは
無いか等と考えてもみた。
空襲の被害が無いに等しく少なかった京都市内は大阪と比べ物にならないほど
古いものは現存数は半端無く多いと思う。
多くの古い考え方を一気に空襲により焼失した大阪に比べて
残ってしまった京都はそれ故に超保守的な考え方の方々が多く、やりにくい。
しかぁ~し!そんな京都でも最近では、
本当にその古いものを生かし受け継いでいるものを市中で見つける事は
この頃では皆無に等しくなりつつある。
京都風が溢れ過ぎているからがその要因であろうという事は直ぐに察しが付く。
大阪はいつまでたっても大阪。
雑多の中に昔から光るものがキラリと息をする街である。
特に≪味ののれん≫に関しては、他地域では見られないものを見つける事ができるし、
実際、それを拾い手に取る事が安易にできるそんな街である。
まやかしの≪京都の味ののれん≫には触れたくも無いのがこの頃の私の本音である。
かばん屋の呼び込みのマイクロホンのように感じて止まないから。
水に濡れるとそのかばんは美味しそうに猫がかじる。
同じ日 南森町に着いて 正午に西天満におりましたよ
そのあと そばよしで縁起のいい蕎麦を食ったあと 中入り後の繁盛亭で笑福亭福笑を見ておりましたよ
もし今も変わっていないのなら NGKのプログラムと繁盛亭のそれとでは明らかな違いが 楽屋の雰囲気が高座を作っているという それがナンバにはなかった 最後に見た5年前ですけど
木下大サーカスって テレビのショウそのものの演出に5年前には変身しておりましたよ これは 5年程の間に
mmmm・・・・ 来月は ドウラクテイを見物の予定
ナンバNGKもそろそろ一回みとかなあかんのですけど
カッチャン でした