池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

いつも明るく元気な叔母の怖い話。

2009年06月23日 | 昔の事
以前よく北山の山中をバイクで走り、
自然を満喫していた時に行った場所なのであるが、
加茂川を雲ヶ畑方面に少し行くと京都バス大岩バス停があり、
その付近から右手に谷が始まり林道が取り付けられていて、
途中分岐して東へ向かう一方の道は東海自然歩道で、
夜鳴峠を経て鞍馬電車の二ノ瀬駅の富士神社の横のできる道がある。
その林道を夜鳴峠方面へ向かわずに、直進すると長く林道が続き、
行く手はバイクでは無理な採石場の跡であろうかコンクリートの構築物で
道は行き止まりになる。
しかし地図や、北山ハイクガイドでは、二ノ瀬駅から始まる古道の《二ノ瀬ゆり》の
大岩分岐なる広場に到達するはずだが?

この谷を栗夜叉谷というのである・・・・・。

この谷の出来事に、気のいい上賀茂の叔母から聞いた終戦直後の話がある。
叔母によるとその栗夜叉谷に行くと奇妙なことが起こるというのである。

山仕事をしていると、奇妙な音がするらしい。
鎖を引きずり歩く音がどんどん近づいてくるらしいのである。
同様に付近で作業をしている人たちも何人もの人が、
同じ現象を聞いている。

ジャラジャラじゃらじゃら・・・・・・。歩く歩調で。

だから、夜叉という所以なのであろうか?
そんな話を聞いてしまったので、あまり無用に立ち入ることは避けようと
思うのであるが。



【少し以前の写真になるが携帯電話の画像ゆえイマイチ不鮮明。
 バイク乗車のまま登れるかきわどい階段を夜鳴峠方面へ上ってみた。
 この先で、つずら折れの細道になり夜鳴峠から二ノ瀬へ通じる。
 オフロードバイクでは無理?トライアルバイクなら何とかなるかな?の程度。
 峠から向こうの現状は未調査】

北山の山奥には、なぜこんなところに地蔵があるのであろうか?とか、
この石組みは自然にできたものではないな、と、思う場所があったり、

いかにも空気がよどんでいる場所があったり、
山中なのに誰かに見られているような気がする場所がある。
気のせいであるが科学的な証明を山中で起こりうる事や感じることに
すべも無いのであるが薄気味の悪いところが多々ある。

特に何を採掘していたのであろうかいたるところにコンクリートの堅牢な構築物
が、山中の谷間に忽然と姿を現すところが多いことにも注目しなければいけない。

前記の二ノ瀬の集落を貴船口駅方面に車を走らすと、
右手にコンクリートの構築物もそうだし、
雲ヶ畑岩屋橋から祖父谷をしばらく行くとすぐ右手にある構築物もである。
皆同様の形をしているので付近で何かを採掘していたことに間違いは
ないのであるが?誰かご存知でしょうか?

何より、栗夜叉谷は、やはり何かあるんでしょうか?
ご存知の方いかがです?

夜叉については、下記を参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E5%8F%89


ここに比叡山への道しるべがある

2009年06月19日 | 身近な歴史風景
本日も、先日に引き続いて午前中は鞍馬へ訪問した。
少しお届けするものがあったからである。
帰り際少し気になるものがあったので写真に収めたのが下の道標石である。



《右 京みち》と彫られた面の左面には、《左 ひえいさんへ》の表記がある。

ここから比叡山へは、少し距離があるが、たぶん古来、
日本海側、特に若狭方面から京へ入るにはこの鞍馬街道が最短距離のはずで、
この鞍馬門前から東に薬王坂を越え、静原に至り、江文峠を越えて大原より
比叡山を目指すのが最短の道であると解釈をした。



鞍馬は、門前の町でありながら、その昔は北山奥深くの物資の集積地であった。
この写真の正面の石段は鞍馬寺の石段で街道は右へ折れだらだらと登り坂が続く。
この石段の袂に警察官駐在所があり、ここのパトロールバイクが
ホンダTLM125であることも興味が深く思う。
林道や古道で起こった事故に迅速に対応できる装備を配備していることは
すばらしい。シングルトラックを走行するには最適のバイクである。

300Mほどの町並みは、鞍馬温泉の入り口を最終に途切れ、
花背峠への序章が始まる。今の舗装道路は昭和の時代に整備されたものであるが
たいそう狭く厳しい上り坂であることは承知であろう。

鞍馬の町並みとよく似た性格を昔に有したのは、他近隣では、
違う方向で道のりであるが若狭、日本海側との要衝路である長坂越
《京見峠方面へ至る古道》への入り口である鷹ヶ峰の軒並みにも似ている風情が
見受けられる。



一日数本、京都バスが出町柳から、広河原まで運行されている。
乗っている乗客のほとんどが北山に魅せられた方々といってもいいのではないで
あろうか。登山装束のよく似合うバスも珍しく思う。

鞍馬のこだわり人

2009年06月18日 | 楽しい人
朝早くから仕事を開始し、少し時間が空いたので貴船のあの料亭やら、
あのお宿を訪問した帰りに、鞍馬駅前の多聞堂さんを訪ねた。



アルバイトさんであろうか?若いはつらつとしたお嬢さんが店内を掃除していた。
いつも颯爽とスレンダー美人の女将さんは、
さわやかなお方でどなたにも高感度100%である。
ここの牛若餅は鞍馬訪問時には必食をおすすめする。



訪問の目的は・・・・・・・
自店で販売する商品の開発と鞍馬山中の産物にこだわりぬいた素材を使用した
山椒をふんだんに使用した佃煮をこの女将さんに作ってもらうためのである。

「私が炊くより、頼んだげる。」
「池ちゃんの考えてることやったら、少量生産で無添加ちゅうこっちゃな~?」
 さすがに私の物作りに対する心得を知っていらっしゃいます。
「先に私が特注で炊いてくれはるか?できるできないを隣に聞いてきたげるし、
 ちょっとここで待っといて。」
「話し聞くで~言うてくれてはるで~。」
で、お隣を訪問する。

大将と奥さん。朗らかなお方である。
色々と商品製造に関するご苦労をお聞きする。

ぜひ、販売したいと思う決定打があった!!!!!!!

地場産の山椒を使用するとの事。
それも、京都市北区西賀茂氷室で取れたもの。
この山椒がどこのよりも原料として一番自信が有ると大将も太鼓判を押す。

常に使用しているのは、伊吹山で取れたものらしい。
試食で、花山椒をいただいた。さわやかである。本当にさわやかである。
しょうゆ、砂糖、味醂、酒なんかの味が後ろに控えていて、
あのどこにでもあるような醤油と砂糖の佃煮独特の甘辛さが無い。
時間が経つのにさわやかな辛さが持続している。うまい。
本当にうまいのである。

で、私のオリジナル商品を作ってもらうことにした。

乞うご期待である。

職人さんに何一つこちらからの意見は要らない。こんなんが欲しい!!だけ。
黙っていても、通じるものは私と一緒である。
お任せしておけばいいんだということを実感する。



「食べといて~。」と、大将からちりめん山椒をいただいた。
早速昼ごはんに食した。醤油がやさしくおじゃこと山椒が絡み合って共存する。
これはこれは、ご飯がすすむ。

徳島小松島産のおじゃこを常に追い求めて使用し、
どうしても収量の足らないときは、鹿児島志布志産とのこと。



食材や原料は値の高いものや、無農薬や有機原料のこだわり品の少量生産の
ものがいいとは限らない。
使用する食材の加工適性とコストバランスの話をされていたのが印象的であった。

漬物の製造にも共通することである。今日も勉強になった。



少しいい話。

2009年06月16日 | 昔の事
先日、親戚一同が集まる出来事があり、私の年老いた叔母から、
上賀茂の昔話を聞いたのであるがその中でも印象の深い話をする。

その中でもすごく苦労した叔母の話である。
私の父親の姉で83歳でいたって元気で、京都市北区の山中のとある
山村に在住している。

昭和20年にその山村へ嫁いだのであるが、
昔、その山村へは、雲ヶ畑から岩屋不動を超えて薬師峠を越える山道を
徒歩で行き来をしていたらしい。
今なら、京都市内からなら高雄を経由したり、京見峠を越えて杉坂を経て、
向かうのが常套な手段であるが昔の交通事情なら直線的に徒歩でなら
この道筋が一番早かったのであろう。

父親も、その叔母に物を届けるのに、
自転車で岩屋橋まで行きそこから徒歩で山越えを幾度となくしたと語る。

家業は樽を作る職人であったようである。しかし夫が早くして亡くなり、
息子二人を育てる。
北山杉の手入れや、床柱を製作する作業で収入を得ながらである。

この叔母が言った言葉が耳につく。
その山村の人に
《上賀茂で使いもんにならんへんから、こんな山奥に嫁いできたんや。》と、
言われたという。

その言葉が反骨となってがんばれたのかもしれないと言っていた。

でも、何度もその山村から岩屋不動へいたる峠道まで来ては、
帰りたいと思い涙し、山の仕事で、桟敷ヶ岳から京都の町を遠望する度、
泣いていたと言っていたことが印象的であった。



今なら女性はとっとと次の生活を構築できる環境であるが、
当時の女性はそんなことは許されなかったんであろう。

そんな、叔母や父親が通った昔道は北山ハイクの絶好のフィールドであり、
多くの森林資材に恵まれていた北山山中は杉の植林で整備されているか、
まったくの地権者が放置の状態で嘆かわしい限りである。

で、その叔母をいじめた家は高度成長期に没落し、消え去った。
名前を聞いたが明かせない。

叔母の当時の感傷は、北山の山中に隠居し、桟敷ヶ岳から都を眺めた
惟喬親王の気持ちに通じるな。これは私の印象である。

私は小学生のころ、この山村の叔母の家で夏休みを長くすごした。
大人の世界でない自然の世界がすばらしく涼しかったからだ。
大阪で生活していたのでなおさら、全てが新しく新鮮であった。
水道がなく、井戸と山水が絶えず出ている台所は特に不思議の宝庫であった。

藁でくるまれたご飯を入れるおひつ。電子ジャーといったものなどは無い。
全ての都会生活に逆行する不便が楽しい。
私にはたまらない世界であったことは間違いない。

叔母は今も働き者である。こちらが頼むので座ってくれといわないと、
ほうきを持ち、掃除する。母親が放置した実家の庭の花木の世話を始めだした。
ついに父親が《止めろ!》と懇願し中止する。

惟喬親王については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%96%AC%E8%A6%AA%E7%8E%8B

パソコン修理、修理代が高額といわれたので自分でする。

2009年06月07日 | 好きな日常
昨年の年末、パソコン本体のCDトレイの開け閉めができなくなり、
開いたままになっていた。と、いうよりも閉めることが出来なくなっていた。
今日はなぜかすごく修理をしてみたい気持ちになり、
とりあえずそのCDトレイ現状を見てみようと外装をはがし核心部分へと
近づくことにした。
外装は、昨今のスクーターバイクと同じように樹脂製のぱちぱちと
はめ込まれているものを小さなスクリューでとめてあるだけで、
簡単に内部機構を見るところまではすぐにたどり着けた。



しかしすごい埃である。
掃除機の吸引力を生かし、外装の埃汚れについてはキンチョウ《サッサ》の
大活躍できれいにすることが出来た



はずしたスクリュー類がなくならないように、名刺の空ケースがこれまた大活躍!
少し荒療治で、トレイがすべるレールをままに引き抜いて、
中をのぞいて見る。

んんんんんん・・・・・・・・。



原因が判明!
なんで?と考えつつ、元通りに分解時の逆行程で組み立てていく。



で、きっちり収まり、出し入れもスムースである。
原因はこの薄いビニールのシート。たぶん、外部から入ったとは考えにくいので、
内部の何かの保護シートが接着不良ではがれて、トレイの出し入れに巻き込まれたようである。
だって、そのシートが入る入り口の開口面積が無い。



満足である。NHKラジオ、のど自慢を聞きながら昼休みの40分ほどの
作業であった。


営業会議。漬物の種。

2009年06月06日 | 販売してます。
昨夜、こだわりの商品を多く扱う懇意にしている酒屋のN氏が、
「大将まだ仕事してはりますか~?先日言うてた、企画のパッケージの件で
他店で販売しているもん届きましたから持っていきます。」
ということで、22時からの営業会議となった。

私は何気ない話からいつも発想が沸くので、彼との話は楽しくて仕方が無い。

このN氏、私は一目置く人物で、行動力のすばらしさがすごい。
彼の進言も有り、今、長い間の旧態依然のままの旧式ホームページの新装化を進めるに至っている。
彼に発想力とそのことについての実践は私も感心する事が多く、
全てのことに動き出すまで否定は存在しないし動き出してからも否定は存在しない。
すなわちよいことばかりを考えて行動を起こしているしスピーディーである。
この発想と行動が同時に両立することが私は苦手で彼のすごいところである。

先日も、彼の行動について色々と聞いてみたら、
以前、椎茸を販売しようと考えて、
椎茸を椎茸の栽培木についたまま販売したことがあると言っていた。
当然究極の生椎茸販売である。

お客様に必要分だけ木から収穫して使用し、収穫し終わった栽培木を
回収するという販売方法である。居酒屋やカウンターで応対する飲食店で
大うけにうけたらしい。
また、昔から無添加のワインを店頭で量り売りもしている。

今回は、彼の発想を少し借りようと、私の企画
漬物の種である。



そう、漬物の種。これ以上の説明は無い。

漬物は自分で作るもの。
自分の気に入る漬物が調味料の味のものだらけで気に入らない。
本当に安全な漬物か販売されているのは不信感でいっぱいだ。
家庭菜園で漬物の原料野菜にと栽培しているがうまくできない。
等々・・・・・・

種を購入→種まき前に土作りの指南書を読む→土つくり→種を蒔く→発芽→
間引き→草取り→追肥→中耕→収穫→漬け込み→漬け上げ→
食す→納得→感動

出来た時の感動!

ということを考えてみた。
当然その折々の指導指南はwebを利用して行っていこうという企画である。



で彼は、何かしら、栽培キットを持ってきて説明を始めた。
この営業会議の結論は企業秘密。
新発売時に乞うご期待である。

京都大学で少し休憩

2009年06月04日 | 楽しい人
京都大学の独特の雰囲気が好きかも知れない。
先日久々に、農学部のとある先生をお尋ねしようと訪問した。
しかしながら、急にその気が失せて、木陰で休憩することしばし。
目が回ってきたので、しばし、座り込んでしまった。



岡崎の図書館で、いつもの借り慣れたいつもの本をつらつらと黙読し、
借りることなく東大路に出て、一路北上。吉田まで。
近道があるのであろうが、私はいつもこのルートで自転車を走らせる。

私の前を通り過ぎる今の時期の京大生は、なんか子供子供しているというか、
新入生が多いのかやっと京都の生活になじんだか話す言葉にも独特のなまりが
有ったりしてどこか田舎の香りがする。

その中で私と親交のある学生諸子、職員さんもいる。
で、その彼らの事をひとつふたつと記述する。

知り合いの大学院生は、奈良の出身で工学部でX線の研究をしていて
その崇高なる研究の題材は、人的にすごく有益な研究で
私は話を聞いて、その開発の話を聞くほどに、
彼の話に引き込まれて感心している。
要は被爆量を減らして、検体たる人間に負担を少なくして利用の効果を
増大させようという研究である。
また、彼の作る牛筋煮込みは絶品で、
料理にも研究の成果?が見られるものが多い。
先日はフランス留学で発想し独特の味の本仕込カレーであった。



もう一人の京都大学関係者の友人はバイク遊びの仲間であり、
私の健康を気遣い、エルスポーツ京都なるジム通いを勧めた友人の一人である。
彼の行動は、先の大学院生の彼とは比較にならないほど非効率で
はっきり言って世渡りについては私以上に【ドンクサ!】が目に余る。
数学の教師で、私と同じ年なのであるが、
ある意味どうでもいいことに几帳面すぎて、肝心要が抜けるところがある。
しかしながら、彼の理論だてた物事に関する解釈仕方の説明は分かりやすく、
的確で模範としなければいけないことがある。
先日、次数に対しての質問を私が突然したときに、
中学生の学習レベルの回答を期待したのであるが、それと違い、
より一層彼の専門的知識に基づいた説明に驚いた。

先ほど述べた、エルスポーツ京都には多くの海外からの京大留学生が汗を流しに
来ていて、ブラジルから留学していた黒髪美女に色々質問したことがある。
日系人でその黒髪美女は、おじいさんが日本語がしゃべれるが自分は話せないと
言っていた事がもはや日系人ではなく純粋にブラジル人である。
彼女の留学目的は、橋梁設計である。
今の日本人の学生諸君にこれだけの目的意思を持って勉学を励んでいるだろうか?

また、この自由闊達な雰囲気は京都大学だけのものなのであろうか・
先日は、築後100年になろうとしている吉田寮の30年間そのままに中断して
いた建替え問題が進展したというニュースを聞いた。
その交渉において、誰が住んでいるか住人名簿を作成する?というのである。
大学側の建替え案に応じるわけは、地震がきたら倒壊必須。
住人にとっては今にも壊れそうだから危ない!
大学側にとってはこの期に乗じて不良案件を自治会協議で整理する。、

私はこれが本音のところだと思うが。

このような事象をとっても、京都大学の奥深さというか、どんな人間が携わり
構内に関係なくても関係ある様相で蠢く人間が長年に介在してそうで、
私は興味に尽きない学域である。

イタリア文学学者のジャグジー居眠り美人はどうしているであろうか?
先日結婚した韓国人の医学生や、貧血起こした医学生も元気かいな。

京教大の事件に少し憤り感じて、大学の事述べました。