鎮魂頌
先の大戦で戦火に散った方々に感謝をする。
現在の戦いとは無縁の我国の平和思想の構築の礎となり、
護国の神となられた多くの英霊と、
不幸な時代を全力で生き、復興に尽力し
現在を生きる先輩方々に敬意を表し、
平和を享受できている事に感謝の気持ちを伝えたい。
66年前の今日はその日である。
日本の全ての破壊から復興の一歩を記した日。
たかが8月15日、されど8月15日である。
私の父は七人兄弟の末っ子。
叔父は3人、
先の大戦での生存は2人
1人は陸軍で中国大陸で機関銃を持ち前線で終戦を迎え
1人は海軍航空隊で陸上攻撃機の機上整備兵で長崎大村航空隊で
終戦を迎えた。
長崎の閃光と原爆雲を目にしたと言った事がある。
戦いに倒れたのは一番上の長男の貞一
伍長で3度目の召集でビルマ《ミャンマー》で戦死。
戦死の報を受け、遺骨が戻った時の祖母の様子を父から母親の法事の時に
聞いた事がある。身内みんなでその話に聞き入った。
箱に入った石ころをうつむいたまま動かず一人離れの縁側で
無言で長い間眺めていたそうだ。
その後にもう一度、遺骨箱が届き、
骨辺らしき物が一片入っていたと言う。
戦死した叔父の話は逸話が上賀茂の古老によって言い継がれている。
恋愛美談である。
恋愛と言うよりは悲恋である。
私の父親がその貞一にソックリだそうだ。
生き残った叔父二人も他界して久しい。
二人とも私には根性とか努力とかの言葉が好きな人であった。
で、何かとキツク当たられていた。
でも、そのおかげで負けん気と粘りだけは宿ったと
感じることもこの頃多い。
ビルマ《ミャンマー》で亡くなった叔父は数年に一度私の夢枕に立つ。
怖くもなんとも無い。
いつも笑いかけて何か話しかけているがまったく聞こえない。
叔父さん!感謝の気持ちはビルマ《ミャンマー》インパールまで届くかいな?
叔父たちも祖母も祖父も母親もお参りに行かなければ
明日早々に帰ってしまうな。
先の大戦で戦火に散った方々に感謝をする。
現在の戦いとは無縁の我国の平和思想の構築の礎となり、
護国の神となられた多くの英霊と、
不幸な時代を全力で生き、復興に尽力し
現在を生きる先輩方々に敬意を表し、
平和を享受できている事に感謝の気持ちを伝えたい。
66年前の今日はその日である。
日本の全ての破壊から復興の一歩を記した日。
たかが8月15日、されど8月15日である。
私の父は七人兄弟の末っ子。
叔父は3人、
先の大戦での生存は2人
1人は陸軍で中国大陸で機関銃を持ち前線で終戦を迎え
1人は海軍航空隊で陸上攻撃機の機上整備兵で長崎大村航空隊で
終戦を迎えた。
長崎の閃光と原爆雲を目にしたと言った事がある。
戦いに倒れたのは一番上の長男の貞一
伍長で3度目の召集でビルマ《ミャンマー》で戦死。
戦死の報を受け、遺骨が戻った時の祖母の様子を父から母親の法事の時に
聞いた事がある。身内みんなでその話に聞き入った。
箱に入った石ころをうつむいたまま動かず一人離れの縁側で
無言で長い間眺めていたそうだ。
その後にもう一度、遺骨箱が届き、
骨辺らしき物が一片入っていたと言う。
戦死した叔父の話は逸話が上賀茂の古老によって言い継がれている。
恋愛美談である。
恋愛と言うよりは悲恋である。
私の父親がその貞一にソックリだそうだ。
生き残った叔父二人も他界して久しい。
二人とも私には根性とか努力とかの言葉が好きな人であった。
で、何かとキツク当たられていた。
でも、そのおかげで負けん気と粘りだけは宿ったと
感じることもこの頃多い。
ビルマ《ミャンマー》で亡くなった叔父は数年に一度私の夢枕に立つ。
怖くもなんとも無い。
いつも笑いかけて何か話しかけているがまったく聞こえない。
叔父さん!感謝の気持ちはビルマ《ミャンマー》インパールまで届くかいな?
叔父たちも祖母も祖父も母親もお参りに行かなければ
明日早々に帰ってしまうな。