makuragakayogakudan

まくらが歌謡楽団のブログです♪

長崎の鐘

2020-02-04 20:35:22 | 日記
東京ラプソディをYouTubeで聴いているうちに、戦中戦後の歌がたくさん出てきました。そして、この歌に出会いました。それぞれに胸に突き刺さるものがありました。



昭和歌謡を考える時、二度と繰り返してはいけない悲しい歴史を振り返ることもまた、今の日本を歩む私達には大切なことだと痛切に感じます。


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
哀しさと美しさは紙一重 (茂木)
2020-02-05 05:48:16
一番目の動画は音楽と映像が美しいですね。哀しさと美しさは紙一重に感じられます。この歌ができた背景は重々しいですが、それを知ってから歌詞や音楽や映像を味わうとまたひとしおです。ホームページの“音楽で元気になる”には「悲しい曲でも元気になる」というトピックを掲載しましたが、悲しみのカタリシス(浄化)作用を実感します。思い切って泣いたらすっきりするという感覚でしょうか。
返信する
原爆関連と長らく知りませんでした (Ted)
2020-02-05 11:21:58
 恥ずかしい話ですが、私は長年「長崎の鐘」を隠れキリシタンが受けた迫害に同情する歌かと思っていました。長崎へ投下された原爆被災者を悼む歌と知って以来、8月になると、地域の9条の会の街頭宣伝の折に歌ったり、歌声の催しでリクェストしたりして来ました。昨年8月、岸和田での歌う会で、この歌と合わせてだったか、この歌に代えてだったか、「原爆を許すまじ」をリクェストしたところ、後者を知る人はいまや少ないようで、喜多さんのピアノと歌に合わせて私が頑張って大声で歌いました。すると、直前の休憩時間に食べたクッキーの小さなカケラが口内に残っていて喉へ飛んでいったらしく、途中から何度も咳が出て困りました。
返信する
茂木さん、こんばんは! (櫻ミサ)
2020-02-05 23:07:29
本当に、この歌の悲しい旋律と鮫島有美子さんの素晴らしい歌声が、なんともいえず胸に迫ります。
悲しみと美しさ。私は、夜空に咲く満開の桜の花を見ると、時が止まったかのような美しさとともになぜか儚さと悲しさの入り混じったような気持ちになります
返信する
Tedさん、面白いコメントありがとうございます! (櫻ミサ)
2020-02-05 23:24:35
Tedさんが、お口の中のクッキーに困ってむせそうになりながら、歌っていらっしゃるお姿が想像できて、面白かったです

「原爆を許すまじ」は、私は知りませんでしたが、映画「原爆の子」の中に出てきますか?夜、観ると怖いので、明日の朝、検索してみます…というのも、私が小学生だった頃は、夏休みには学校推薦の戦争に関する映画を観るのが夏休みの宿題のひとつに入っていて、「ふたりのイーダ」「猫は生きている」「はだしのゲン」等を観たのを覚えています。が、「はだしのゲン」は今のようなアニメではなく、左時恵さんなど俳優さんの演じる作品でしたので、あまりのリアルさに今でいうPTSDのような感じになり、しばらくひとりで留守番もできなくなるほど…でしたでも、それほど怖い思いというのは幼心にくっきりと焼き付きますから、平和の尊さ、平和は普通にあるのではなく、守る、考えるから平和が保たれているのだという事を、少なくとも原爆の日、東京大空襲の日は、今の子供さん達にも実感してほしいなと思います。
返信する
原爆を許すまじ (Ted)
2020-02-06 11:16:13
 アメリカのフォーク歌手 Pete Seeger が「原爆を許すまじ」を歌った録音が「原爆 Pete Seeger」の題名で YuoTube にあります。『ウィキペディア』の「木下航二」のページには、「1954年、ビキニ環礁上にて水爆実験が行われ、第五福竜丸が被爆」した影響で作曲したように書いてありますが、「『原爆を許すまじ』の作詞者 浅田石二さんにお会いしました」(http://utagoe.gr.jp/journal/blog1/?p=746&cpage=1 )には、「1953年8月6日に広島で演奏」とあります。いずれにしても、私が高三ないし大一の頃に作られたようで、大学教養過程時代によく聴いたり歌ったりしました。かつて高峰秀子がこの歌を歌いながら歩いている映画の場面が YuoTube にありましたが、著作権侵害で消されたようです(私のホームページに埋め込んでもいたのですが)。映画の題名は覚えていません。
返信する
Tedさん、コメントありがとうございます (櫻ミサ)
2020-02-07 13:01:54
「原爆を許すまじ」
こちらも、じっくり後ほど、聴かせていただきます。世界平和を願う時、国境を超えて多くの国の方々に、過去の出来事としてではなく、未来へつながる形で、平和を訴えていかなければと思います。
返信する

コメントを投稿