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まくらが歌謡楽団のブログです♪

リクエスト曲「東京行進曲」

2024-05-20 23:26:54 | 音楽 

Tedさんからのリクエスト曲「東京行進曲」を弾き語りしてみました。

演奏は、いつも通り短期間で十分でないところがたくさんありますが、昭和初期の映像をご覧いただきながら、一緒に歌って下さったら、嬉しく思いますまた、映像は、「昭和初期、東京」で検索した結果、出てきたものを使わせていただきましたが、もし、該当しないような映像が入っていた時は、ごめんなさい

さて、例にならい~ウイキペディアより…

 

作詞・西條八十、作曲・中山晋平、唄・佐藤千夜子

映画主題歌として作られた楽曲としては日本で最初の成功例。映画公開の1か月前、1929年(昭和4年)に発売され、25万枚を売り上げた。

昭和初期の開放的な銀座が唄われている。ただし、西條自身は詩の内容について「不合理に膨張した経済生活の下に乱舞してゐる浮華な現代の首都人の生活のジャズ的諷刺詩」と言っており、原作とは関連をほとんど持っていなかった。

映画「東京行進曲」は、菊池寛の小説を映画化した日本の映画作品、1929年、無声映画で監督は溝口健二。

小説の内容は~

大衆雑誌「キング」の1928年6月号-1929年10月号に連載。資産家と、腹違いの姉妹との悲恋がテーマである。完結前に映画化されたが(後述)、その後発表されたラストは映画の主題歌の影響を受けた、と指摘される。完結直後の1929年12月には帝劇により上演されており、内容はほぼ原作に沿いながらも映画の主題歌を最後に歌うなど、主題歌の影響が強く見られた。

 

この歌の昭和4年の東京、銀座で画像検索をすると、白黒というだけでなく、今の東京からは想像もできないような写真ばかりですが、大変な時代の最中であったにもかかわらず、何か、大正ロマン、昭和レトロと言われるような文化を感じます。

 



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6 コメント

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Unknown (あきらとマドンナ)
2024-05-21 09:49:02
 この歌は、「東京歌謡楽団」の方も
良く歌っていらっしゃいますが
今や銀座には”柳”はないといふ・・・
ミサさんの歌声とマッチしていていいですね
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Unknown (櫻ミサ)
2024-05-21 10:02:42
あきらとマドンナさん、コメントありがとうございます😃🎶
昔〜と歌われた時期からさらに昔…でも、歌い継がれる事は歴史を知る事、昭和歌謡の良さをしみじみと感じさせてくれる歌だなと思います✨歌声と合ってますか???嬉しいです😆❤️
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早速のお応えに感激! (Ted)
2024-05-25 15:17:20
 本ブログサイトの先の記事へのコメント(以下では「リクエスト文」と呼びます)中に、それとなくリクエストを書いておきましたのに、早くも応じていただき、大感謝・感激です。
 リクエスト文にも簡単に記しましたように、この歌は1935(昭和10)年生まれの私が、多分小学生にもまだなっていなかった1940(昭和15)年頃までの間に(1941年には太平洋戦争が始まり、甘い歌はほとんど歌われなくなったことからの推定)母が歌っていたのを、不完全な形で聞き覚えたように思うものです。題名、作詞者、作曲者、歌手、発表年など、全く知らなかったのですが、最近ふと思い出した歌詞の一部を入力してインターネット検索し、それらを初めて知り、昭和歌謡の一つだと思ったばかり、という次第です。1902(明治35)年生まれの母が、この歌を発表当時に知ったとすれば、その時母は27歳だったことになります。「行進曲」と付く題名ながら歌謡曲風のこの歌を、結婚するまで石川県の田舎の小学校で教員をしていた母は、童謡か唱歌のような調子で歌っていたように思います。
 これもリクエスト文で触れたことですが、一番の歌詞中の「リキュル」(酒のことですね)を、何のことだかわからないままに「リキュウ」と覚えていました。♪昔恋しい 銀座の柳♪ は冒頭なので、そのまま覚えていても不思議ではありませんが、大人っぽい歌詞 ♪仇な年増を 誰が知ろ♪ は、すっぽり記憶になく、かと思えば、同じく大人っぽい言葉 ♪ジャズで踊って♪ や ♪明けりゃダンサーの 涙雨♪ を、メロディーとともにしっかりと記憶していたのは不思議なことです。
 YouTube には発表当時の歌手・佐藤千夜子や最近のフォレスタ・グループが歌っている動画がありますが、昭和初期の映像を背景にした櫻さんの弾き語りは、大変素敵です。これから何度も繰り返して聴くことになるだろうと思います。ありがとうございます。
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Tedさん、コメントをありがとうございます♪ (櫻ミサ)
2024-05-26 22:16:46
Tedさん、大変うれしいコメントをありがとうございます。
リクエストをいただいてから、いろんな方の歌をYouTubeで聴き、お恥ずかしいながらなんとなく歌ってみた程度で、本当はもっと研究しないととてもアップのできないものですが、勢いで出してしまいました
まだまだ勉強不足ですが、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。そして、これからも、ぜひ、リクエストをお寄せ下さいね
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先のコメントへの訂正と、またのリクエスト (Ted)
2024-05-29 16:25:21
 先のコメントで、「東京行進曲」の歌詞中、♪明けりゃダンサーの 涙雨♪ の部分をしっかりと記憶していた旨書きましたが、これはリクエスト文中に 「… ♪… /○○りゃダンサーの 涙雨♪ という不完全な形で」思い出したと書きましたのと矛盾していました。「明け」は覚えていなかったという意味の、リクエスト文中の記述の方が正しかったので、ここに訂正します。これより前にある ♪リキュルで更けて♪ の「更けて」も覚えていなかったので、ここで「更けりゃ」だっただろうか、「暮れりゃ」だっただろうか、などと考えていたのでした。暮れた時点でダンサーが涙雨を流すのは、早過ぎるようですが。
 図に乗って、またリクエストを記します。これも母が唄っていた思い出などのある、島田芳文・作詞、古賀政男・作曲の「丘を越えて」(昭和6年)で、歌手・藤山一郎の大ヒット曲でした。昭和歌謡紹介の予定曲がすでにいくつもあるようでしたら、ずっと後回しで結構ですが、お願いいたします。
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Tedさん、コメントをありがとうございます♪ (櫻ミサ)
2024-05-31 23:05:29
コメントをありがとうございます小さい時に覚えた歌で、全く違う意味だった事はよくあります。

あめ、あめ、ふれふれ、母さんが~、じゃのめでおむかえ、うれしいなぁ…
という童謡の「じゃのめ」が小さい頃よくわからなくて、その頃、家にはジャノメミシンというのがあったように覚えているのですが、その事かな?と勝手に思い込んでおりました

リクエストありがとうございます
ちょっと私には難しいように思いますが…後ほどお応えしたいと思いますので、少しだけお待ちくださいね
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