「あきらめモード」に「確信的な表現」を加えて「あきらめモード」が強められているとすれば、確かに「隠し味効果」と言えますね。ただ、私が言おうとした中心は、歌詞に限らず、文学的な文では、意図した印象や効果を出す工夫のためには、科学論文のように理路整然としている必要がないのだろう、そして、「春よ、来い」も、そのことを踏まえて鑑賞すべきだろう、ということです。 櫻さんはイタリア歌曲を歌う時、意味を調べてから歌われるとのことですが、私は歌の素人だからかも知れませんが、省みると、外国語の歌を意味をよく知らないままに歌っています。大連で小学校4年生の時に終戦になり、学校での授業が規則正しくは行われなくなったこともあり、女学校の英語の先生だった太田芳郎という、かつてのデビスカップ選手だった人が始めた英語塾へ通い、5年生の2学期末頃に塾が終了になるまで行っていました。その終了頃に「蛍の光」のもとの歌 "Auld Lang Syne" を1番だけ習い、スコットランド語であるため英語の辞書では出て来ない単語があるせいもありますが、意味が十分に分からないまま歌っていました(いまでも歌えます)。また、大学1年の時の文化祭で、理学部1組有志20名ほどで何曲かを合唱した中に、ドイツ民謡 "Muß i denn"(別れ)もあり、これも意味を知らないまま歌っていました。この歌は近年買った鮫島有美子のCDにも入っていて、1番と3番は日本語、2番はドイツ語で歌われています。歌詞集に「2番の歌詞は1番の内容をドイツ語で歌ったもの」という説明はありますが、どの単語が何を意味するかまでは、依然として知らないままに、真似て歌っています。先に「歌詞と旋律のどちらに重きを置いて好きな歌が生じるか」という質問をいただきましたが、外国語の歌をこのように歌っていることからすれば、私も歌詞にはあまり重きを置いていないようですね。
私の歌についての古いブログ記事をチェックしていたところ、キリスト教会で歌う「関西歌声ペトラ」という集会のことを書いてもらったコメントがありました。「関西歌声ペトラ」を、今になってインターネットで検索してみると、「歌声ペトラ」のフェイスブック(https://www.facebook.com/utagoepetra )に行き着きました。そこにリンクされている行事予定のページ(http://utagoe-petra.net/koga/index.html )へ行くと、本家の御茶ノ水では、2019年夏にお休みとなりましたが、「歌声ペトラ in 古河」は続くとして、2020年2月29日(土)古河教会での開催要領が載っていました。年1回、いろいろな賛美歌ばかりを歌うつどいのようですが、場所が古河なので、ご参考までに記しました。
でも、そろそろこの世の中に慣れなくてはいけないなと思っています
ラジオから聞こえる名前、本ではよく目にする名前…私の学生時代は、楽譜や書物で目にする著名人がいろいろと授業をして下さったので(例えば、指揮法では松尾葉子先生、合唱では三善晃先生など)そのたびに、先生方は、顔が知れてる演奏家は別ですが、お名前のみを知っている方の場合は、先生が黒板にお名前を書かれた瞬間にみんなで「ほぉ~っ!」と驚きの声を発していたのを覚えています
私個人の勝手な解釈ですが…
春を予感させる雨がしとしとと降りそそぎ、窓辺から沈丁花を見ていると、ふと懐かしい顔を思い出した。それは、あまりにも切なく、儚い面影に、私の眼からは涙があふれ出した、その粒が1つ1つ流れ落ちるうちに、やがてこぼれた雫は蕾が花開く前に落ちてしまったかのような、まるで線香花火のような…
時が止まった瞬間、私は沈丁花の香りを感じた…
その香りと共に、遠き思い出が空を超え、時を超え、明日を超え…どこまでも遥か彼方へ私を連れて行く。
いつか戻ってきてほしい、でも永遠の別れとなった今、もはや愛しい人は帰ってくることはない。春はこれからやってくるけれど、もうあなたはいない…
ありがとう、懐かしき思い出たち、夢を抱かせてくれたあなた、私が迷い立ち止まる時にも、遠くから見守ってくれているかもしれない…
全然違うかもしれませんが、そんな風に勝手に解釈するとこの歌が素敵に思えます
おしんだけは、題名聞いただけで、タタタ~ン🎵タタタタ~タタタタ~ン🎵とすぐに弾けるほど、いまだにメロディを鮮明に覚えています。あの中で出てくる大根めし、食べたくてしょうがなくて、母に作ってもらった記憶があります
覚えている朝ドラ、たしかサザエさんの作者長谷川まちこのマー姉ちゃん、最近の東北のあまさん? 小さい頃は、必ず見ていたように思いますが、最近はあまり…でも、3月からは気合を入れて録画したいと思います
櫻さんはイタリア歌曲を歌う時、意味を調べてから歌われるとのことですが、私は歌の素人だからかも知れませんが、省みると、外国語の歌を意味をよく知らないままに歌っています。大連で小学校4年生の時に終戦になり、学校での授業が規則正しくは行われなくなったこともあり、女学校の英語の先生だった太田芳郎という、かつてのデビスカップ選手だった人が始めた英語塾へ通い、5年生の2学期末頃に塾が終了になるまで行っていました。その終了頃に「蛍の光」のもとの歌 "Auld Lang Syne" を1番だけ習い、スコットランド語であるため英語の辞書では出て来ない単語があるせいもありますが、意味が十分に分からないまま歌っていました(いまでも歌えます)。また、大学1年の時の文化祭で、理学部1組有志20名ほどで何曲かを合唱した中に、ドイツ民謡 "Muß i denn"(別れ)もあり、これも意味を知らないまま歌っていました。この歌は近年買った鮫島有美子のCDにも入っていて、1番と3番は日本語、2番はドイツ語で歌われています。歌詞集に「2番の歌詞は1番の内容をドイツ語で歌ったもの」という説明はありますが、どの単語が何を意味するかまでは、依然として知らないままに、真似て歌っています。先に「歌詞と旋律のどちらに重きを置いて好きな歌が生じるか」という質問をいただきましたが、外国語の歌をこのように歌っていることからすれば、私も歌詞にはあまり重きを置いていないようですね。
その前に、私の個人的な意見としては…
実は、私はあまり今まで日本のポップスを聴いてこなかったせいか、歌手の歌詞までちゃんと読んだことがありませんでした。そのせいか、ユーミンが大人気なのもいまいち同感できず、ただ「春よ、来い」はメロディラインが美しいのと、歌詞が(最初くらいしか耳に入っていませんでしたので)古風で日本的だな、ということ、季節感がぴったりな事等でやや好きな方でした。特別なユーミンファンでない限り、全体の雰囲気、色彩感、サビの部分の印象の残り方で、人はその曲に対するイメージを作るのではないかと思います。ただ、実際に自分が歌うことになって初めて、歌詞を読むようになるので、その時初めて歌詞について考えるのかなと思ったりします。それは、今どきの歌が難し過ぎということにも起因してるのかなと。
例えば、「もしもピアノが弾けたなら」や童謡の場合は、始めから歌詞と音楽が耳に入ってきます。また、時々、イタリア歌曲を歌ったりしますが、その場合は、イタリア語自体が私は習ったことがないので、辞書片手に意味を調べてから歌うことにしていますので、おのずと意味は入ってきます。
なんだか、ごちゃごちゃしてしまいましたが、「春よ、来い」の歌詞を夜にもう一度ちゃんと読んで、改めてコメントさせていただきますね
「あきらめモード」についていえば、この歌が詠んでいる愛する人と別れた状態は、実は回復不可能な状態であるように思えます。他方、愛する人を春に例えて、「春よ、来い」が再会を待ち望む言葉であるとするならば、春は待ち遠しくても必ず巡ってくるものであり、理系的には、そもそもここに、大きな矛盾を感じます。回復不能とも回復可能とも、どちらにでも取れるところが、科学論文とは全く異なる、文学的表現なのでしょう。
“春よ、来い”の歌詞を読み返しましたがやはり腑に落ちません。Tedさんの愛しいひとを春に見立てるというのも参考になる解釈です。再会を待ちわびるもそれが適わないことを認識し、今後は愛しいひとの思いでに生きる、とつづくのでしょうか。全体を通じて愛しい人との再会はあきらめモードなのに、“迎えにくる”と確信的に表現していることに矛盾を感じます。
Tedさん、文献の紹介をありがとうございます。興味のある内容です。確かに、音楽が心に作用するメカニズムまでは解明されていません。現在は演繹法(三段論法)を用いて説明する段階だと思います。例えば、快感に対しての脳の反応の仕方が明らかになっているので、音楽についても脳が同様の反応をすれば音楽は快感を生むという説明の仕方です。fMRIを用いた研究結果があります。これは音楽や言語に対する聴覚野の反応についての基礎的な研究例です。http://mcdermottlab.mit.edu/svnh/Natural-Sound/Overview.html
コクラン・ライブラリーhttps://www.cochranelibrary.com/searchでは医療における治療法のエビデンスを集めてその有効・無効をレビューしています。このサイトで音楽(music)を検索すると55の音楽に関するエビデンスとそのレビュー結果がヒットしました。ゆっくりかもしれませんが音楽療法の有効性に関する研究が進んでいるようです。
ともかく、音楽は健康にも効くという方面からもまくらが歌謡楽団の活動をPRしたいです。このトピックに関するコメントはこの辺りで終了にしましょうか。
詳しくは読んでいませんが、この時点では、まだ現象的な研究にとどまっていて、脳生理学的な結果は出ていないようです。
朝ドラのテーマ曲の中で“春よ、来いは”現在でも歌われ、演奏されている人気曲だと思います。メロディーと、歌詞のことば選びはすばらしいと思います。しかし、ストーリーがとても分かりづらいです。歌詞の中の数行が削除されているのではないかとさえ感じます。昔習った古文の難解さに通ずるものがありますが、分かる人には分かるのかもしれません。
歌は確かに懐古につながります。そのための脳の働きは、どのようになっているのでしょうかね。
朝ドラ主題歌について、ステキな歌も多いのですが、確かにTedさんおっしゃるように分かりにくい歌も多いと思います。
というか、今どきの歌、全般が何言ってるかよくわからない⁉️😅
若者に笑われてしまいますが😅
心にずっと残る歌、というものは少ないかもしれません。
ただ、朝ドラって半年間見続けるので、その間毎日同じ曲を聞き続けるわけで…そうすると後になって耳にしたとき、「あーこの曲(の朝ドラ)の頃こんなことあったなぁ✨ふふふ😁💨💨」など、ここでまた懐古するのですね(笑)
と思ったりいたしました~☺️
寒いけれどその分月がキレイですね✨
茂木さんと同じく、私もそんーなにテレビを見ないのですが、朝ドラはテレビのなかで別格、録画してみます❤️
ですが、今年度はBSで「おしん」を再放送していて、そちらが何とも言えない昔ドラマ感➕やっぱり世界的にヒットしただけあり考えさせられる点も多く見応えがあって優先的に見てしまい、なつぞらはあまり真面目に見ずに終わってしまいました。
今のスカーレットは面白いのですが、おしんを見なくてはならないので未視聴分がたまってしまって😅
でも、朝ドラの主題歌はステキな歌が多いですね❣️
365日の紙飛行機、麦の歌、どちらも好きでした🎵
ドラマの内容もこの二つ大好きでした✨
主題歌ではないけれど、「べっぴんさん」の話の中で市村正親さんの歌を聴いて、中学生の頃に姉が連れていってくれた劇団四季のミュージカルを思いだし、、、進路を迷っていたこと、姉たちとたくさんしゃべったり笑ったりしたことなどいろいろ思い出しました。
音楽、香り、って懐古を引き起こすものですよね🍀
さて、次期朝ドラは見逃せないようなのでおしんも終わっているし、がっつり見ようと思います(笑)
たしかに、猫じゃらしチャンネルさんは、動画が短く簡潔にまとめられていて、しかも猫が出てくるのでとてもわかりやすいですし、コマーシャルの感覚で楽しめるので、考えられているなぁ~と思いました。我が楽団も、コマーシャルを作る時には、ただ録画をするのではなく、いろいろと名場面集を作って、みんなが納得した形で、ホームページやYouTube、ケーブルテレビなどで流していきたいなと思います
朝ドラは、最近は全く見ませんが、FBでもこの3月からの朝ドラについては、声楽科の友達などで盛り上がっていましたので、きっと視聴率は良いかも…
朝ドラ主題歌は、歌詞がよく聞き取れない歌い方になっているものが多いように思います。気になる歌詞はインターネットで調べたりしますが、そこまでしても、よく覚えている歌はありません。『マッサン』の主題歌「麦の唄」(中島みゆき)の歌詞も当時調べましたが、頭に残っているのは勢いの良いメロディの一部(歌詞でいえば「麦は泣き 麦は咲き 明日へ育ってゆく」という末尾の部分)だけです。
https://www.youtube.com/watch?v=1UIbibMw4fs&fbclid=IwAR1Rm5OMv4Lz_H_RsUJuns4leNSFjmBnR-y27xsA1fUo_7cHayxxyGzjTwk