読書と言うよりも、「文字」を読むこと自体が遅くなった。
昔はコピーをとる様な速さで本を読めた時も有ったが、
今ではテレビ画面の「字幕」も、読み切らないうちに通り過ぎてゆく。
すぐに読み切れるように思って買ってきた本のページが、なかなか進まない。
そのうち「未読」の本が溜まってくる。
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かてて加えて、必要が有って今読んでいる本は、
「翻訳」されたものであるから、なお手強い。
だいたいが「日本語」に置き替えてはあるが、
「日本の文章」になっていないように思う。
日本の著名な学者が監修者になってはいるが、
AIの読み上げソフト並みにぎこちない。
主語を探して行ったり来たり、
私の理解可能な語彙に変換しようと右往左往
原書で読めればいいのですが、私の語学力では絶対に無理!
シドニー・シェルダンの「超訳」をされた方は、本当に偉いと思う。
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ひよっとすると、わざと難解な部分を作るのか?
「高説には、常人の理解できない部分を作る」(底が割れないように)
とは、ちょっと違うかなあ?
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よく考えてみると、
「自分が上手くいかないのは、他人や環境のせいにする」
まさに理解力の無さを棚に上げている今の自分ですね。逆に、
「他人の失敗の原因は、その人のやる気や能力のせいだと考える」
人は自分だけを可愛がっていると「成長」しませんね。
自壊しないように自戒を
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