248『岡山(備前、備中美作)の今昔』岡山人(20世紀、坂野鉄次郎)
坂野鉄次郎(さかのてつじろう、1873-1952)は、津高郡菅野村(現在の岡山市北区菅野)のうまれ。明治から昭和時代前期までの官僚、実業家として、広くら知られる。家は、かなり裕福であったのだろうか、京都の第三高等中学へ、しばらくすると仙台第二高等学校に転入する。
東京帝国大学法科を出て逓信省にはいり、大阪を皮切りに、東京郵便局長、大阪逓信管理局長などの要職についていく。その間、郵便物区分規程の制定、年賀郵便の特別扱いなどの考案に加わり、郵便事業の整備につとめた。
1915年(大正4年)に退くと、こんどは実業界に出る。大阪電灯の常務を皮切りに、片上鉄道の社長(1919~1944)などをこなしていく。
中国合同電気会社を創設したのも彼だ。その間、三蟠火力発電所及び吉井川の水源地をを守るべく、恩原に貯水池を建設する事業を行った
それから、かの藤田組の理事にもなっていたともいうから、根っからの仕事好きだったのであろうか。
それだけに留まることなく、さらに貴族院議員にもなったというから、驚きだ。
1953(昭和28年) には、郵政省が、かれの故郷に逓信総合博物館分館「坂野記念館」を建設し、その労に報いることもあった(後に岡山市北区に移転)。
波乱万丈の人生にして、彼の随筆なり、回顧録なりが伝わっているなら、是非一読したいのだが。
(続く)
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