おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

縄文人と弥生人との争いがあった。梅原日本学講義から。

2017-08-06 | 神道

梅原日本学講義の「君は弥生人か縄文人か」

(梅原猛と中上健次との対談集から)

を読んでいてまさに今見てきた土器や土偶について

さらにその奥深さを知り、縄文時代から古事記の世界に繋がりました。

 

 

 

 

 

 

少し長くなります。

梅原 猛先生の本からです。

出来るだけ少なくするのが一種の美意識であるという考え方の土器があります。

そうすると、縄文中期の土器が代表するような、出来るだけ文様をつけて、

そして形も実用を越えて、エネルギーが外に溢れ出すような

土器を作ったような芸術意思と、いまの出来るだけ文様を少なぐして、

形も壷なら壷、甕(かめ)なら甕に何が機能的に一番ふさわしいかを蓄えるわけですから、

やっぱり首のところが細くなって、お尻のところが広くなってる――

そういう甕なら甕、壷なら壷に、どんな形が一番機能的であるかということをもっぱ

ら考慮した土器を作る芸術意思は別のものだ。

 

弥生土器はまったく機能性に忠実な土器だというふうに私は思う。

ところが縄文土器は、その意味で機能的ではない。非常にムダなことがいっぱいある。

機能性に対して、なぜそんなものを作ったかといいますと、

やっぱりぼくは呪術性といいますか、何か宗教的な目的を実用的機能以上に

持ってるわけですね。

そういうのが、ちょっと装飾過多のように思われる文様になったり、

外に溢れるような形になったり、そういうことになってきていると思うんですね。

機能性と呪術性。そしてその機能を重視する弥生土器には文様も少なくて、

形もだいたい機能に忠実だ。

それに対して呪術性を重視している縄文土器は、

文様も派手だし、形も千差万別な非常に複雑な形を作らざるを得ない。

その二つの芸術精神は違うんだというふうに私は思うんですよ。

その根底には、もちろん生産手段の違いがある。

やっぱり縄文時代というのは狩猟、採集で、

多分に偶然性に支配されるんじゃないかと思うんですけどね。

だから獣がとれるかどうか、食べ物があるかないかというのは、

人間の理性を超えたような、そういう神の意思みたいなものをしょっちゅう考えざるを得ない

文明だと思うんですよ。

それに対して農耕はやっぱり非常に規則正しい。

きちんと天体を観測して、人間の生活を律し、同じことを繰り返していく。

そういう精神だと思うんですけどね。

そういうふうに縄文と弥生という生産方法の違いからくる

代表的な二つの芸術意思が日本文化の中には混在しているというふうに、

私は思うんですけどね。

中上 ということは、イネの渡来みたいなものが大きな役割を果たした。

梅原 そう思いますね。

中上 そのイネを持ってきた民族というか、渡来人だちというのが、縄文式土器を持ってる部族に、重なるような形で人づてきたということでしょうかね。

梅原 そうですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が小学生の頃、隣に神社がありました。

そのご神体は丸い石であることを思いだしました。

 

 

もう一つ、梅原先生の本で知りました。

2,3年まえに白川神道を学びましたが、祝詞の本当の意味を知りませんでした。

なぜ農業の仕事を妨害するのか

ちょうど紀元前三世紀、というのは、秦の始皇帝が国土を統一したときですね。

そういう時代に、弥生人による縄文人の排斥みたいなのがあるんじゃないかと

思いますね。私は、長い間これも分からなかったが、

祝詞の中に、「天つ罪」「国つ罪」とありましてね

「天つ罪」というのは高天原に出来た罪で、

「国つ罪」というのはその後に日本の国に出来た罪といいますけどね。

天つ罪の中に、畔放(あぜ)ち溝埋め、樋放(ひはなち)と

重播(しきまき)などがあるんだ。

畔放ちというのは、畔を破ってしまう。

そして溝を埋めてしまう。樋を破ってしまう。

それから重播というのは、たとえばいたん米を播いたところにヒエを播いてしまう。

そういう農業妨害の話がたいへん多い。

それを私は、最初は個人的な農業妨害だというふうに思ってたんで、

何でこんなばかな、人の田の、畔を破ったり溝を埋めたり

農業妨害するのがおるのか分からなかったんですけどね。

それは集団的な狩猟民族の、新たに来た農業民族への農業妨害だ、

そう考えるとたいへんよく分かるんですね。

そういう農業妨害が長い閲続いたんじゃないかと思うんです。

それがいまの天つ罪ということになってるんじゃないかと思う。

そうすると、その天つ罪を犯すのはスサノヲの罪ですからね。

スサノヲとアマテラスの戦いというのは、実は……。

中上 先住民と渡来者との戦いになるわけですね。

梅原 というふうに考えられるんじやないか。それが残ってるんじゃないか、神話の中に。

 

 

 

ありがとうございました。

清水義久さんの新しい本が8月9日に出版されます。

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神様に願いを叶えてもらう方法」(¥864 すごい!神様研究会)

神社仏閣に行って
自分のお願い事はしないでください。
神様は叶えてくれるのだから
頼まなくても平気です。
悩み、困ったこと、解決してもらいたいことなどが、
あなたの心の中にあったなら、
神社の鳥居をくぐればすでに神様はそれらを
テレパシーでキャッチしている。

それは神社を味わいに、風景を見に、
空気を吸いに、お社にお賽銭を入れに、
素敵な建物を見学させてもらいに来たんだよ。
「○○からやってきました○○というものですが、
 今日はご縁をいただきありがとうございました。」
鳥居の中に入ったらこれだけなんだ。

 

 

 

 

 

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