バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1999年7月13日 北海道ツーリング 15日目

2025年03月29日 | 1999年 北海道ツーリング
7月13日(火)
 天塩川リバーサイドキャンプ場(連泊)



 今朝も太陽熱にあぶられ、午前6時には起床。
 アフリカツインのライダーと四国出身のライダーはテントを撤収して、8時前後にはキャンプ場を出発する。残ったわれわれHさん、Mさんの3人は連泊の予定。午後4時には再びキャンプ場に集合する約束をして、午前9時前後にはそれぞれ出発。ここのサイトには屋根つきの炊事場が設けてあるので、昨夜、バーベキューをやろうなどと話が盛り上がったのだ。出先で、目についた安い素材を各自購入しようということになる。2人とも北方向にいくようだが、自分は南に進路をとる。

 まず、10キロほど南下して美深森林公園キャンプ場にいってみる。去年食べ損ねたチョウザメ定食でも食べようかと寄ってみたが、レストランは11時開店とのこと。今年も食べ損ねるだろうなという予感がする。キャンプサイトには結構バイクも停まっているが、キャンピングカーも多い。やはり、ここは人気のキャンプ場のようだ。去年、ここで連泊したのがなつかしい。あの牛に蹴られた広島の女性ライダー、今ごろどうしているのだろうか。
 しょうがないので、地元の牛乳でも飲もうかと美深駅までいくが、なんと駅の売店は閉鎖になっている。今年の4月1日をもって閉店云々とシャッターに張り紙。去年もここでトイレなど借りしたので、なんとなく寂しい。自販機で売っているコーヒー牛乳など飲みながら、構内のベンチで一休み。駅に備えつけてある本棚の本をぱらぱら。

 おお。
 去年、ツーリングしたときからずっと気になっていた木の名前が載っているではないか。遠くからでも全体が銀色にひらひら輝くように見え、ときおり、バイクを停めてしげしげと見入ったりしていたあの木だ。葉の裏にニコゲが密集しているようで、陽の加減で銀白色にきらきら光る。植物の名前をけっこう知っているK代ちゃんに訊いても、正確な名前までは知らなかった。
 ウラジロハコヤナギ。
 別名、ギンドロともいうそうだ。原産は中央アジア。
 そうだったのかと、ちょっと嬉しくなる。他にも、北海道の地名の由来なども載っている。
 知床→シリ・エ・トク。アイヌ語で大地の突端の意味。
 根室→ニ・ム・オロ。流木のつまるところ。
 札幌→サッ・ト・ポロ。乾いた広いところ。
 さらにナイ・ベツは、どちらも川を意味するとある。そういわれてみれば、ナイ・ベツのつく地名は多い。思いつくままでも、ワッカナイ、シベツ、ナカシベツ、ハマトンベツ、ホロカナイ、オサツナイ、サラベツ、ホンベツ、モンベツ、ユウベツ、イワナイ、キコナイ、いやあ、あるある。地図をだして探せばまだかなりありそうだ。そういえば、アイヌの地名から、近くに温泉があるかどうかもわかると山荘で聞いたのだった。

 近くのコンビニで牛丼、茹でタマゴなど買って、美深峠の東屋で食事。それにしても暑い。バイクを下りたとたんに、地面からむうっと気温が立ち上がってくるようで、汗がどっと吹きだしてくる。休息しているものなど他にだれもいない。鳥のさえずりと、虫の羽音がかすかに聞こえる。飯を押しこむようにして食う。東屋の日陰からなるべく外にでたくないので、横になってしばし休憩。バイクがときおりビーンと走り抜けていく。

 昔、日本の最低気温を記録したことがあるという母子里にいっても、気温は相変わらずだ。冬の雪に閉ざされた様を想像しようとするが、どうしても暑さがじゃまをする。ここが酷寒の地とはなあ、などと冷たい清涼飲料水をばかばか飲みながら集落をぼんやり見渡す。数年前に廃線になった「深名線」の跡でもないかと、朱鞠内湖の北側を走ってみるが、線路はもっと湖側だったのか、その形跡を見ることはできない。10キロほど走るが、民家がないのと、行き止まりになっているせいで、車とは1台とも出会わない。スピードをだそうと思えばいくらでもだせそうな道だ。

 再び、母子里の集落に戻り、北母子里駅跡にいってみる。細い道の先には、景色に埋もれたようなプラットホームがあるばかりで、駅舎など、とうに取り壊されている。プラットホームに立ってみると線路が取り外されているのがはっきりわかり、軌道は数百メートルもいかないうちに、草草の中に消え去っている。去年、廃校になった夕張の小学校にいったときと同じ感覚がぼんやりよみがえってくる。
 
 感傷に浸り、出発。
 朱鞠内湖を見下ろすPAでしばし休憩。気軽にしゃべりかけてくる大阪のライダーもベンチで休息している。2ヶ月ほどのんびり北海道を回る予定だという。昨日まで呼人でずうっと飲み続け、騒ぎすぎで、今日は休肝日だとか言っている。バイクのナンバーは8471(はよない)と覚えやすい。地元の老人もきたので、朱鞠内湖のことをきくと、このあたりは5月くらいまで雪に覆われているそうで、雪解けがはじまると湖面の水面がぐっと上がる話などを聞く。1944年に完成し、当時は人工湖としては最大の規模だったという。ん? ツーリングマップルには、今も日本最大の人造湖とある。どういうことだろうか。ちょっとした間違いか。この湖を西から回りこむように走っていたのが深名線だ。

 朱鞠内湖キャンプ場にいってみるが、1張りか2張りほどしかない。なかなかいいところのようだが、キャンパーは少ないようだ。
 ついでだからと、朱鞠内駅跡にもいってみる。駅舎がしっかり残っていて、荒れ果てている様子はない。どうやら今でもちゃんと管理されているようだ。駅前にはバス停も健在。そうか。駅舎はバスの停留所として第二の人生を歩いているようだ。駅舎内では、表に停めてあるトラックの運転手らしい人たちが2名ほどベンチで昼寝中。壁には廃線になると決まってからの駅長の談話が載っている新聞記事や、駅前の名物商店の記事などが張ってある。近くにはこの地に魅せられ、脱サラしてやってきて民宿を経営している人もいるらしい。らくがき帳も置いてあり、ぱらぱらめくってみると、朱鞠内駅はローカル線マニア(廃線マニア?)には結構人気があるようだ。しばらくすると、ホウキを持ったおばちゃんが駅舎の掃除にくる。

「バイクかね」
「はい」
「走ると、涼しそうだね」
 などと会話。
 この暑さでみんな家に引っこんでいるのか、道路を歩いている人なぞ1人も見かけなかったので、元気なおばちゃんに会うとなにやらほっとする。どのくらい前に深名線が廃線になったのか訊いたりしたあと、くそ暑い中、新聞記事にもあった駅前の「大西じっちゃんの店」にいってみる。ちなみに深名線は、1995年に廃止されたようだ。
 通りの向こうに1軒しかない雑貨屋の看板には、にこにこ笑っているじいちゃんのイラストが描いてあり、この人が「大西じっちゃん」だなとすぐにわかる。とにかく暑いので、店前に設置してある自販機で冷たいお茶を買い、店にはいってみる。

「ごめんください」
 しーん。
 薄暗い店に、お客はだれもいない。
 店の中には、所狭しと雑多なものが置いてある。もう一度、声をかけると、横の部屋で昼寝中だったじっちゃんがどっこらしょとソファから起きあがってきた。70歳前後だろうか。イラストそのまんま、人のよさそうなじっちゃんだ。この人を慕って廃線マニアがやってくるというのも頷ける。
 自分のば祖母も鹿児島の片田舎で、集落に一軒しかない雑貨屋を女手ひとつで何十年も切り盛りしていたので、こういう店を見るとつい「がんばってんね、じいちゃん」と言いたくなる。
「炭、ありますか?」
 町のホームセンターで買ったほうが安いかもしれないが、今日はここで買いたい。
「あそこ」
 じっちゃんが指さした場所には、袋入りの炭が積み重ねてある。かなりでかい袋にはいっているのもあるが、3キロ入り680円のものをもらう。大きさは10キロ入りの米袋ほどもあるのでシートにくくりつけ、「あんちゃん、暑いね」というじいちゃんに見送られつつ、朱鞠内をあとにする。

 158号を士別に下り、「羊と雲の丘」などという羊を飼っている牧場に寄り(期待はずれ)、足寄のホームセンターではテント用の防水スプレーを購入。さらに国道40号を北上していると、ちょっとした坂道の頂上に露天の野菜売りの店があり、15センチはあろうかというでかいピーマン3個100円ものを6個ゲット。ついでにピンポン玉からソフトボール大のものまで7~8個はいったトマトも300円でゲット。

 午後4時ジャストにキャンプ場に帰着。
 調理師の免許を持っているという某広告代理店に勤務しているX4のライダー、猿払でホタテの加工場までいって12枚入りの天然ホタテを買ってきたそうだ。840円は安いが、バイクにもジャケットにもホタテの汁が流れ出て大変だったようだ。この時期、天然ホタテのワタには毒があると加工場の人に言われたらしい。そういえば、焼尻で買ったホタテはワタが除去してあったっけ。養殖ものは大丈夫らしいのだが……。ま、調理師の免許をもっているので、ホタテの調理は彼におまかせだ。

 横浜・バリオスのライダーも1人加わって、4人で買い出しにいく。農協系の小さなスーパーにいき、焼き肉(600グラム入り)2袋、ヤキトリ(生10本入り)2袋、シイタケ、ヤキソバ用ソバ(2玉)。個人用に隣の全日食店で、ビール4本、ワイン1本、氷などを買う。
 今夜はこの4人で夕食かなと思っていたら、結局、総勢9人に膨れ上がる。ヤキソバを焼くために金網の上に敷くアルミホイルを買い忘れ、駐車場でこれから買い出しにいくカップルのライダーに頼むと、快くOK。ついでに宴会もOK。2人ともセローに乗って仲良さそうなので、最初から2人旅かなと思ったが、どうやらこのツーリング中に知り合ったらしい。サイトのど真ん中で、お互いの出入り口を向けあってテントを張っている。むふふ、という感じだ。バイクは京都と鹿児島ナンバー。

 時間を合わせているわけではないが、露天風呂ではみんな一緒になり、しばし懇談入浴。風呂から上がると、声がちょっと嘉門達夫風の調理師、Mさんがホタテを刺身に料理してくれる。ヒモもちゃんと調理してくれるのは、さすがに調理師の免許をもっているだけある。彼がこの宴会のリーダーのような存在になり、あとからみんなにリーダーMさん、などと呼ばれる。バリオスのライダー、Y倉クンが調理補助をしてくれる。彼はボクサーの辰吉丈一郎にちょっと似ている。昔、バリバリのヤンキーやっていたのかなあという雰囲気がないでもない。残りは炭熾しに奮闘。煉瓦を積むのに、ああでもないこうでもないと、結構、みんな楽しんでいる。 

「女房より料理うまいです」
 と言って、ヤキトリなど焼いてくれたのは露天風呂で一緒になったCB750の足立区のライダー、YぱぱことHさん。彼は自分のホームページをもっているとかで、デジカメで宴会風景をぱちぱち撮る。(――後日、彼はホームページにこのときの模様を4~5枚ほど載せることになる。
 他に名古屋からきているサンダーエースの痩身ライダー、T仲さん。 
 それにもう1人、チャリで北海道を廻っている茨城のチャリダー、I沢さんも誘う。27歳の彼はアルバイトをやりながら、このまま北海道の冬を越すらしい。来年、いつ帰るのかも決まっていないのんびり旅だ。なんだか顔つきまでにこやかだ。

 利尻富士に2人で登ってきたというペアライダーは、最初は一緒に横に並んでいたのだが、いつのまにか鹿児島ライダーのSクンが、自分の隣に移動してくる。彼の住んでいるところは、すぐ下の弟の嫁の実家の隣町だと判明する。
「わたし、いくつに見えますかあ?」
 と、ちょっと酔ってきた京都の彼女がみんなにそう訊いている。
「28くらいでしょう」
 と、自分。
「いや、さすがやわあ。わかりますう」
 さすがというのは、どうやら自分がこの集団の中では一番年齢がいっているかららしい。
「今年30なんですよぉ」
 と、ケラケラ笑っている。
「へえ。彼はいくつなの」
 自然と話はそっちに向かう。
 わしの横にいた角クンがぼそり。
「22……」
 一瞬、場がしーんとしたあと、
「22かあ」
 とか、
「へええ」
 とかいう反応がさざ波のように広がる。
 ビールをぎゅうっと飲み干すものもいる。
「若いなあ」
「でも彼女、30には見えないよなあ」
 とか言っていると、
「だまされた」
 とSクンがみんなには聞こえないくらいの声でまたぼそり。

 みんなが彼女とまたまたわやわやはじめると、「ホントは35……」などと、静かなる攻撃をくわえている。酔いが回るにつれ、彼は1人2人と間をおきながら、じょじょに彼女から距離を置いていく。
 自分はワインもビールも飲みつくし、Mさんからラム酒をもらう。まあ、んなかんだで11時過ぎにはお開きとなる。

天塩川リバーサイドキャンプ場


キャンプ場の東屋。
ライダー、チャリダー同士で、わやわややる。



1999年7月12日 北海道ツーリング 14日目

2025年03月28日 | 1999年 北海道ツーリング
7月12日(月)
 天塩川リバーサイドキャンプ場(連泊)歌登~枝幸~猿払~宗谷岬~稚内~キャンプ場




 午前6時半。熟睡していたが、日射しの暑さにたまらず起床。快晴。今日も連泊の予定。
 道東、道南は雨だという。宗谷岬の丘陵を目指して、8時半前後には出発。咲来峠から歌登、枝幸に抜けたとたんに霧。海沿いに北上していくと、やがて濃霧。温度も下がってきたようで、上着から冷気がばんばん吹きこんでくる。道端にバイクを停めてレインウェアの上だけ取りだして着ていると、宗谷方面からくるライダーはみな、レインウェアを着用している。宗谷地方も雨かと思ったが、ウェアが濡れている様子はない。たぶん、これから向かう道東に備えて着こんでいるのだろう。

 猿払小にある集落から猿骨にでる道を走ってみるが、当然だが建物などを見ても開拓当時の面影はない。猿払はもともと三井王子製紙の土地を政府が買い上げ、開拓の地にしたと聞いていたので、このあたりには製紙に使うような木が豊富にあったのだろう。今は村営の広大な牧場(約500ヘクタールもある!)が海沿いに広がり、天然のホタテの水揚げ高は日本一だと看板にある。

 いつのまにか、霧も晴れ上がる。ハラ減ったなあと思っていると、238号沿いにぽつんと食堂が見えてくる。別練はライダーハウスになっているようだ。1泊1000円。ちょっと覗いてみる。1階はバイクが5~6台は駐車できそうな車庫になっていて、その奥に雑魚寝の6畳間。車庫の横が風呂場、洗面場、2階にも部屋があるようだ。階段下の物入れ空間の戸には「ヘルパー〇〇君の部屋」と張り紙がしてある。1畳ほどしかないようだが、一応個室だ。外に横浜ナンバーのバイクが停めてあるので、たぶん、そのライダーが食堂のヘルパーをやっているのだろう。

 食堂の名前にもなっている「やませ定食」(1000円)を注文。ホタテづくしで、ホタテとタコの刺身。ホタテのマリネ、焼きホタテ(でかい)、毛ガニ入りのみそ汁、メシ、漬け物。天然ホタテ日本一の水揚げ高があるだけのことはある。新鮮でうまい。若い男性が給仕をしてくれたが、どうやら彼がヘルパーのようだ。

 食後、宗谷岬から宗谷丘陵に向かう細い道を上り、4速、アイドリング状態で丘陵をトコトコ走り、満喫。稚内では、去年泊まった「さいはて旅館」などを眺め、半島一周。ホクレンの給油所がなかなか見つからないなあと思っていたら、40号を稚内市街地からやや下ったところで発見。稚内とスタンプしてある黄色い旗をもらう。
 稚内から内陸部に走るにしたがって、空気がむっとしてくる。
 音威子府に着くころには、Tシャツ1枚でも暑いくらいで、道の駅「おといねっぷ」に立ち寄るのも億劫になる。午前中の枝幸側の温度とはえらい違いだ。道の駅にはまったく客の姿はなく、トイレだけ借り、さっさと裏手の小道から立ち去ろうと道の向こうを見ると、パトカーが交差点手前に隠れるようにして停車している。「ネズミ取り」をやっているようだ。彼らは炎天下の下、じいっと辛抱強く息を殺して獲物を待っている。うしろからそっと近づいてエンジンをわんわん吹かし、ばばばと脇をすり抜け、信号無視して一気に走り抜けていく自分の姿を一瞬思い描くが、実際には教習所なみにゆっくり横を走り抜け、交通規則遵守で信号を左折。

 と、数十メートルもいかないうちに、右手の全日食チェーン店前の歩道にいるライダーが手を振ってくる。
 なんだ。なんだ。
 パトカーでも追ってくるのかと思って、ミラーでうしろを確認してから、そのライダーをよく見ると、なんとHさんじゃないか。去年、糠平のキャンプ場で知り合ったセローのライダーだ。
「久しぶり。どしたの」
「留守電のメッセージ聞いてきたんですよ」
 あ。そうか。忘れていた。

 彼とは出発前に、メールのやり取りを数回やっていて、そのときにお互いの携帯電話の番号を教えあっていたのだ。午前中、今、天塩川キャンプ場にテント張っていると、伝言を入れていたのをすっかり忘れていた。でも、こんなにすぐにやってくるとは。4~5日たってから、道東あたりで再会するだろうなと漠然と思っていた。Hさんは昨日フェリーで小樽について、昨夜は糠平キャンプ場泊だったらしい。天塩川キャンプ場にテントを張って、買い出しにきたという。
 じゃあ、今夜は飲もうということになり、酒をどこで買うかしばし相談。Hクンはもうこの店で仕入れたようだ。
「ワインだったら、セイコーマートのほうが安くて豊富にあるね」
 数キロ先にいったところにセイコーマートがある。
「でも、酒がおいてあるかどうかわかりませんよ」
 と、Hさんが忠告してくれる。
「看板の一番上に、ワインって書いてなかった?」
「ワイン?」
「ほら、wineって白抜きがあるところは、酒も扱っているんだよね」
「ええ! あれ、ワインって読むンですか。いつも、あれは変な模様だなって思っていたんですよ。そうなんだ。あれはwineなんですか」

 ということで、自分だけセイコーマートに寄って、ビール4本、ワイン1本(380円)を買ってからキャンプ場に戻る。キャンプ場から温泉施設までは100メートルほど。Hさんがノーヘル、スリッパ履きでバイクを運転して入浴しに行ったので、自分も荷物をテントに置いてすぐにあとを追う。
「ここ、シャンプーありませんよ」
 と、風呂場で会ったHさんにそう言われる。
 去年、金山湖畔の風呂場でも、石けんがなく、だれかが残していった小瓶のシャンプーを石鹸代わりに使った苦い思い出がよみがえってくる。
「石けんもないんだ」
「いや、石けんはありますよ」
 と、Hさん。
 ん、もう。
 石けんがあれば充分だ。自慢じゃないが、ここ10年以上シャンプーを日常的に使ったことはない。頭も身体を洗うのも、すべて石けんのみ。シャンプーなどビジネスホテルなどにたまに宿泊したとき、使うくらいのものだ。リンスなど1回も使ったことがない。自分の髪の毛と地肌にとっては、リンスなど幻の存在だ。だが肩まで髪を伸ばしているロン毛のHさんは、ちょっと残念そうな顔をしている。

 露天風呂からは、視界を遮るものがほとんどないので、天塩川が眼前をゆったり流れるのを眺めることができる。外の湯は結構温いので、ゆっくりゆっくり気分だ。Hさんは7月30日の小樽発の便が予約済みだという。前方の景色が夕焼けに染まっていく時間がなんともいえない。
 宿泊施設も整っている建物から、ノーヘル、ビーチサンダルでバイクを運転してキャンプ場に戻る。身体が火照っているので、顔と頭にに当たる風が気持ちいい。たったこれだけの距離だが、ノーヘル、ノーグローブ、サンダルで気軽に走るのは、精神的にもかなり開放される。でも違反は違反なんだ。

 夜は、Hさんがもってきたドカシーをサイトの芝生の上に広げ、その上でささやかな夕食兼飲み会。Hクンは新兵器として、ウォークマンに超小型スピーカーを取りつけられるやつを持ってきていて、音楽のBGMまで演出してくれる。蚊が多いので蚊取り線香を焚くが、効果はほとんどない。ウィンナーを焼いてビールの肴にする。

 しばらくして京都からやってきたアフリカツインのライダー、仕事を辞めて北海道を一周している四国出身のオフ車ライダー、X4に乗っている大田区のライダー(あとで親しくなるMさんだ)などが集まってきて、わやわやとやる。ライダーはこの5人だけだ。あとはサイトの外れに、蚊帳つきのでかいテントを張っているファミリーキャンパーがいるのみ。
「北海道は違う違うてみんな言うけど、実際、走ってみたら、奥飛騨あたりと景色はかわりゃせんじゃないの」
 と、四国のライダーがぼやいたりするのを聞きながら、静かに夜は更け、満天の星の下、午後10時過ぎにはお開きとなる。


猿払川。自然のままの河岸。


宗谷丘陵。



1999年7月11日 北海道ツーリング 13日目

2025年03月27日 | 1999年 北海道ツーリング
7月11日(日)
 焼尻~羽幌~豊富温泉~天塩川リバーサイドキャンプ場



 午前6時半には起床。
 日射しが直接、テントに当たってくるので、寝ていられるものではない。のらくらしながら、テント撤収。羽幌行きのフェリーは11時20分。Tクンは先にキャンプ場を出発。港で会うことになる。自分はまた「オンコの森」などにいき、森を散策。鳥の鳴き声はするが、なかなか居場所がつかめないのがもどかしい。

 11時前にフェリー乗り場にいくが、昨日よりもかなり賑やかだ。乗り場前は人で溢れかえっている。
 でかいトラックの特設ステージまで設けられ、あまり名前を聞いたことのない演歌歌手の幟が立っている。たぶん歌謡ショーと一緒にカラオケ大会などもやるのだろう。今日は羊の丸焼きがじっくり焼き上がるのを見学。ささっと切り分けて、1皿500円。見た感じはアブラがたっぷるという感じだ。肉の部位に偏りがあり、ちょっと高いので今回はパス。いずれ、再訪するつもりだ。

 フォークリフトで水槽タンクにはいったムラサキウニを運んできたので、こちらのほうを1個ゲット。ソフトボールよりもでかいウニを選んで1個300円。半分に割ってもらったものを、スプーンもなにもないので、指の腹で身をすくったのをそのまま食べる。でかいネコの舌のようなオレンジの身が5~6切れほどはいっている。味は利尻で食ったものにはかなわないが、やはりこういう新鮮なものは美味い。
 しばらくするとTクンもやってきたので、ウニをオススメすると「これはビールを飲みたくなりますね」と生ビールも注文している。
「バイクの運転は?」
「いやあ、フェリーから下りるころには酔いは覚めてますよ」
 大丈夫という感じだ。

 自分は、基本的には陽が沈まないと飲まないと決めているのでパス。しかし、美味そうに飲むなあ。そんなTクンを横目に、今度は彼がオススメだという魚のすり身を団子にして揚げたものなどを、ぼそぼそと食う。串団子のように3個刺してある。でも、新鮮なホッケの身なので、咀嚼しているとさつま揚げのような旨味が口の中に広がってくる。結構いける。これは200円也。

 昨日は天売島でも、バイクはついに見かけずじまいだったが、今朝の一番で渡ってきたのだろう、札幌ナンバーのTRXと赤いカワサキを見かける。カワサキは後ろ姿しか見えなかったが、ニンジャ系のバイクのようだ。
 天売島からきたフェリーは乗船客で満杯、定刻より10分遅れ、ほとんどの人が下船したようだったが、焼尻から上船する人もかなりいて、結局、羽幌まで満員状態で航行。今回はTクンのバイクと共に、乗船口にCBを停めさせられる。

 上陸後、すぐに銀行に直行。日曜日なのに、こうやって信用金庫が営業しているので便利といえば便利だ。銀行前でしばし別れの会話。Tクンの今日の予定は手塩川河口の「鏡沼海浜公園キャンプ場」泊とのこと、明日あたり礼文に渡るという。秋口に関東近辺にきたら、自宅に電話するようにと約束して、それぞれ出発。

 さてという感じで、北に進路をとる。天気がいいのと、久しぶりの直線道路をそれなりのスピードで気持ちよく流す。今日の目的のひとつが、皮膚病やアトピーなどに効能があるという豊富温泉。オロロンラインでは利尻富士がばっちり。思わずバイクを停めて、記念写真など撮る。去年と同じ稚咲内から豊富方面に右折して、そのまま豊富温泉まで直行する。

 豊富温泉は1926年の石油試掘中に噴出したという日本最北の温泉だという。町営温泉センターで420円を払って入浴。浴室に足を踏み入れた瞬間、ぷうんとコールタールのような匂いが鼻を刺激する。嫌いな匂いではない。湯には、でかいアカのような油カスがぷかぷか浮いていて、ほとんど源泉のままのようだ。
 一緒にはいっていた地元の人によると、近くのホテルなどでは、源泉の湯を薄めて使っているか、油カスを漉しているので、かなりきれいな湯らしいのだが、ホントに皮膚疾患を治したい人は、わざわざホテルからこのセンターまで毎日通ってくるという。センターに宿泊施設はない。

 湯からあがり、皮膚に鼻をこすりつけるように匂いを嗅いでみる。重油らしき匂いがしないでもないが、浴室全体がこの匂いなのではっきりしない。
 浴客は、上がり湯の代わりに水風呂に浸かってから上がっているようだ。自分は身体を冷やすために水風呂にはいり、また浴槽に浸かる。これを数回繰り返す。身体についた匂いはそれほど気にならないので、それほど念入りに湯垢を落とすことはしない。1時間ほどのらりくらりと浸かり、午後4時前後にセンターをあとにする。

 30分ほど走り幌延町のキャンプ場にいってみるが、テントなど1張りもない。当然ながらキャンパーの姿もない。駐車場からテントサイトまでかなりの距離もあり、ひょっとして、ここは小中学生が団体で使用するようなところかもしれないと判断。ここから80キロほどある「天塩川リバーサイドキャンプ場」まで南下することにする。ここは、いいキャンプ場だと聞いていたうちのひとつだ。

 途中のコンビニでカツ丼弁当、レトルトのククレカレー、トマト(2ヶ)を購入、午後6時半前後にはキャンプ場着。山の斜面を削った高台にキャンプサイトがあり、目の前は天塩川温泉施設がある。キャンプ場使用料は無料だが、温泉は200円とのこと。さっき、入浴したばかりなので今夜はパス。サイトにはテントが3張りほど。静かでいいところだ。カツ丼弁当に温めたククレカレーをぶっかけて夕食。スプーンなどもってないので、箸で食う。本など読んで午後10時前には早々と就寝。




焼尻島・オンコの森

オンコの森。ちょっと、中に入ったところ。


オロロンライン。

オロロンライン。





1999年7月10日 北海道ツーリング 12日目

2025年03月26日 | 1999年 北海道ツーリング
7月10日(土)          
 焼尻~天売~焼尻(白浜キャンプ場連泊)



 午前7時前には起床、キャンプ場から海を見下ろすと、いるいる。小舟が何十艘も島の浅瀬を取り囲むようにして漁をしている。舟から半身を乗りだしながら棒状のものを操り、なにか獲っている。ウニだ。今日と明日(土、日)は、「焼尻綿羊祭り」というのが開催されると港の看板にあった。観光客も大勢くるだろうから、大量の新鮮なウニを獲っているのだろう。舟は時間がくると、一斉に港に引き上げていく。これも決まりになっているようだ。あっという間に、舟は付近から1艘もいなくなる。

 朝一番、10時のフェリーで天売島に渡る。Tクンも一緒だ。バイクは港に置いたまま、デイパックを背負っていく。焼尻のフェリー乗り場前では、ドラム缶を縦に切ったような容器で、羊を一匹まるごと焼きはじめている。テントやイスも並べられはじめ、ウニをいれる大きな水槽も用意され、焼尻綿羊祭りの垂れ幕、規制のロープも張られている。夜が楽しみだ。

 焼尻島から天売島まではフェリーで20分ほど。
 フェリーで天売島に向かっていると、だんだんと島の後方が盛り上がっているのがわかってくる。Tクンは歩いて島を廻るというが、自分にはとてもそんな元気はないので、自転車を借りてうろうろするつもりだ。海上のあちらこちらに、海鳥がぷかぷか浮いている。双眼鏡を取りだして観察してみるが、残念ながら種類は判別できない。だが、双眼鏡を向けるところ、向けるところ、海鳥が波間に漂っている。半端な数ではない。やはり、海鳥の島にきたんだなと実感する。

 天売島も焼尻島とほぼ同じ大きさだ。周囲12キロ。自転車なら1時間もあれば、楽に1周できる距離だ。
 Tクンとは、それじゃあ、午後の便でまた会いましょうということで、港で散会。焼尻と同じように、食事をしたら自転車無料貸し出しの店はないかと探してみるが、天売島にはそういう店はないようだ。残念。ハラが減っているので、どこかでメシを食うことにする。こういう離島では、新鮮な魚、新鮮な魚、と念じつつ定食屋など探すのが楽しい。北海道本島に比べて、よさそうなのを出してくれそうな気がする。

 たまに失敗もある。
 駅前(島の人たちはフェリー乗り場をこう呼んでいる)に、定食屋が2軒並んでいたのでどちらにはいろうかと迷う。どちらもうまそうなのをだしてくれそうだ。こういうときは迷う。結局、見てくれがいいほうを選ぶ。店内の壁には椎名誠さんのサイン色紙が掛かっている。ああ、ここで食べたんだと、なんとなくホッとする。俳優とか歌手のサインよりも一発で利く――と、都合よく解釈。期待に胸を膨らませつつ、「刺身定食」(1000円)を注文。

 どうやら、自分が今日、最初の客のようだ。時間は朝の10時半、しかし、この店でうまいものを食うにはちょっと時間が早かった。
 刺身定食以外でオススメだとしたら、やはりウニしかないようだが、ウニ丼の値段を見ると2800円。今のところ、一人で食べる勇気なし。しばらく待たされて刺身定食が運ばれてくる。いけそうだ。メシはいつものように大盛りにしてもらう。小皿にタコ、白身魚のそぎ切り、ほかにも名前のわからない魚の刺身。みそ汁も寒ノリ(たぶん)いりでうまそう。これで1000円は安いほうだろう。
 さっそく新鮮そうな白身を醤油にちょいちょいとつけ、口に運び、ご飯を一口。
 白身を口にいれ、咀嚼。「シャリ、シャリ」
 あ。 
 まだ解凍が十分にすんでいない冷凍物だ。ルイベとは違う。

 他の刺身も箸でつついてみると、全部、凍っている。どうやら、皿ごと冷凍室で一晩ほど、眠っていたものらしい。まずくはないが、しゃりしゃりするだけで味はよくない。あえて言うなら、口中で溶けてきても決してイヤな臭いがしないので、新鮮なものを冷凍したのは間違いない。まさか、刺身定食が全部こうじゃないだろうと思う。おそらく、昨日の余った分、こうやっているのだろう。たぶん昼過ぎにくれば、冷凍モノじゃない刺身定食が食べられるかもしれないが……。それにしても、期待していたぶんだけ、ちょっとがっかりする。だが、ひょっとしてルイベの類でこういう料理なのだろうか。……でも、そんなこと、ないはずだ。
 それでもハラが減っているのでバクバク食べる。昨日までは獲りたて新鮮だったんだ。

 食後、気を取り直して近くの貸自転車屋にいき、2時間700円の自転車を借りる。この島の道路事情はちょっと変わっていて、この時期、自転車であろうとも、道は時計回りの一方通行だからねと説明される。島の向こう半分には自動販売機がないので、飲み物買うならこことここ、などと教えられる。自転車を漕ぎながら、集落の外れの「国設保護区管理練」で「オロロン鳥」のビデオなどを鑑賞。ウミガラスが正式名称のこの鳥は、20年ほど前までは何千羽もいたのに、去年はわずかに17羽しか生息が確認されていないという。ほとんど絶滅に等しい。彼らのヒナを襲うオオセグロカモメ、あるいは獲ってきたエサを横取りするウミネコなどは、人間に依存して生きられるが(漁でおこぼれの小魚などを食う)、ウミガラスにはそういうことができないのが原因のひとつだという。

 島の道は最初ちょろちょろという感じだた、途中から、急激に坂がきつくなる。ところどころ「マムシ注意」と看板が立ててある。とても、ペダルを漕いでいられないので、30分ほど押して坂をいく。汗だくだく。
 坂を上るにしたがって妙な穴が増えてくる。
 さっきビデオでも観た「ウトウ」の巣だ。野ウサギが掘り返したような深い穴が、急斜面に無数に広がっている。マムシなんぞ、安心して地中で冬眠できそうにない地形になっている。

 岬に飛び出すようにして続いている展望廊下(?)をいくと、崖の全面がウトウの巣だらけ。ここには約80万羽のウトウが生息しているという。だが、ウトウの姿は1匹も見あたらない。岩場ではウミネコが乱舞。ウミネコは海に潜れないので、エサを自分では穫ることはできない。他の鳥が獲ってきた魚を狙うと聞いた。それを避けるために、ウトウは朝、エサを獲りに海にでてしまうと、夕日が沈みかけたころにならないと巣に戻ってこない。そのときのウトウの写真を見たが、クチバシに小魚を櫛状にして10匹以上はくわえている。多いものになるとそれ以上。最後の小魚はいったいどうやって獲って、くわえたのだろう、どういう方法で捕獲しているのだろうか。

 どうやら、この天売に渡ってくるときにフェリーの上から海間に見えたのはウトウだったようだ。
 展望台からさらに坂をいくと、ようやく平坦地。さらに進むと海鳥観察舎というスレート葺きの小屋が岩崖に迫り出すようにして建っている。そこでTクンと再会。建物の中には望遠鏡が2基そなえてある。1台はニコンの高倍率望遠鏡だ。オロロン鳥を見ることはかなりむつかしいと管理練の女性が言っていたが、どこかにいないものかと望遠鏡であちこちの岩棚を覗きこむ。
「オロロン鳥、いましたよ」
 別の望遠鏡で、別方向を見ていたTクンがさりげなく言う。
「お」
 どれどれという感じで、自分も覗かせてもらう。

 ホントだ。いるいる。あのペンギンに似た模様で、岩棚に真っ直ぐに立っている。距離にして3~400メートルくらいはあるだろうか。なんて運がいいんだ。望遠鏡をわずかに動かすと、なんとその横にもいる。この2匹、つがいだろうか。さらに周囲を注意深く観察すると、驚いたことにあと4羽もいる。17羽しか生息していないのに、そのうちの6匹が目の前にいる。運がいい。

 さらに観察していると、オオセグロカモメだろうか、オロロン鳥の周りをウロウロする。じゃまなんだろう。それとも、ヒナでも狙っているのだろうか。だが、オロロン鳥にはまったく動じる様子がない。ん? 動じないどころか、身じろぎひとつしない。これはおかしい。双眼鏡の接眼レンズをぐいっと押しつけるようにして、息を殺してオロロン鳥を見つめる。
 なんと――。これは、デコイだ。
 どうりで動かないはずだ。一瞬にしてさきほどの感動がウミネコの乱舞するあたりまで飛んでいき、口元に笑みが浮かぶ。疲れた。──あとで島の人に訊いたところ、オロロン鳥が再び増えるのを願って、こうやってデコイを置いているのだという。

 自転車を返しても、フェリーの時間までは2時間ほどある。行き止まりになっている港外れまで歩いていき、さらに島の急な斜面と港の間にある開けた土地に足を踏み入れたときだ。突堤と木造倉庫の間に、黒い覆いをしたファイバー製の水槽が、コンクリの上に何個も並んでいる。水槽は縦10メートル、横2メートルくらいか。それが6~7個はあり、プラスチックのノズルから海水が流れ出ている。なにかの養殖だ。ここは港からは完全に死角になっている場所でもある。

 黒い覆いは分厚いゴム製で脇にロープでばっちり固定してあり、容易にほどけそうにない。覗いてみようとしても無理だろう。ウミネコやカモメ対策なのかもしれない。ヒラメかカレイと見当をつけるが、それにしてもずいぶん念がいっているものだと感心する。
 民家の裏口が並んでいる狭い道に歩きはじめると、さっきの木造倉庫前にムラサキウニの殻がカゴに山になっている。おおっ。よく見るとまだ割ったばかりのようで、濡れている。商品価値にならないようなウニの黄色い断片が混じりこんで、ウニの黒褐色と対比を成している。こんなカゴが3~4個ほど。

 倉庫の中ではおばちゃんたちが5~6人で車座になり、地べたに座りこんで作業の真っ最中。どうやらウニを割って身を選別しているようだ。車座の中心には、生きたウニが山盛りになっている。それを1個1個手に取って割っている。倉庫の入り口から先には、よそ者には近寄りがたい空気が漂っている。入り口といっても倉庫は丸見えの開放練なのだが。
「あの覆いがしてあるのは、なにを養殖しているんですかあ?」
 意を決して、声をかけてみる。シンとしている。なんか気まずい空気が、近寄りがたい空気に混じり合い、おれ、あっちいったほうがいいかなという雰囲気になる。四秒ほどじっと待っていると、ようやく、
「ウニ」
 と、一言だけ返ってくる。
 あとは、また無言。おばちゃんたちとの距離は2メートルもないのだが、さっきからだれ1人としてこっちを振り向こうとしない。見ちゃならないものを見てしまったのかな、という気持になってくる。

 まあ、いろいろあるのだろう。でかくなるまであそこで養殖しているのかもしれないし、今は直径一センチくらいほどの稚ウニまで育ててから、海中に放流する栽培漁業もあると聞いているので、そのどちらかだろう。しかしムラサキウニが殻付で売られている理由を垣間見た気もする。育てやすく、成長も早いのだろう。
 というわけで、再び港のフェリー乗り場に戻るが、まだ時間があるので土産物屋を覗く。海草類は好物なので、ここでも寒ノリとトロロ昆布――これは小さく刻んであるというか、砕いてあるやつで、みそ汁にいれるとトロトロ状になる。これしか買わないのに、天売島のペナントをおまけでもらう。

 隣の店には、なにやら雑誌の記者が取材にきているようで、店番のおばちゃんを外に連れ出して写真など撮っている。「若いねえ、おかあさん……」などと言って周囲を和ませている。記者は2人いるようで、1人はカメラで写真を撮りながら店の土産物を大判のノートにイラストを描いている。もう1人も手帳にちょこちょことメモを取っては、写真を撮っている。念がいっているなと思っていると、どうやら別々の雑誌社が共同で取材していると判明。

 メインは殻付のウニを生きたまま発泡スチロールの容器にいれて宅配するやつだ。10個前後のでかいムラサキウニが詰められ、本州にも発送できるという。このあいだは沖縄に空輸した人がいたらしい。
「他に珍しいものありますか?」
 と、記者が訊いている。
「これなんかどうかね」
 と、おばちゃんが奥から持ってきたのは、ウニの缶詰。
 直径7~8センチ、高さ約2センチくらい。値段1600円。
「この値段だから、あんまりでないねえ」
 と、おばちゃんが残念そうに言う。
「ほう。1600円か。礼文利尻では3500円だったなあ」
 記者が缶詰をためつすがめすしながら言うと、土産物屋のおばちゃんたちがおやっというふうに顔を見合わす。
「あ。でもそうかあ。これムラサキウニだからだね。向こうはバフンウニだったからね」
 やはりバフンウニは高級品のようだ。
「これ、どこで製造しているんですか」
「あっちの工場」
 と言って、おばちゃんはさっきのウニの殻を剥いていた方向とはまるっきり逆方向を指さす。「先生」と呼ばれる人が、缶詰製造を指導しているらしい。ウニの缶詰なんて珍しいし、1個、買ってもいいかなという衝動にかられるが、結局、パス。殻付の新鮮なものが目の前にある。やはり産地にきて、手にとって食うのが一番いい。

 記者二人がどこかにいってしまったので、おばちゃんたちとちょっと話をする。
「天売では、ウニ漁は何日くらいですか?」
「そうねえ、10回、いや12回かねえ」
「そうなんですか。焼尻では18回のようですね……」 
 そう言うと、おばちゃんはちょっと驚いたような顔をして、
「そうなのかい?」
 と、隣のいたおばちゃんに訊いている。
「漁協によって違うからねえ」
 などと、おばちゃんたちは内輪の話に突入していく。

 その後、フェリー乗り場の待合室でTクンと合流。結局、Tクンは3時間ほどかけて歩いて回ったようだ。3時5分の便で、再び焼尻島に戻る。
 フェリー乗り場前では、炭火バーベキューができるテーブルがずらりと並べてあり、ウニ、カレイ、タコなどを焼いて、みんな美味そうに食っている。テーブルの上に載っているのは、当然生ビールだ。朝見たあの羊の丸焼きは、あらから食いつくされたようで跡形もない。バーベキューのネタはテントの前で売っているが、もうそれほど残っていない。まだ午後4時前だ。でも、バーベキューの時間は終わりのようだ。ぼんやりベンチに座っているTクンに、キャンプ場で一緒にミニバーベキューでもやらないかと誘ってみる。

 日本一周している男に金の余裕なぞあるはずないので、バーベキューのネタは自分の奢りだ。食堂のおばちゃんから、親切にも漁協婦人部がやっているバーベキュー広場のミニ倉庫を管理している人を紹介してもらい、ホタテ10枚入り袋、タコの串刺し(4本)、イカ一夜干し(2枚)を原価で分けてもらう。あと、雑貨屋でピーマン、シイタケ、ついでにビールも4本ほど購入。
 キャンプ場は、昨日と同じで風が強くなってきている。

 自分のテントと横に停めたバイクの間に、Tクンがタープ代わりに使っている2畳ほどのドカシーを風よけに張り渡し、風よけをつくる。バイクにもバイクシートをすっぽりかけているので、なかなかのものができあがる。直接、風が当たることはなくなった。まだかなり陽は高いが、それぞれ、ストーブをもってきて、ミニバーベキュー開始。
 ホタテの貝柱をナイフで切り外し、殻を直にストーブに載せて焼く。最初は焼き具合の要領がつかめなかったが、慣れてくると簡単なものだ。ハアハア言いながら白い身をほおばる。すかさすビール。うまい。Tクンはお返しにと、タマゴを5~6個つかったタマゴ焼きなんぞつくってくれる。
「1ダースづつしか売ってないので、移動するときに困るんですよね」
 と今日中に使い切るようだ。昨日もタマゴを結構食べたらしい。自分にも覚えがあるので、ははと笑う。
 タコもうまいし、ピーマンもなかなかのものだ。
 午後8時くらいに、港から花火があがる。島の丘陵を通して、1円玉ほどの大きさにぱっと花が咲くのが見える。見当をつけていた場所よりも、ずいぶんと左寄りに港があるのが不思議だ。昨日と同じ、空には満天の星。午後11時前には寝る。


天売島。オロロン鳥の見える展望台。
Tくんと。

1999年7月9日 北海道ツーリング 11日目

2025年03月25日 | 1999年 北海道ツーリング
7月9日(金)
 羽幌~焼尻(白浜キャンプ場)




 午前7時起床。ものすごく疲れた気分だ。
 隣にテント張っていた50代のキャンパー夫婦は、テントだけ置いてどこかに逃げていったようだ。たぶん近場のホテルにでも避難したのだろう。若いカップルも、テント前でもぞもぞやっている。彼らも眠れなかったとは思うが、女性が一緒だと男は気が気じゃなかったはずだ。

 ま、なんだかんだで、午前8時にはフェリー乗り場に着く。
 さっそく8時40分発のフェリーの申しこみをするが、窓口の女性がなんかとまどっている。「予約されてますか?」と訊かれたので「いいえ」と答える。女性は困ったような顔をして、部屋にいた男性係員になにかボソボソと声をかけている。予約しないとだめだったのか! とイヤな予感のまま窓口でぼんやり。
「ちょっと、こっちきてえ」
 と、事務机にいた男性に呼ばれる。
 ああ。なんだなんだ。
「ええと、いきは乗れるけど、帰りはフェリーに乗れないかもしれないよ……」
 どういうことなんだろうと、首を傾げていると、予約の集計表みたいなものをペラペラめくってくれる。帰りのフェリーは、1週間先まで予約で一杯のようだ。バイク1台くらいどうにもなりそうな気はするが、よほど小さいフェリーなのだろうか。
「帰りの期日を決めているわけではないし、余裕はあります。かまいません。渡るだけは渡ります……」
 とりあえず、帰りは11日の便を予約する。
「帰り、ホタテを積みこむようだったら、バイクは無理だから。詳しいことは、その日の朝、現地で訊いてみて……」
「はい。かまいません」

 ということで、焼尻までのバイク運送賃(2600円)を払い、そのあともフェリーの時間を確認したり、キャンプ場の情報を訊いたりする。結局は午前8時50分の便に乗れることになる。なんだかホッとする。待合室に戻って乗船切符(1600円)を買っていると、ライダーから話しかけられる。どうやら、バイクの乗船は断られたらしい。
「何時くらいにきたのですか?」
 と、悔しそうだ。
 8時だと言うと、予約されてたんですかとも訊いてくる。してないと言うと、そうですかとうなだれる。彼もさっききたばかりだが、一足違いだったようだ。ようするに今朝のフェリーは、バイクを載せる余地は1台しかなかったということだ。フェリー乗り場に車を置いて島に渡る人もいるので、そうしたらどうかと言ってみるが、どうもそうする様子はない。とにかく、それじゃと挨拶して、バイクをフェリーに積みこむ。

 やはり、フェリーは車で満杯(といっても10台積んであるかないかだが)、バイクは狭い場所に1台置くだけの余裕しかない。とても小さなフェリーだ。看板に上がって海面を見下ろすと、船影に30センチ以上は軽くあるホッケが群でうようよしている。釣り糸でも垂らせば、ばんばん釣れそうだ。
 ――と、横に「こんにちは」とさっきのライダー。
「やっぱり、バイクを置いてきたの?」
「いや、載せてもらえました」
 と、嬉しそうに言う。
 あの狭い場所にどうやって積みこんだのだろうと訊いてみると、カブの50CCなので、自転車と一緒に開閉扉のすぐ内側に積んでもらったそうだ。彼は九州は福岡西区の出身で、日本一周の途中だという。約1ヶ月半前から沖縄をはじめ、ずうっと北上しているそうだ。顔が日焼けで赤くなっている。

 焼尻には約1時間で到着。周囲12キロの小さな島だ。
 小さな港にフェリーが接岸すると、とりあえず、バイクで島を一周。30分もあれば十分だ。道路は半周だけ2車線、残りは1車線で、一応全面舗装になっている。海岸縁の道路から見える海は、さすがに澄んでいる。島を半周したあたりにある白浜キャンプ場にテントを張ることにする。フェリーで一緒だった福岡のカブライダーも一緒だ。カブは足の覆いになっている前部分(?)が取り外され、車体が黄色く塗り替えられているので、一見しただけではカブとは思えない。エアダクトとなどは剥き出しになっている。

 島の中ほどにあるイチイの木の森――といってもバイクだと5分くらいのものだが――などにいき、メシを食いにまた港のあたりに戻る。食事をすると自転車は無料だという食堂にはいる。この島では2時間700円で自転車を貸し出している。店内には「ウニギリ」というウニを握ったオニギリの写真がある。この店のオリジナルメニューのようだ。3個で1500円。1個が500円ということだ。今朝、穫れたばかりだというウニは定食で2500円、これも壁に見本写真が貼ってある。
「ツブ貝丼、下さい」
「珍しいね。バイクで来る人はたいてい、ウニギリを食べていくんだけどね」
 どうやらツーリング雑誌かなにかで取りあげられたことがあるらしい。でも、今回はパス。丼モノを無性にかっこみたい気分だ。
「あ。もう変便だめだよ。貝をさばいちゃったからね」
 店主は外の水槽から取ってきた貝の身を、カシャカシャと外しながらそう言う。新鮮なものを目の前でさばかれると、気持がいい。

 だが出てきたツブ丼は普通のメシ茶碗容器で、これはあきらかに1食分としてはメシが少ない。ライダーでなくても、少ないと感じるだろう。ガツガツとメシをかっこみたいが、この茶碗だとあまりにも小さくてやる気になれない。なんだか、行儀よく頂きますという感じで頂く。でもさすがに新鮮な磯の香りに、ショクショクという歯ごたえ。美味い。みそ汁も付いて、これで1200円也。もう一品くらいは軽く食べられそうだが、金の余裕なし。あとでインスタントラーメンでも作ろう。

 キャンプ場に戻ると、密漁を監視しているというおじいさんがきている。
「この島にはガソリンスタンドないみたいだね」
 福岡の彼と情報交換をしていると、
「あるよ。警察署横にあるんだよ」
 と、もうバイクに跨って、帰りかけていたじいちゃんが教えてくれる。
 警察署といっても、交番のような本当に小さな建物があるきりだ。それがきっかけになり、じいちゃんはバイクのスタンドを再びかけて、自分らのほうにやってくる。福岡の彼は自分のテントに引っこんでしまい、わたしのテントの前で二人腰を下ろし、世間話となる。じいちゃんにしてみれば、いい案配で話相手ができたというところか。

「今年、ここでキャンプするのは、あんたがたが最初だなあ」
 そういえば昨夜も、あの砂浜でキャンプするのも、自分たちが最初だったんだよな。
「去年は横浜からきた若いやつが、ここで1ヶ月以上、1人でキャンプしてたなあ」
 ここは海の見える高台にあり、眺めはバッチリだが、周囲数キロ以内に民家は一軒もないという場所だ。振り返ると、数キロしか離れていない天売島もばっちり見える。細い道を港方面にいくと、民間の牧場が一軒あるだけだ。前は断崖。うしろは藪、そのうしろに島の半分を占めるように町営の羊牧場が広がっている。もちろん、外灯などというしゃれたものはない。横浜のライダーには、下の海岸で自分が食べる分だけだったら、ウニを獲ってもいいと言ったんだけど、結局、最後まで海にははいらなかったなあ、とじいちゃんは笑って言う。

 当然、
「あんたたちも、自分たちの食べる分だけだったら、ウニ獲ってもいいよ」
 と言われる。
 え。ラッキー。ウニを自分で獲るのは、高校のとき以来。楽しみだ。
 じいちゃんは今年75歳で、この島で生まれ、この島で育ったそうだ。今もウニ漁をしているという。ウニ漁は夏期の2ヶ月ちょいで、このキャンプ場脇にある「旗立て場」で、早朝、旗を揚げて、その旗の色で今日はなにを獲っていいという合図を出すそうだ。ウニは毎日獲っていいわけではないらしい。2ヶ月の間に18回だけだという。他の日はコンブやナマコを獲るらしい。
「昔は、黄金の島って言われたもんだ」
 ニシンのことだなと、ピンとくる。

 港近くに往時を思い起こさせるような洋風建築の郷土館があったが、当時、島で商売をしていた旧家をそのまま使用しているらしい。見学してみたが、島は潤っていたんだなと納得できるものがかなりあった。由緒ありそうな掛け軸、焼き物の皿、壺……。電蓄もあり、SPのレコードもかなり残っていた。今、これを書いていて、ふと思ったのだが、そのころ、どうやって発電していたのだろうか。島には発電するような施設は一切なかったはずだ。
 じいちゃんから聞いた話では、今はこの島で火力発電をしていて、隣の天売島にも海底ケーブルで送電しているらしい。昔、どうやって発電していたのか、訊けばよかった。

 ニシンは昭和30年を境に、ぱったり穫れなくなったらしい。当時の人口は2600人、夜間高校もあったという。今は島民460名、学童数は30人くらいのものだという。もちろん夜間高校はもうない。隣の天売島にはマムシがいるが、焼尻にはいないという話なども聞く。そのうち、軽トラでやってきたもう一人の島のおじさんも、話の輪に加わる。
「バフンウニとムラサキウニ、どっちがうまいですか?」
 以前、バフンウニのほうが美味だと話には聞いていたので、ちゃんと確かめてみる。
「そうねえ。どっちも美味いよ……」
「わしは、ムラサキウニのほうが好きだなあ。あまいしな」
 というそれぞれの返事。

 そうか、ムラサキウニもすてたもんじゃないのだ。そういえば、去年、利尻のフェリー乗り場前で一個いくらで売っていたウニは、すべてムラサキウニだった。バフンウニが殻付で売られている光景はまだ見かけたことがない。今思えば、利尻の民宿で食べたウニがバフンウニだったのだろうか。あの輝くオレンジ色。口にいれると、旨味がノドの奥に溶けるようにすっと消えていったあの味――。あれがそうだったのかもしれない。なんの種類だったか、訊いておけばよかった。そういえば、ウトロの漁協食堂の殻付ウニもムラサキウニだった。たぶん、北海道で圧倒的に水揚げが多いのはムラサキウニのほうなのだろう。
「それにしても、今日も海が凪いでいるなあ」
 この時期、こんな好天が2~3日も続くのは、かなり珍しいという。
「ウニ、獲っていいよ」
 と、あとからきたそのおじさんも言う。
 よーし。
 天売島のほうからヘリコプターが飛んできて、キャンプ場からだと、港のある島の反対側に着陸する態勢をとりはじめる。じいちゃんとおじさんは「おお」という感じで、バイクと軽トラでそれぞれすっ飛んでいく。
 残された自分は、早速、
「ウニ獲りにいかない?」
 と、テントでなにか書きものをしていた福岡のライダーに声をかける。
「いきますか」
 と、言う感じで、キャンプ場から100メートルほど下った岩場の海岸までてくてく歩いていく。ウニを獲った場合に備えて、折りたたみナイフと、海にはいるためのサンダルをもっていく。なんだか、わくわく状態だ。新鮮なウニ、獲りたて! 気持は完全にウニにいっている。いくらでもウニがいるに違いない。ああ、ウニウニウニ。

 ところが、岩場から透明な海水を透かして見てみても、ウニのウも見えない。ただ、海草がゆらゆら揺れているだけ。ジーンズを思いっきりたくり上げて、海にはいり、海草などを手で寄せてみるが、ウニのいる気配なし。もっと沖のほうかなと思って、海にせり出している岩場の先端までいってみるが、やはり、ウニ発見できず。これが戦争映画かなにかだと「ウニハッケンデキズ。タダチニキカンス」と打電する場面だ。干潮だし、パンツ一丁で潜ってもいいかなと一瞬思うが、水中メガネがないと海の底に潜るのは難しい。
 岩場に打ち上げられ、骨が露出している死んだイルカなどをむなしくみつめ、再び、福岡ライダー(彼はTさんという珍しい名前だ)と、坂道をキャンプ場までとぼとぼと無言のまま戻る。はあ、疲れた。

 夕方になっても、キャンパーはわしら2人だけのようで、Tクンと一緒にメシでも食おうかと思ったが、風が強くなってきてストーブを焚くのもままならない。各自、それぞれでテントで食事となる。結局、今日はあの貝丼一杯しか食ってないので、町の雑貨屋から冷凍の味付けジンギスカン500グラム(715円也)、ピーマン一袋を仕入れ、凍ったままの食材をどかどかと鍋にいれて煮る。ビールも飲む。ハラが減っているので、あっという間に平らげる。そのうち風も収まってきたので、ビールを持って党クンのテントを訪問。
「明日、天売島に渡るの?」
「いや、一旦、羽幌に戻ってから、またこっちにこようと思っているんです」
「え?」
「明日、天売に渡って、ここに帰ってくると、羽幌までのフェリー代が足りなくなるんです……」
 どうやら、今朝、羽幌でお金を下ろし損なったようだ。銀行は8時45分から営業するが、フェリーの出航は8時50分だったので、そのまま港に直行してきたらしい。焼尻か天売に銀行くらいはあると思って、えいっと、フェリーに乗ったという。そういえば昼間、郵便局で銀行に預けているお金を下ろせますかね、などと訊いてきたのだ。おかしなこと訊くなあと思っていたら、こういうことだった。でも、わざわざ羽幌までいってまた戻ってくるなんてもったいない。1万円なら余裕があるので、羽幌に着いたときに、返してもらうことで貸すことにする。
 夜は天の川が見えるくらいに、星が輝き渡る。昨日、ろくに寝ていないので午後9時にはシェラフにもぐりこむ。

白浜キャンプ場。
数年後に渡ったときには、もう使われてなく、
奥のほうに整備されたキャンプ場ができていた。
星がきれい!