バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1996年 東北ツーリング 12日目(最終日)

2024年10月29日 | 1996年 東北ツーリング
9月7日 田沢湖~盛岡~東京(最終日)




 朝5時過ぎ。ずっと雨が降り続いている。
 よくぞ雨漏りもしないで、テントは頑張ってくれたものだ。フライシートは申し訳程度の雨避け効果しかなく、インナーテントはびっしり雨粒で覆われている。たぶん、このインナーテントの撥水効果は1年くらいのものだろうと思われる。それでも、ぱしぱしぱしとフライシートに落ちる雨音が気持ちよかった。(雨の降る中、テントに弾く雨粒の音が気持ちいいと思ったのは、このときだ。このあと、テントの中で聞く雨音をデジタル録音したこともある。ビールを飲みながら自室で再生するのも、また乙なものだ)
 靴はテントの中に入れていて正解だった、などとビデオで言っている。

 ビデオは、ここで終わっている。
 このあと、炊事場だったか、東屋だったか、屋根のあるところで濡れたテントを撤収している。
 そのあと、雨の中を盛岡に向かっていると、途中で追い抜きの車にバシャバシャと水をかけられたものだ。盛岡からは高速で、ひたすら東京を目指して走った。雨の中を同じ姿勢のままで運転して、ほとんど休憩もとらなかったので、帰り着いたときには身体がかなり強ばっていた。バイクを降りた直後に腕を伸ばすと、ゴキゴキっとロボットが関節を伸ばすような感じだったのをよく憶えている。

 生まれて初めての長距離ツーリング。
 見るもの、聞くもの、楽しくてしょうがなかった。
 毎日、走って走って走りまくった印象だが、日ごとの終わり、肉体的に疲れたという気分はまったくなかった。あったとしても、気持ちのいい疲れだ。今現在も、とくに長距離ツーリングを苦痛だと思うことはさほどない。バイクに乗る前は家に閉じこもって本を読むか、音楽を聴くか、自分でもインドアの人間だと思いこんでいた。
 この最初のバイクツーリングが、旅の面白さを教えてくれたのだったか。


 フライシートではなく、インナーに落ちる雨粒。


カバーがかけてあるのが、CB400。当時の相棒。


雨の跳ね上げでグランドシートはぐちょぐちょ。



1996年 東北ツーリング 11日目

2024年10月28日 | 1996年 東北ツーリング
9月6日(11日目)
能代~男鹿半島~八幡平・アスピーテライン~樹海ライン~玉川温泉~田沢湖




 朝4時半過ぎには起床。
 ちゃちゃっと準備して、5時過ぎにはホテル出発。昨夜も就寝してから、付近を通り雨が過ぎたようだ。

 国道7号を八郎潟方面に南下して、県道54号に右折して(ここだけ記憶が曖昧だ。たぶん琴丘町から右折したような気もする)、八郎潟の埋め立て地である大潟村の直線路を走る。ビデオでは10キロ以上の直線路と言っているから、たぶん54号だったと思う。突き当たりが国道101号の丁字路になっていて、そこを右折して男鹿半島に向かっているので、54号から県道42号を丁字路まで走ったのかもしれない。

 午前6時。男鹿半島から海が見えてくる。
 だが、正確にどこからの眺めだったのか、はっきりとしない。
 どういうルートだったのか、何回ビデオを見返してもはっきりしない。地方道から国道101号の丁字路にぶちあたったのが午前5時56分。しかし、その5分後には戸賀湾に面する道を下っている。ありえない。国道101号は地方道の121号の見間違いじゃないかと、何回も静止画像で確認するが、やはり国道101号の標識が写っている。いったい、どうなっているのだ。戸賀湾に下る道は右手に湾が見えるので、県道59号を下っているのだろうか。ただ、それは丁字路から6分後のことだ。

 戸賀湾を勘違いしているのだろうか。
 だが、約20分後の午前6時18分には入道崎を目指して、どこからか走り出している。そこから、すぐに入道崎方面と八望台に分岐する地点に差しかかっているので、戸賀湾を通過したのは間違いないだろう。右手に海が見えてくるので、県道59号を走ったような気もする。

 うーん。ミステリーだ。思い出せない。
(冷静になって考えてみると、能代から国道7号を下ってきて、そのまま道なりに県道42号を走って八郎潟の男鹿八竜線を走り、県道54号に右折、そのままやはり道なりに国道101号を入道崎に向かったような気がしてきた。間口浜を右手に見ながら走り、県道55号に分岐する丁字路を入道崎方面に向かったと思われる。間口浜を戸賀湾と勘違いしているのだ)

 まあ、そんなこんなで6時半には入道崎に到着。
 入道崎では土産物家の真ん前にある円形の芝生の前にはバイクが一台、ライダーが1人でキャンプしているようだ。車中泊の中年の夫婦もいて、北海道を2ヶ月ほど回ってきたという。これから九州に向かうという話だ。入道埼から1時間ほど走り、〈日本の渚百選 鵜の崎海岸〉を通過。この場所は1996年発行の東北ツーリングマップルにも、翌年のものにも記載されていない。ここで、しばし休憩。宮崎の海に慣れているせいもあるが、まあ、こんなものかという感じだ。

 午前8時前、男鹿駅前を通過。
 市街地を抜けたところで、国道101号を左折して寒風山に向かう。さらに県道45号を右折。今回、訪れてみたかった寒風山への道を走る。徐々に高度を上げていき、〈板場の台〉という寒風山の北側にある見晴らしのよいところに着いたときには、「気持ちいい!」と思わず、声を上げてしまう。
 地名の由来は、〈周囲よりも平たい地形がまな板を思わせるから〉とか、〈狩りに来た領主の一行や寒風山に棲んでいた鬼が食事を作った場所だから〉ともいわれているようだ。

 ここからは、〈溶岩じわ〉と呼ばれる溶岩流の表面にできた地形が眼下に180度見渡せる。どっちにしても、気持ちのいい景色だ。とくに昨日、今日と、曇り空の海岸線を走ってきたせいか、余計にそう感じる。

 景色いいなあと思って走っていると、寒風山頂上付近に到着。
 もっと景色がよくなる。
 ドピーカン(懐かしい言葉だ!)というわけではないが、それなりに180度見通しがいいので、〈板場の台〉よりも景色を堪能する。雄大な眺めだ。標高がどれだけ高いかというより、周囲をどれだけ見回せるかでも、こんなにも気持ちがいいのだ。寒風山頂上には〈寒風山回転展望台〉というものもあったが、ちょっと料金が高いのと、これだけ景色を堪能すればもう充分だったので、今回はパスさせてもらう。

 寒風山から景色を見ながら、昨夜の残りのオニギリを1個ぱくつく。
 寒風山を下りて、県道54号から地方道298号に右折して埋め立て地の八郎潟(大潟村)に入る。午前9時15分には八郎潟の直線路の横断を始めている。さらに県道42号にぶつかったところで左折して、再び298号の道村大川線を八郎潟町に抜ける。道は積雪のせいなのか、それとも今も沈下を続けているのか、補修の跡が多い。車の往来もほとんどなく、直線路を気持ちよく走る。

 八郎潟町からは、県道15号を経由して国道285号に出て、上小阿仁村方面に進む。そういえば、これを現時点(2024年)で書いているとき、ふと思い出した。この上小阿仁村は、診療所に勤務する医者があまり長続きしなかった村ではなかったか。レポートを読んだような気がするが、このころからそうだったのだろうか。今では、かなり医者に厳しい村という印象がある。もちろん、このころはなにも知らないから、このあたりはマタギで有名な地方だよなあと、のんびり走っている。

 まあ、このときは国道285号を森吉町から比内町に入り、午前11時過ぎには大館市の扇田手前で県道22号に右折している。と両脇にアスパラガスがぼうぼうに伸びきったような、畑一杯に植えられた草らしきものが両脇に増えてくる。思わず、バイクを停めて撮影する。アスパラではない。通りがかった作業服姿のおばちゃんに訊いてみると、比内トンブリだと教えられる。これから、この実を釜で茹でてから蒸して、それから水に晒して、あのつぶつぶにするのだそうだ。

 カミさんと弟の大好きなトンブリだ。
 そうか。これがトンブリの実が生るホウキ草か。ちょっと感激。そういえば、東京で売っているトンブリの袋に秋田名産とかあったな。このあたりで栽培されていたのか。へえと思いながら、トンブリの実を手に取ったりしてみる。見渡すかぎり、一面にホウキ草の畑が広がっている。奥のほうがホウキ草の段々畑になっているところもある。ここまでホウキ草に覆われていると気持ちいいほどだ。

 しばらく走っていると、やはり気持ちよさそうに流れている清流があったので、ここでもバイクを停めて撮影する。比内町の大渡という地区のようで、犀川というらしい。こんなきれいな水が流れているからこそ、あのように大量のホウキ草も栽培できるのだろうなと、ひとり納得したりしている。
 さらに県道22号を犀川沿いに走り、大葛温泉方面に向かい、金山黒沢トンネルを抜けて国道341号に出る。
 そこからは八幡平目指して、徐々に高度を上げながら走る。しばらく行ったところで、県道39号に右折する。県道39号は西根八幡平線と呼ばれているようだ。さらに先に進むと、アスピーテラインと名前を変える。

 午後12時15分には、大沼に到着。
 近くにキャンプ場があるようだが、ただいま工事中のとのこと。
 今日はアスピーテラインを下って、再び、八幡平樹海ラインを上がってくる予定なので、近くにキャンプするところがあればと思っていたが、しかたない。蒸ノ湯を横目に通り過ぎ、あたりを遠望できる展望台で一休み。展望よし! そのあとアスピーテラインを下り始める。今回の東北ツーリングでは、一番バイクを見かける。オフ車が多い。しかし寒い。40キロ以上で走ると手が冷たくなってきて、かじかんでくるほどだ。

 アスピーテライン、ここも気持ちいい。
 九州の景色とはまったく違う。下まで下りきって、柏台からは樹海ラインを目指して地方道の212号を走る。
 午後1時48分には樹海ラインの入口に到着。
 松川温泉というのが近くにあるようで、露天風呂は「混浴 白濁の湯」とある。混浴か。う~ん。入浴してみたいが、玉川温泉に浸かる予定なので、今回はパス。松川温泉の湯煙だけ眺めながら、樹海ラインを急ぐ。ここでも、数台のオフ車と擦れ違う。アスピーテラインといい、この樹海ラインといい、ライダーには人気のコースのようだ。再び、八幡平の見返垰の横まで上りきり、先ほど走ってきた西根八幡平線を国道341号まで引き返す。途中、ざっと雨に降られる。西根八幡平線が341号にぶつかって丁字路になっているところを左折する。

 午後3時前には玉川温泉着。駐車場は車で満車状態だ。
 玉川温泉には無料の露天風呂があるそうなので、そこに浸かることにする。駐車場でちょっと話をしたおじさんによると、脱衣所とかはないという話だ。まあ、行けばなんとかなるだろう。駐車場でテントを張っている人たちも何組かいる。たぶん車中泊の人たちもいるのだろう。さすがに癌に効能のある温泉だけある。
 駐車場からおっちらおっちらと下り、湯治場らしき場所に向かって歩いて行く。

 歩いている人は、みんな丸めたゴザを持っている。休憩でもしながら、ゆっくりと湯に浸かるのだろうか──。歩道の先には、もうもうと湯煙が上がっている場所がある。やがて歩道と並行する小川が現れる。この水面からも、もうもうと湯煙が上がっていて、付近には硫黄の匂いも漂っている。ただの小川ではないようだ。さらに奥のほうに、もっと激しく湯煙が上がっている箇所が見えてくる。そこまで歩いていくと、源泉の吹き出している場所のようだ。川の中から、がばがばと源泉が激しく何カ所も湧き出しているさまは、恐ろしいほどだ。

 思わず見入ってしまう。
「大噴(おおぶけ)」というらしい。温度98度。PH1・2の日本一の強酸性温泉水で、毎分8400リットルも湧出していると看板にある。
 さらに歩道を奥に進むと、緑の屋根の小屋がいくつも建っている場所にでる。
 ここが温泉場のようだ。だが、なんとなく様子が変だ。浸かるための小屋ではなさそうだ。どうやら、先ほどゴザは休憩のためではなく、小屋の中に敷いて、その上で横になるためのもののようだ。岩盤浴みたいな感じだ。なるほど。知っている人はそうやっているようだ。一瞬、自分もゴザを借りてこようかと考えるが、また温泉施設の入口まで引き返して、しかも、そこで貸しゴザはなかったらガッカリなので、今回はゴザ使用はパスだ。入浴できるものなら入浴したい。

 近くに露天風呂らしきものがあるが、足湯みたいに浸かっている人が数人いるだけだ。
 うーん。
 さすがに、ここですっぽんぽんになって、入浴しようという気にはなれない。近くの人に訊いてみると、ここの温泉は入浴するんじゃなくて、蒸すのが主流だと教えられる。小屋の中をちらりと覗いてみると、なんとみんな靴を脱いで、毛布みたいなものを被って横になっている。そうなんだ──。入浴できるとばかり思っていたので、ちょっとがっかり。しかし、温泉入口の建物は入浴施設ではなかったか。訊いてみると、やはり大浴場があるとのこと。
 この近くでは、無料で入浴できるのは足湯のところしかないらしい。

 足湯をしていたところに戻ってみると、上着を着たまま腰に布を巻いた女性が、立ったまま湯舟の中をうろうろしている。さすがに、ここで入浴するには度胸がいる。どうしたものか。しばし考えて、温泉入口に戻る。
 料金を払って、大浴場に入浴することにする。

 いやあ。源泉100パーセントの湯は、さすがにスゴイ。こんな湯は初めてだ。じいっと湯に沈んでいくと、股間の微妙なところががぴりぴりする。慣れたころに、思わず顔を洗ってしまい、あっと顔を反らしてしまう。強酸性湯とはこんなものか。少なくとも鹿児島、宮崎にはない。50パーセントの湯や、1人サウナも堪能する。

 午後4時15分過ぎ。さっぱりしたところで、玉川温泉をあとにする。
 今夜のキャンプ予定地は、田沢湖だ。どこにキャンプ場があるか、はっきりとはわからないが、とにかく走ってみることにする。国道341号を突っ走り、午後5時過ぎには田沢湖湖畔に到着。まあ、キャンプ場にこだわらず、どこか人気のないところにテントを張るつもりでいる。

 どこかよさそうなところはないかと、湖畔を反時計回りに走る。
 5時半過ぎ。観光施設のだだっぴろい駐車場にバイクを停める。ここなら人気がなくなればテントは張れそうだ。
 しかし、あたりはまだ明るい。
もう少し湖畔を走ってみることにする。暗くなってから、またここに戻ってくるつもりだ。店の人に許可を得てから、テントを張ることにしよう。そう思いながら、さらに反時計回りに湖畔をゆっくり流す。

 と、ちょっとした施設があり、そちらに右折する。だが、すでに閉園時間を過ぎていて門ががっしりと閉まっている。やや坂道になっているところで右回りのUターンを試みて、見事に転けてしまう。幸いにもケガはなく、バイクにも目立った損傷はない。下り坂のUターンは思っていたほどには簡単ではない。

 今回の東北ツーリングで2回目の転倒だ。だが、こんなものかと、それほどの落ち込みはない。ちょっとガソリンらしきものが漏れて、リアブレーキペダルや右レバーに曲がりはない。
 気を取り直して、さらに湖畔をほぼ一周したところで、キャンプ場の看板が現れる。〈町営田沢湖キャンプ場〉というところだ。バイクも数台停まっている。観光施設の駐車場よりは、こっちだろう。しかも無料のようだ。迷わずにキャンプサイトにバイクを進める。

 神戸ナンバーの750CCのライダーとちょっと話をしたりする。彼は北海道からの帰路のようだ。数日ぶりに、テントを張る。
 午後11時くらいから、しとしとと雨が降り始める。


宿泊したホテルニューグリーン。今もやってんのかな。




大潟村。たぶん県道42号。



やっぱり今日も雲が多い。


どこをどう走ったのか、この丁字路を右折すると、国道101号の標識が現れた。たぶん、手前の道も101号で、左から来ている道は地方道の304号で、箱井の丁字路ではないかと見当をつけている。

午前6時半前には入道崎に到着。


渚100選 鵜の崎海岸。

寒風山より男鹿市を望む。


ホウキ草の畑。道の両脇にさわさわっと広大に広がっていた。

トンブリの元。

八幡平からの眺め。アスピーテラインから。


玉川温泉の駐車場。車でびっしりだ。
キャンプしている人たちも何組かいた。

小川の湯煙。

川の中ほどからがばがばと湯が湧いている。


迫力。


脱衣所もなく、ここで入るのはさすがに度胸がいる。
まわりはふつうに人が歩いていた。


1996年 東北ツーリング 10日目

2024年10月26日 | 1996年 東北ツーリング
9月5日(10日目)
むつ市~岩木山~龍飛崎~金木町~鰺ヶ沢~能代市 (10日目)




 朝5時過ぎには、レインスーツを着こんでホテルを出発。
 何時に起床したのか忘れてしまったが、たぶん4時半には起きたはずだ。下北地方は北海道から天気が崩れてくるとの予報なので、なるべく早く津軽半島まで走ることにする。いつものことながら、朝メシはなし。

 まあ、そうだろうとは予想していたが、途中でざっと雨に降られる。
 一昨日走った国道279号を野辺地から国道4号、さらに青森から国道7号を走り、午前7時半には岩木山を遠望できる弘前市の手前までくる。こちらにくると、徐々に晴れ間が見えてくる。岩木山は頂上付近には雲がかかっているが、天気は下り坂ということなので、龍飛崎を回る前に行ってみることにする。

 午前8時。県道8号を岩木山まであと8キロの地点までくる。
 岩木山の頂上は相変わらず雲がかかっているが、近づくほどに徐々に青空が広がってくる。
 15分ほどで、岩木山神社に到着。
 数年前、母親が亡くなる2年前だったか、一緒に訪れた神社だ。そのときは奥まで往復したあと、神社の横にある百沢温泉〈旅館湯元・山陽〉にも日帰り入浴している──男湯は客が一人もいなくて、貸し切り状態だった。季節は2月か3月で、まだ雪がかなり残っていたのを憶えている。弘前からの路線バスはここまでの往復しかなく、ここから先は自分のとってはまだ未踏の地だ。津軽岩木スカイラインを走るのが楽しみだ。

 まだ午前8時過ぎなので、時間は充分にある。
 ということで、小休止後、津軽岩木スカイラインを目指して出発。
 8時半過ぎにはスカイラインを上りはじめる。上に進むにしたがって、徐々にガスってくる。ガスがかかりはじめる境界あたりで、ビデオを回したりする。頂上の駐車場もガスに覆われていて、しかも寒い。リフトに乗りたいが、こんな様子では上に行ってもつまらんだろう。と思っていると、その前にリフトはまだ運転していないようだ。

 また、この次だ(実際、数年後、リフトに乗っている)。駐車場からエンジンを切って、惰性だけで約9キロほど下る。惰性だけで、なんと時速80キロも出る。そのあと県道3号を津軽半島を時計回りに走り、そのまま鰺ケ沢まで向かう。鰺ヶ沢町からは国道101号を森田村方面に走り、屏風山広域農道を車力村方面に向かって北上する。ときおり、湿原らしき横を通過。地図を見ると、大小の池が点在しているようだ。

 車力村を過ぎて中里まで走ってくると、龍飛崎方面がイヤな雨雲に覆われているのが見えてくる。
 これまでの経験から、そちら方面は間違いなく雨だ。
 様子を見ながら走り、午前11時前には十三湖大橋の手前に到着。付近にはシジミの直売店とか食堂が数軒ある。朝からなにも食ってないので、ここで昼食。〈元祖しじみラーメン〉とある民宿ドライブインで、〈和歌山〉という食堂だ。なにはともあれ、しじみラーメンを注文。シジミの量が多くて、スープもうまい。
 シジミのスープを堪能する。

 再び竜飛崎を目指して走り出すと、あきらかに雨が降っているだろうと思われる雨雲が左手の海上から近づいてくるのがわかる。と、その雨雲ではないが、小泊付近でいやな感じの雲に掴まり、ざざっと降られる。土砂降り。あまりに強い雨なので、たまらずに右手に見えてきたガソリンスタンドに逃げこむ。まったくガソリンを入れる気はなかったが、応対に出てきたおばちゃんに給油を頼む。
「いや、雨が小降りになってからでもいいですから」
 と頼むのだが、なんのなんのという感じで、ガソリンを給油される。スタンドには大きな屋根が付いているが、雨脚が強くて、ぱしぱしと雨水の跳ね返りがタンクの上まで飛んでくる。なんとかタンクの給油口に雨水が入らないように、手で覆ったりするが、おばちゃんはまったく意に介さない様子で給油する。
 雨水、大丈夫かいなと、バイク乗り初心者はびびるのだ。

 その後、雨脚が弱くなるまで、雨宿りをさせてもらう。通り雨っぽく、15分ほどで雨は上がり、その後、無事に出発する。
 その後は、徐々に青空が広がってくる。
 だが、竜飛崎に近づいて竜泊ラインを山側に入るにつれて、今度は霧が出てくる。途中、サイクリストが自転車ごと倒れていたりして、ひやりとする。すぐにヤブの中に消えたが、猿も一匹見かける。車の往来はほとんどなく、バイクとは一台擦れ違っただけだ。しばらく走ると霧も晴れてきて、すぐ前には竜飛崎、北海道を遠望できるところまでくる。風は強く、風力発電の羽根はびゅんびゅん回っている。

 12時50分。竜飛崎の岬上の駐車場に到着。
 ここにくるまでに、ほとんど車と擦れ違うこともなく、こんな天気なので、観光客は少ないだろうと思っていたら、けっこう乗用車が停車している。10年ほどまでカミさんと車できて、ここのキャンプ場で車中泊している。先ほど通過したら、キャンプ場はまだやっているようだ。

 しばらく駐車場で休憩したあと、竜飛漁港まで下りてみる。
 と雲が流れて、さあっと晴れてくる。ホントに今日は、変わりやすい天気だ。竜飛漁港の水は、思っていたよりもかなり透明度が高い。あたりをうろうろして、海岸階段の国道339号線を歩いてみたりする。普通の階段と違うのは、分離帯みたいに中央に手すりが設置してあり、一応、対向歩道路になっている。道路自体も赤いアスファルトのようなものが使われていて、自分、ほかの小道とか階段とは違いますから、と主張しているようだ。

 午後1時20分過ぎには竜飛をあとにする。
 途中、総走行距離が5555キロになったので、ちょっと撮影したりする。バイクは5月に購入したので、1ヶ月平均1100キロほど走ったことになる。だが、実際は、この東北ツーリングで、ここまで3000キロは走っているのじゃないだろうか。今日は300キロ近く走っている。まだ、どこまで走るか決めていないが、あと200キロくらいは走りそうな予感がする。男鹿半島まで走るつもりでいたが、もう午後1時50分になろうとしているので、さすがにそれは無理だろうが。

 三厩から今別まで走り、今別から県道14号を下り、さらに県道12号〈やまなみライン〉を十三湖方面に抜ける。再び399号に出て、金木町に下る。以前、訪れているかパスしようかとも思ったけれど、斜陽館を再訪する。前回訪れたときはストーブ列車に乗ってきたんだよなあ、と思いながらバイクを停めると、閉まっているではないか。貼り紙によると、どうやら復元工事に入り、平成10年に太宰治記念館としてオープンの予定とある。元の所有者を離れて、今は金木町の管理になったようだ。ちょっと残念な気持ちになり、斜陽館前をあとにする。

 今夜も、いつ降ってきてもおかしくない空模様だ。
 結局、今夜は能代市のビジネスホテルに泊まることにする。
 途中、鰺ヶ沢あたりで尿意をもよおしたのでソバ屋に立ち寄って、コーラを頼んで、トイレ貸して下さいと頼んでみたが断られてしまう。「もうちょっと行ったら、公衆トイレがあるから」と。あまり飲みたくもないコーラを飲んだのに、それはない。よほど、警戒される格好だったのだろうか。バイク乗り、あんまりいいイメージないのか。それとも人相か。まあ、ソバ頼まなかったしな。それでも、ちょいイヤな気分。尿意、我慢できなかったで、駐車場からちょっと外れたところで立ちションする。

 午後5時30分。岩崎村の「ドライブイン福寿草」の駐車場で一休み。福寿草は休みのようだが、夕陽がきれいなのでバイクを停めさせてもらう。
 景色もいい。
 もしかして、日本海に落ちる夕陽を見るのは初めてかもしれない。30分ほど夕陽を堪能して、能代に向かう。

 今日のビジネスホテルは〈ホテルニューグリーン〉、国道沿いにあり、バス、トイレなし4700円なり。
 本日の走行距離489キロ。
 今日も部屋呑み。

 東北限定ビール〈みちのく〉で、ひとり乾杯。コンビニで買ったリフレッシュ玉子サンド(180円)とオニギリ2個の夕食。それに昨日の残りの瓶イクラ。さらに三日前のレーズンスティックも1本残っている。まだ、腐ってはいないようなので大丈夫だろう。
 明日も今日と同じ、4時半には起床予定。
 適当に呑んで、適当に就寝。

むつ市。出発前のホテル前。

岩木山まであと8キロのところ。


岩木山神社。まだ朝、8時過ぎなのに観光バスが数台停まっていた。



湯元「山陽」。以前、列車とバスで訪れたとき、ここで入浴。
今回はパス。

岩木山スカイライン。ガスがかかりはじめる直前。



駐車場はガス……。


龍飛崎方面はいやな雲。


十三湖の元祖シジミラーメン屋。

竜飛崎と北海道を望む。


階段国道とある。(^。^;)


この階段を途中まで上る。



1996年の斜陽館。


工事のお知らせ。


ドライブイン「福寿草」の駐車場からの夕陽。



ホテルの部屋で今夜の夕食を豪華に並べる!




1996年 東北ツーリング 9日目

2024年10月25日 | 1996年 東北ツーリング
9月4日(9日目)
むつ市~尻屋崎~奥薬研温泉(かっぱの湯)~大間崎~脇野沢~むつ市



 8時前にはホテルを出発。
 今日の予定は、まず尻屋崎。寒立馬という名前だけは知っていたので、どんなところに棲息しているのか、一度は訪れてみたいと思っていたのだ。むつ市を出て国道338号を太平洋側に横断するように走り、突き当たったところで地方道の248号を北上する。午前8時35分には猿ヶ森付近を通過。
 マップルによると、右手は〈防衛庁下北試験場〉となっているようだ。そこに面している猿ヶ森砂丘は鳥取砂丘の数倍はあり、砂丘日本一のはずだ。248号はほとんど車の往来はなく、数年前に車で走った北海道の道をなんとなく思い出す。

 248号を道なりに走り、県道6号にぶつかったところで、丁字路を右折して尻屋崎を目指す。
 まず、寒立馬ならぬ横になっている牛たちに出迎えられる。暑座牛だ。のんびり、横になっていますという感じだ。

 9時には尻屋崎の灯台に到着。
 ここにも馬の姿はなし。
 尻屋崎灯台までは2車線道路だったが、そこから先は細い1車線道路になっている。迷わず、先に進むと、途中からダート。引き返すのも面倒なので、そのまま進んで、弧を描くように再び県道6号と思われる道路に出る。6号を引き返すように走り、むつ市を抜けて恐山に向かう。
 午前10時半には恐山に到着。
 恐山は10年ぶりくらい、2回目の訪問だ。もちろん、バイクでは始めてだ。

 マップルには〈荒涼とした風景が広がり不気味な雰囲気〉とある。だが、前回のときもそうだったが、そう感じたことはない。最初に訪れたとき、積み上げられた石や風車などを見て、カミさんが〈おどろおどろして、あんまりいい気持ちはしない〉と言ったが、そんなものかなという印象しかなかった。硫黄の匂いはするが、湖は澄んでいて、気持ちのいい景色だなと再確認。恐山の積み上げられた石や風車も、これはこれで風情があるのではないか。そんな印象だ。

 恐山から県道4号を奥に進んで、午前11時には奥薬研温泉に到着。以前は温泉宿の駐車場だったのだろうか。だだっぴろい広場にバイクを停めて、川沿いの〈かっぱの湯〉に下りてみる。だれもいない。脱衣所の小屋まであり、だれもやってきそうにない。しかも無料。これは入るしかないだろう。
 即、服を脱いで入ることにする。
 うーん。なかなかのものだ。気持ちいい。
 独りじめだ。

 11時40分過ぎ。入浴後、奥薬研からさらに奥に進むことにする。「あるなろライン」とあり、10年ほど前には車で佐井村からこちらにやってきたものだ。今回は、逆に進むことになる。と思っていたが、バイクを発進させる直前、やはり大畑に出て海沿いの道を走りたくなる。
 大畑から大間に向かう途中、10分ほど雨に降られる。

 午後1時前、大間崎に到着。まだ、大間が全国的に知られる前のことで、巨大なマグロのオブジェなどはない。
 しばし休息したあと、海沿いを一周するように国道338号を仏ヶ浦方面に向かう。午後2時10分過ぎ、仏ヶ浦到着。しかし、ここは以前、下の浜まで下りたことがあるので、景色だけ堪能する。下の景色を見ると、よくぞ、あんな下まで行ったものだと思う。まあ実際に歩き出せば、それほどでもないだろうが。
 バイクは今日、総走行距離5000キロを突破。

 仏ヶ浦でしばし休憩した後は、338号を脇野沢村まで走り、ぱらつく雨の中、脇野沢漁港のフェリー乗り場に向かう。マップルによると、蟹田まで出ているフェリーがあるようなのだが、時刻表などは載っていない。3時15分ごろにフェリー乗り場着。やはりというか、10分ほど前にフェリーは出航したばかりだ。しかも、それが最終便だと窓口で告げられる。フェリーは朝10時と午後3時の2便しかないようだ。

 まあ、こういうこともある。
 気を取り直して、むつ市に向かう。
 今夜も雨の予報で、北海道方面から崩れるとのことだった。一旦、河内町の旅館に電話をするが、なんにも用意していないので宿泊は無理とのこと。結局、この日も再び、むつ市のビジネスホテルに宿泊することにする。昨日とは別のビジネスホテルだ。

 5時過ぎにはホテル着。
 今日も部屋飲み。一昨日買ったレーズンスティックがまだ2本ほど残っている。まだ大丈夫そうなので、それをメインの主食とする。ただ、今日はちょっと贅沢だ。近くのスーパーで瓶入りのイクラを買ってきている。1000円ほどだったが、このくらいはさすがにいいだろう。冷凍ものだろうが、ビールの肴としては最高だ。今日の夕飯は以上、2品のみ。
 適当に飲んで、適当に寝る。


日本一広い砂丘の横を走る。だが、砂丘は見えない。


尻屋崎手前 寒立馬ならぬ暑座牛。



みんな横になっている。



灯台近くにも、牛、牛、牛。


寒立馬、看板のみ。ちょっと見たかった。


尻屋崎の灯台



恐山。宇曾利山湖に流れる澄んだ川の水。


かっぱ湯。利用五条。


「かっぱの湯」にかっぱ鎮座。


かっぱの前で1枚。1人で入浴だ。


湯舟のすぐ横は小川。

1996年当時の大間崎。


仏ヶ浦遠望。この日は、くだるのはパス。


頑張ってくれているCB400。


脇ノ沢から、むつ市に向かう途中の海岸。


むつ市 2日目の夕食。昨日の残りのスティックパン。これのみで部屋呑み。
手前は1000円のイクラ瓶。

1996年 東北ツーリング 8日目

2024年10月23日 | 1996年 東北ツーリング
9月3日(8日目)
八戸~奥入瀬~十和田湖~八甲田~むつ市




 午前8時5分。八戸のホテルを奥入瀬に向けて出発。相変わらずの曇り空で、ぱらぱらと弱く降っている。テレビの気象番組によると、昨夜は八戸を含めた三八地方は局地的集中豪雨に襲われたようだ。
 結局、東京を出発してから、まだ青空の広がる下は走っていない。
 ブルーといえばブルーな気持ちだが、嵐で走れないわけではない。どこまでも走れるんだという逸る気持ちのほうが強い。

 午前9時ごろ、十和田市内を通過。国道102号を奥入瀬方面に向かう。
 30分ほど走って十和田湖温泉郷付近、奥入瀬川を横に見ながら走る。昨日の豪雨のせいか、水嵩が増して濁っている。と、久々に青空が広がってくる。気持ちいい。やっぱり、同じ走るなら青空だ、と気持ちも変わってくる。奥入瀬に入ると、緑が気持ちいい。秋には紅葉が素晴らしいらしいが、この緑のトンネルもなかなかのもの。今日まで曇り空と雨の下ばかり走ってきたせいか、よけいにそう感じる。ビデオをタンクバッグに固定して撮影したりする。ただ、奥入瀬川はやはり上流も濁っている。と思っていたら、最上流部はさすがに水が澄んでいる。

 午前10時。十和田湖畔到着。初めての十和田湖。意外に湖畔の水が澄んでいる。へえという感じだ。そういえば、十和田湖を舞台にした松本清張の初期の短編があった。ボートで湖畔を渡ったという結末だったか──。右回りで十和田湖を周り、カンコ台でもバイクを停めて十和田湖を眺める。

 さらに国道454号から滝ノ沢垰から国道102号、454号併用の〈十和田いで湯ライン〉を黒石温泉郷の板留温泉まで走り、そこから酸ヶ湯温泉方面に右折する。国道394号の分岐で信号待ちのため停車すると、強引に真後ろのトラックがぐいんと右車線変更して追い抜いていく。ぎりぎりバイクの横を過ぎていくので、ちょっと怖い思いをしたりする。

 1時間ほど前、自分と同じCB400バージョンSの白に乗っている所沢のライダーと会う。昨日は十和田湖畔に泊まり、これから竜飛・大間崎に向かい北海道に渡るのだという。それを聞いて、なんとなく北海道いいなと思う。函館まで渡るだけなら、OKではないか。一瞬、本気で考える。

 午後12時過ぎ。
 国道394号を走っていると、橋の途中で車が停まっている。車から降りて橋の上からの展望を楽しんでいるようだ。城ヶ倉大橋というらしい。自分もバイクを停めて下を見てみる。ひゃあ、高い。マップルによると、谷底からの高さ122メートルもあり、支間の長さは国内最長で255メートルもあるようだ。圧倒される。これは実際に見ないと、カメラなどでは実感できない。そう思いながらも、ビデオカメラを回す。と、ちらりと写っている自分のグローブは、イボイボ付きの軍手だ。こんなものをして、運転していたのか!

 そういえば、このときはレイングローブなど持っていなかった。
 雨が降ると、軍手をしていたのだ。
(翌年、カミさんとタンデムで北海道を走ったときには、さすがに自分はレイングローブをしていたが、カミさんは軍手だった。それでも、当時のレイングローブは雨の中を走るとすぐに漏れてくるような代物だった。雨の中、オロロンラインを走り、稚内の宿についたときには、中までぐっしょり濡れていたものだ。テレビの発熱部分の上やランプシェードの上にグローブを置いて乾かしたも懐かしい)。

 城ヶ倉大橋から、さらに394号を酸ヶ湯温泉まで走り、八甲田山を左手に谷地温泉を過ぎたところで394号を道なりに左折。よほど途中の酸ヶ湯温泉に入ろうかと思ったが、停まっている観光バスの多さに閉口してパス。このころ酸ヶ湯温泉の読み方を知らずに、ビデオではサンガユ温泉などと言っている。ただ、千人風呂で有名だというのは知っていた。その先の地獄沼でもビデオを撮っている。沼から湯煙が上がっていて、なかなかのものだ。その先の傘松垰を越えるときも、タンクバッグにビデオカメラを固定して撮影などしている。

 午後1時過ぎ。国道394号から県道40号に入り、そのまま青森方面を目指して走る。
 久しぶりの青空、気持ちよく走る。
 田代平付近で、ちょっと休憩。どのあたりを雪中行軍したのだろうと、八甲田山の山々を見ながら想像する。九州生まれの自分には、真冬の雪に覆われた山々を想像するのはなかなか難しい。マップルによると、この先に「雪中行軍遭難者銅像」があるようだ。さらにその近くには田代元湯があると記載されている。「あー ダムに沈んでしまう」とある。ちなみに、2008年のツーリングマップルを開いてみると、田代元湯と田代平温泉の文字が消えている。

 だが、ダム湖らしきものがあるようには見えない。
 調べてみると、どうやら田代元湯には「やまだ館」という宿泊施設があったらしく、現在では廃業して施設も廃墟となっているようだ。温泉も廃湯となっているが、今でも湯量は豊富なようで、訪ねようと思ったら自己責任でケモノ道同然の山道を行くしかないと紹介されている。「あー ダムに沈んでしまう」とあったのは、今(2018年)も現在進行形なんだろうか?

 そのあとは県道40号を下り、県道44号を右折して、国道4号を野辺地まで走り、そこから国道279号を北上してむつ市に向かう。
 むつ市到着は、6時近い。今日もビジネスホテルに泊まることにする。天気のせいもあるが、ビジネスホテル泊も悪くないなという感じだ。今日はむつグリーンホテル(318号室)でバス・トイレ付き5500円。夕食は缶ビール(ホテルの販売機で500ミリリットル500円)、昨日の残りのレーズンスティックパンとコンビーフですませる。結局、今日の食事はホテルで朝飯を食べて、昼は昨夜の残りのレーズンスティックパンを一本かじっただけだ。

 走っていると、腹は減らない。今夜も適当に飲んで、適当に寝る。


八戸出発。相変わらずの曇り空だ。


十和田市内 ちらほらと青空が見えてくる。

左側の奥入瀬川。連日の雨で濁っている。


初めての奥入瀬。久々の青空で緑のトンネルが気持ちいい。



上流部はわりと澄んだ流れだ。


十和田湖。波は荒いが、青空がいい感じだ。


かんこ台より十和田湖を望む。


城ヶ倉大橋


大橋の上から


田代平。やっぱり青空はいい!



青森市を眼下に見る。



むつ市のホテル。むつグリーンホテル(318号室)
バス・トイレ付き5500円。

ここでも、なつかしきコイン式テレビ。100円コインで、1時間だったか?
途中で視聴を中断するときには、コイン箱の電源を抜いていたりしていたものだ。


レーズンスティック。2袋で98円。昨日のものが、もう1袋残っていたので、夕食とする。夕食はこれと、ビールだけ。