バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1997年10月10日 四国ツーリング(6日目)

2024年12月31日 | 1997年 四国ツーリングから帰郷
10月10日(金)
 佐田岬半島(神崎・宿泊施設)~三崎フェリー~佐賀関~阿蘇(大観望)~阿蘇スカイライン~鹿児島(溝辺)

 結局、朝はかなり早く目が覚める。
 荷造りして、三崎のフェリー乗り場に着いたのは、午前7時半くらいか。通常なら、佐賀関までのフェリーは8時半過ぎが一番らしいが、その日は連休の初日で、臨時便がじきにでるという。急いで切符を買って、待ち時間を利用してターミナルの波止場でバイクのチェーンにオイルを注したりする。佐賀関まで渡るバイクは他に2、3台。

 フェリーが出航すると、しばらくは甲板で海の景色などを眺めていたが、風がかなり強く、しかも冷たい。セキアジ、セキサバでも釣っているのだろうか、海上に何十艘もの釣り船らしい小舟が浮かんでいる。ヨットの帆のようなものを上げている船もいる。20分ほどで船内に逃げ込む。座席では車座になった6、7名のおじさんおばさん連中が、早くも宴会。酒を飲んで騒いでいる。

 佐賀関から阿蘇に向かう途中までは、フェリーで一緒だったオフ車と前後して走る。臼杵から竹田を通って、阿蘇の外輪山の峠から見える景色は抜群。265号をそのまま真っ直ぐに走り、阿蘇駅近くの「山賊」という定食屋にはいる。だご汁に炊き込みメシ。安くて美味い。ここはおすすめの店。真向かいには、宮崎からきたというライダーが同席。日之影から阿蘇までの道はかなりよくなったという。

 メシを食ってから一旦、大観峰(バイクだらけ……。土地柄か、福岡ナンバーや熊本ナンバーが多い。100台くらいはいただろうか)にいき、阿蘇スカイラインをぐるっと左に回り、かぶと岩の横を通り、赤水に下りて、地獄温泉の「すずめの湯」に浸かる。混浴だが、かなりいい。湯の下にあるドロをすくって体に擦るらしいので、ちょっとやってみたりする。結局、風呂をあがったのは午後4時過ぎ。時間の関係から阿蘇山には登らず、俵山峠を越える28号から熊本方面に向かう。熊本インターから、高速に乗り、鹿児島に向かうが、トンネルの多さとその長さに閉口。おまけに一車線区間が長い。かなり、排気ガスで汚れたはずだ。夕方6時過ぎにカミさん実家の溝辺につく。

 夜、がんがん呑んだ(はずだ)。

眼下に廃校(神崎小学校?)を利用した宿泊施設が見える。


朝。出発前。まだ、ぼうっとしてる。
体育館の横までバイクを入れる。左は元宿直室。


おそらく、阿蘇の大観望。


阿蘇・すずめの湯(にごり湯)




1997年10月9日 四国ツーリング(5日目)

2024年12月30日 | 1997年 四国ツーリングから帰郷
10月9日(木)
 物部村(ライダーズイン)~高松市(中北うどん)~高松(高速)~愛媛(伊予インター)~佐田岬メロディライン~佐田岬半島(神崎・廃校宿泊施設)


 朝6時には起床、新しいバッテリーを取りつける。まだ、みんなが寝ているようなので、建物から押していってエンジンを掛けてみる。一発で元気に回ったので、ホッとする。

 午前7時には195号を木頭村方面に向かって出発。車もほとんどいなくて、快適。上那賀町193号を北に向かう。ここもほとんど走っている車はない。ただし、道が狭いのでゆっくり走る。思っている以上に時間がかかる。途中の峠越えでは、下り、エンジンを切ったまま6、7キロ走ったりする。

 12時近くなってようやく高松市につく。193号腺と11号腺の交差するあたりに「中北ウドン」があるらしいので、近くの交番で訊いてみるが知らないとのこと。初老の警察官に近所の地図帳を出して見てもらうと、すぐ近くに中北という家がある。そこにいってみるが、ただの民家。歩いていた近所の人に訊いてようやく、場所が判明。狭い路地を入ったかなりわかりにくい所にある。

 ほとんどのお客が近所の人。おばあさんとその息子夫婦といった感じの3人が調理をやっている。事務服をきた女性の後ろで順番をまっているが、割と空いている。ウドンの他に、握り飯にフライなども並べてある。セルフサービスのようで、前の人の見よう見まねで、皿に握り飯2個と味の魚のフライを1個とっていると、おばあさんが中から声をかけてくる。
「そちらは?」
 言葉に詰まっていると、さらに畳みかけるように言われる。
「普通? 大盛り?」
「あっ。ええと、大盛り、お願いします」
「冷たいの? あったかいの?」
「ええと、あったかいのをお願いします」
 これで会話終了。おばあさんはわかったというふうに頷くと、10秒もしないうちにウドンの麺だけはいったドンブリを手渡される。中には汁がはいっていない。これをどうするんだろうと突っ立ったままでいると、またおばあさん。
「そこの魔法瓶」
「はい?」
 見ると、目の前に魔法瓶が置いてある。どうやら、そこから汁を好みの量だけ注ぐようになっているらしい。ようやく、店のシステムがわかってきて納得。お盆にドンブリと皿を載せたまま、どこに座ろうかときょろきょろ。テーブルが4つくらいしかない。サラリーマン風の男の前が空いているようなので、その前に座る。席に座りさっそくウドンをすする。

 うまーい!
 麺の表面がちょっと透き通っていて、腰があり、むちむちして、のど越しがつるんとしている。ダシもよくきいている。これならいくらでも食べられそうだ。握り飯もうまい。しかし、なんといっても一番びっくりしたのがアジのフライ。一口かぶりつくとサクッときて、中がほっくり、しかもジューシー。揚げたてで、全然油臭くない。骨までサクサクと食べられる。
 絶品!

 ふと見ると、前の人も同じフライを食べている。こんなのが毎日食べられるなんて、うらやましい。がつがつと、あっという間に平らげる。きて、よかった。帰りにトイレを借りて、バイクのところから記念に店の写真を撮っていると、建築作業員らしき人たちが3、4人やってくる。
「練馬って、どこの練馬?」若い作業員がバイクのナンバーを見て、興味深そうにそう訊いてくる。
「東京の……」と、答える。
「あの東京から、ここまできたのかい」驚いている。
「よく、ここがわかったねえ。地元の人でもわかりにくいのに……」とこれは年輩の人。
 このあと、ちょっとした会話を交わして、彼らもウドン屋に入っていく。

 今日中には、佐田岬の近くにいきたいので、すぐ近くから高速に乗る。松山まで1時間くらいのものだろうと思っていたが結構遠いと、走りはじめてから気がつく。約150キロ。けれど高速の見晴らしは、高い防護壁がない分だけ結構いい。心地良く、前後に車がいないこともあって、120か130くらいで流していると、トンネルをでたとたんに急に右側からパトカーが追い越しをかけてくる。あっと、思ったがもう遅い。覚悟を決めて、指示に従おうと向こうの出方を待っていたが、パトカーは猛スピード(推定140から150)で追い越し車線を突っ走っていく。

 次のインター付近で取り締まりを受けるかもしれんと、80くらいで走っていると、今度は事故検分車らしいワンボックスが、やはり追い越し車線を突っ走っていく。どうやら事故のようだ。現場に急いでいるらしいと見当はついたが、しばらくは冷や冷やしながら走る。インター付近では何事もなく、ようやく人心地がつく。しばらくは法定速度で走る。

 午後、2時前後。今日泊まる予定の廃校跡に、西条市近くのPAから電話。
そこは元小学校を宿泊施設にしたところだ。今からいきますと言うと、事務所にいないかもしれないから、メモを置いておくという。話しぶりから、西条から結構、時間がかかりそうな雰囲気だ。電話にでたおばさんらしき人、今、西条からだと言うとちょっと驚いている。5時までには無理かもしれない。

 道後温泉に寄るつもりでいたが、時間がないので今回はパス。伊予のインターで下りる。そこから56号を下って、内子町をちょっと見学。バイクに乗ったまま、石畳をそろそろと走る。風情を楽しんでいた観光客のみなさん、どうもすみません、と心の中で手を合わせ、いかにも興味深げな顔をして、極極低速で流す。

 内子から八幡浜市に向かうが、市内で信号待ちの時に時計を見ようと、タンクバッグのトップを開けて地図をめくったとたんに、下に落としてしまう。後ろに車が並んでいて、うまくサイドステップが下ろせなかったせいもあり、拾う時間なし。あきらめる。以後、上の弟が我が家に忘れていった時計を返そうと思って、ずっとバッグに入れて持ち歩いていたのを代わりに使う。

 午後5時過ぎに佐田岬メロディラインにはいる。さすがにねずみ取りで有名なところ。結構な数のパトカーに会う。たぶん、今日1日の営業を終えて、署に帰るところだろう。しかし、気を許さずになるべく法廷速度で走る。白バイはいないようだ。ときおり、うしろから猛スピードで車が追い抜いていく。たぶん地元車だろう。

 泊まるところは、神崎というところで、電話によるとかなりわかりにくいらしい。事実、何回か細い道を迷う。ようやく廃校跡についたが、だれもいない。海岸近くで、近くに人家も近くにはない。ここで今夜は一人。少し、武者震い。

 自分当てにメモがあったので、それを見て、事務所らしき部屋の外に添えつけてあるピンク電話から管理人に電話。
「遅くなりましたけど。ええと、今つきました」
「体育館のカーテンが開いているところから中に入れるからね。……それと、風呂はその電話を掛けている建物の奥にあります。中を入っていくと、すぐにわかるから……。ボイラーのスイッチはいれたままだから、蛇口ひねると湯はでますよ。今、ちょっと手がはなせないから、あとでいくから……」

 木造平屋、4、5クラスが続いている縦長の教室と、中央で直角に交わるように小ぶりの体育館が併設している。裏口から上がりこんで、ステージに荷物を取りあえず置く。ステージ上には、アップライトピアノやスピーカーなどが隅に雑然と積んである。ピカピカに光っている板張りの体育館は結構新しそうだが、いくらなんでも一人じゃ広すぎる。こんなところでホントに眠れるだろうか。トイレは体育館の裏手、ステージのすぐ裏手にもあたるところだが、そこに独立の建物としてある。案の定、くみ取り式。しかも体育館とは違って、かなり古い。夜中に一人でいくのはちょっとつらい。人家の明かりが見えないというのは、なんとなく寂しいものだ。

 風呂に行く前に、ビールを調達しにバイクで、下ってきた道を上に引き返す。
 遠くからだと店らしい看板が屋根の上に見えるのに、近くにいくとそれらしい建物はない。散歩をしているおじいさんに酒屋の場所を訊いてみると、狭い坂を何段か下りたところにあるという。そこにいくには車はもちろんバイクでも無理、歩いてしかいけないようだ。小さな雑貨店風になっていて、ビールも一種類しかなく、つまみも限られている。夕食にと思っていたサバ缶もマグロ缶もない。しかたないのでカンビール数本と乾きものを買って学校に戻る。

 だだっ広く寒々とした風呂場で湯を使い、寂しい夕食。こんなときは、ラジオが最愛の友に変身する。普段はなんとも思わないケーシー・タカミネ(たしかそうだった……)の話芸が妙に心地よい。

 ビール飲みながら、手帳に書きものをしていると、夜8時くらいに管理人のおばさんが懐中電灯片手にやってくる。手をケガ下らしく、右手は包帯で吊っている。リンゴを1個貰う。受付にいって必要事項を書いてから、また体育館に戻り、電灯のスイッチの説明などを受ける。それから、ここは夏期には意外にも宿泊客が多いという話や愚痴を聞かされるはめになる。

「……予約を受けた人が、道がわかんないからって電話がきたことあるんよ。それでここまでの道を教えたんだけど、10時になっても11時になってもこなかったねえ。ここはわかりにくいから、道に迷ったんだろうかって心配になって、ずっと待ってたんだよ、わたし一人で。結局、夜の夜中の1時まで待ってたんよ。事故でもあったんじゃないかと心配になってきたし、ねえ。でも、結局こなかったね。こないなら、こないって電話の1本でもくれればねえ」と、おばさんは俺もひょっとして、今回はこないんじゃないかと危惧していたことを、言外に匂わせながらそう言う。

 じゃあ、これでと言いながら、おばさんは一旦は帰ろうとするんだが、最後の一言という感じでまたなにか話をはじめる。これがなかなか終わらない。次から次に話が続く。
 ――自分たちには子どもがいないと言うと、養子だけはもらわないほうがいいという忠告あり。だいたいが養子をもらった途端に、子どもができるのが普通だよ。そうなったら、生まれてきた子がかわいいから、養子をないがしろにしてしまう。わたしは何人もそういう子を見てきたんだ。絶対に養子をもらうこと考えちゃだめだよと、再三、念を押される。
 ――次にここに泊まることがあったら、必ず今日、こういうことをあたしがしゃべったって最初に言えば、わたしも、ああ、あのときの人かってわかるから、それで無理してでも、ここに泊まってもらおうかなって思うんだよ。もし、そのとき奥さんでも一緒なら、必ずそう言うんだよ。それが縁ってものだから……。

 他にも、ここで病気になったキャンパーの話などが続く。やっぱり、お遍路さんの土地柄だろうか、親切にも念がはいっている。だが夜は一人。話しはじめて約1時間。ようやく、おばさんが帰っていくと、最初のときよりも体育館が妙に広く感じられる。一応、おばさんに「夜は電灯、全部つけて寝ますから……」と断りを入れておいたのだが……。
「男だろうがね」
 と、言われたが、だだっぴろい真っ暗な体育館で立った1人で寝るのは、素直にここを独り占めという気持ちにはなかなかなれない。

 ところが、いざ寝ようと思って電灯をつけっぱなしにしていると、妙に落ちつかない。明るいところでは眠れない性分だ。ため息をつきながら、すべての電灯を消す。ビール飲んでいるせいもあり、意外と早く寝つく。が――尿意にふと目が覚める。午前2時。外の地面に適当にやってしまおうかと思ったが、だれかが見ているような気がして、結局、裏のくみ取り式の便所にいく。漆黒の闇。見上げると星はきれいだが、感激する余裕はない。余計なことは一切考えずに、さっさっと用をすます。再び、寝ようとしたときに、ステージの向かい側にある体育館の入り口にあたりに、人の気配がするので、じっとそこを見つめ、手持ちのライトで照らしてみる。入り口は跳び箱や体育の器具が置いてあり、用具室代わりになっていて、それらが明かりにぼんやりと浮かび上がる。やはり、気のせいだ。――だれもいない。眠い、俺は眠いと暗示をかけながら、ようやく浅い眠りにつく。


中北うどん。(今はもうやっていないようだ)




内子町。そろそろと走る。

廃校の宿泊施設。


校庭。


体育館。1人で寝るには広すぎる。
ステージで寝る。


1997年10月8日 四国ツーリング(4日目)

2024年12月29日 | 1997年 四国ツーリングから帰郷
10月8日(水)
 檮原(ライダーズイン雲の上・バッテリー上がり)~四国カルスト~石槌スカイライン~瓶ヶ森林道~高知市内~物部村(ライダーズイン)  

 朝6時起床。ささっと荷造りして出発――と思いきや、セルモーターがむなしく回るだけ。一向にエンジンがかからない。ああ、くそくそと心の中で悪態をつくが、どうにもならない。バッテリー上がり。よほど、押しがけしようかと思ったが、荷物満載ではそれも無理。泣く泣く荷物をすべて下ろし、シート下からバッテリーを取り外す。電圧計(持参していた!)で計ってみると、12ボルト以下であきらかに電圧が足りない。

 持ってきた簡易型の充電器(これも持参!)で1時間ほど充電。その間に、隣の部屋のライダーがまず出発、それを皮切りに次々にライダーが出発していく。結局、1人取り残されたかっこうになり、バッテリーを再び装着して出発したのは9時過ぎ。
 セルを回しても、エンジンかかんなかったらどうしようかと、一瞬、緊張するがなんとかエンジン始動。一安心。せめて、今年の冬まで使っているバッテリーを保たせるつもりだったのに……。今日中には新しいバッテリーを手に入れるつもりで出発。

 四国カルストに向かう途中、梼原の千枚田に寄る。司馬遼太郎さんらはどの方角から千枚田を見て感激したのだろうかと、しばらくうろうろする。千枚田を向かい側から見ていた場所があるはずだが、わからない。あきらめて次に向かう。四国カルストと案内のある地図にはない林道――と言っても、普通の国道と変わらない――を登っていく。山並みがどこまでも続いていて絶景だ。四国カルストも、風は強いがなかなかいい。途中で駐車していたゼファー400を追い越す。

 四国カルストはいい!
 石鎚スカイラインにいくために、440号腺を下るが、道路工事の看板。1時間に10分くらいしか通行できないようだ。昼時だけは連続一時間くらい通行できるとある。時間を見ると、どうやらその時間帯にかかりそうなので安心するが、それにしても道路工事が多い。なんとか国道33号に乗り、面河村に向かう。腹が減ってきたので、石槌スカイラインの入口で食事を摂る。けれどここの定食はひどかった。

 値段は忘れたが、すべてが高いので一番安い日替わり定食にしたのだが、まともなおかずがない。メシに、ミソをケチったとしか思えない薄い味噌汁。お新香。メインはカマボコを薄く切ったものが2、3切れ。それのみ。それで700円。川のすぐ近くなのだから、せめて川魚の甘露煮1匹――いやいや、メザシでもよかった。せめて、生タマゴの1個くらいは付けてほしかった。こんなひどい値段の定食は初めての経験だ。ホントに、おせったいの土地なのか。ただ、給仕をするおじさんの愛想だけはいい。すこぶる納得いかないままに、お茶をがぶ飲みしてそこを後にする。

 気を取り直して出発。山に登るにしたがって、ようやく気分が晴れてくる。景色はいい。スカイラインの突端まできて、いよいよ、今回のツーリングで一番いきたかった瓶ヶ森林道に突入。山の尾根を走るようなその眺望に、何回もバイクを停める。砕けた小石がびっしり撒いてあるので、車は平気かもしれないが、タイヤが滑るのでオンロードにはちょっときつい。これなら普通のダートのほうが走りやすい。
 それでもなんとか林道クリア。寒風山トンネル横にでて、194号を高知市に向かって南下。これも素朴な道で気持ちがいい。

 高知市内では、ちょっと渋滞。ホンダのハンドブックを取りだして、はりまや橋近くのバイクショップを捜す。方向に自信がないので、近くにいた地元の人らしき作業員に訊いたりしてなんとか目星をつける。桂浜に向かう34号線を3、4キロ南下して目当てのショップにいくと、60代とおぼしきショップの人がスクーターをいじっている。訊くと、卸しをやっているところにいかないと、CB400のバッテリーはないとのこと。わざわざ高知のホンダショップの元締めをやっているとかいう、卸しをやっている店に電話で在庫確認をしてくれる。

「今からそっちにいくから、うちに卸す値段でやってあげてよ」
 ありがたい。さらに詳しい地図まで書いてもらう。
 はりまや橋の近くに向かってバイクを飛ばすと、教えてもらった卸し業者はすぐに見つかる。10分くらい待たされて、溶液と新品のバッテリーを手にいれる。だが思ったほど安くはなく、結局1万3000円近い値段。卸しの値段でというバイク屋のオヤジさんの言葉は効かなかったようだ。東京のバイクショップだと1万円もしない。まあ、これは仕方ない。

 渋滞の高知市内をちょっと走り、県道16号腺を小坂峠にいく。市内で信号待ちをしていると、うしろから土地のライダーに声をかけられる。
「Tシャツでナンバーが隠れて見えないよ。今日は白バイがやたらに多いから、気をつけたほうがいいよ」
「どうも、すみません」
「直してやるよ」と、交差点のど真ん中でバイクを降りようとする。
「ああ、自分でやりますから……。どうもありがとう」
 交差点を右折したところで、バイクを止めてTシャツを引き上げる。洗濯をしたタオルやTシャツを荷物を縛っているロープの挟んでいたのだ。そうすると5、6時間できれいに乾く。さっきのオフロードのライダーは直進していった。ありがとう!

 午後、4時過ぎ。途中の電話ボックスから、物部村のライダーズインに予約の電話。夕食らしいものは用意できないとのことで、途中で食べることにする。ところが物部村に向かう裏道の県道は、ほぼ山道。走っても走っても店らしいものはない。予定していた倍以上の時間がかかりそうで、ちょっと飛ばしたりする。

 それでも、ライダースインについたのは、まっ暗になった午後7時過ぎ。途中でオデンを売っている軽ワゴンの屋台にいき、何か腹に入れようとしたが、売り切れでがっくり。地元の人に物部村までどのくらいか訊いたりする。バイクを見てライダーズインに泊まるのだろうと訊かれ、その場所まで教えてもらう。国道沿いにあると言われホッとする。

 まっ暗な山道を走り心細くなったところで、ようやく家の明かりがぽつぽつと見えてくる。途中の小さな店で夕飯を調達。ようやくライダーハウスにつく。《雲の上》と違って、ここでは布団の貸し出しはない。板敷きの部屋に、持参のシェラフを敷いて寝るだけ。シャワーを浴びてから、ビールとパンで夕飯をすませて、ホールにいってビールを飲み継ぐ。

 夜の間、管理をまかされている60代くらいの男性と、インスタントラーメンを食っている若い男が2人。他にも3、4人泊まっているはずだが、部屋で休んでいるようだ。ゼファー1100で四国を1ヶ月以上回っているというらライダーとちょっと話すと、京都の人らしいとわかる。しゃべり好きのようで、他の部屋の人間が出てこないのが不満のようだ。おじさんとは仲がよく、訊くとここはよく利用しているらしい――彼はハウスに備え付けのノートに、剣山林道を走ったが、途中でリタイアしたと書いている。

 10時くらいに部屋に引き上げ、バッテリーの溶液を注入して寝る(初期充電なんて知りもしないころだ)。


石鎚スカイラインに到る小川。
このあとメシ食ったんだったか。


 
林道案内。

林道からの遠望。まだ舗装されていないころだ。


当時は瓶ヶ森林道を(びんがもり)と誤読している。


1997年10月7日 四国ツーリング(3日目) 

2024年12月28日 | 1997年 四国ツーリングから帰郷
10月7日(火) 
 土佐清水(白爪キャンプ場)~宿毛~中村市~四万十川源流~檮原(ライダーズイン雲の上)  

 いつもなら、キャンプ時だと朝日ととも起床だが、さすがに疲れていたのか太陽がテントを直射しているのに午前9時過ぎまで熟睡。かなりの汗。皮ズボンがしっとり湿気を帯びている。起きてからは、テントやズボンを干したり、ついでにパンツやタオルの洗濯もして、午前10時にはキャンプ場を出発する。尻の皮膚が痛いので、パンツを2枚重ねて履く。今日の予定は四万十川を源流まで北上。洗濯などしているあいだに、バイクには直射日光。そのせいか、一発でエンジン始動。

 321号腺を宿毛方面に走る。途中で旧道にはいり海側を走ったりして、非常に気持ちがいい。途中のドライブインみたいなところでトイレ。元首相の吉田茂のかなりでかい顔看板が押っ立ててある。このあたりの出身なのだろうか。宿毛から56号を使って、再び中村市に向かう。それにしても、やけにスクーターに乗った高校生が目につく。自転車代わりだろうか。途中で1台白バイに捕まっていたので、バックミラーで後ろを注意しながら走る。

 12時近くでちょうど腹もへったので、ウドン屋にはいる。セルフサービスでなかなかいい雰囲気。小さなウドンの玉を何玉でも選べるようになっていたが、4玉の普通盛り強にしてもらう。何玉でも値段は一緒だから、もっと食べればと言われたが遠慮する。考えてみれば四国にきてからはじめてのウドン。590円也。期待しつつ食べはじめるが、それほどでもない。東京あたりの駅で食べるウドンとさほど変わらないようなコシのなさ(こんなものか)。汁はまあまあ。 ??という感じで食べる。次の店に期待しよう。店をでるときに気がついたが、どうやらチェーン店だったようだ。

 中村市からいよいよ、四万十川を北上。
 工事中の看板に書かれてある通行時間帯を確かめつつ、川沿いの道を進む。やはり水がきれいなので、それだけで嬉しくなる。すれ違うバイクや車はほとんどなし。途中、沈下橋に下ってから、写真を2、3枚撮る。非常に狭い1車線の道路や山を迂回する道もあったりで結構面白い。

 窪川から大野見村へと北上。そして、いよいよ四万十川の源流めざして、細い細い道を駆け登っていく。あと数百メートルで源流の碑が立っているところにきて、道の真ん中が深く抉れていて、そこにぶつかったマフラーが1本、エンジン下で押しつぶされているのを後で発見。冷や冷やしながら、慎重に進む。

 源流の碑の前で記念写真。こういうところで撮りたくなる気持ちがよくわかる。時計の針は午後4時を指している。ふと、ここでシッコすれば太平洋までどのくらいかかるのだろうかなどと、不埒なことを考えたりする。下りにオフロードのバイク2台とすれ違う。

 その日は《雲の上》ライダーズインに宿泊。宿に到着する10分くらい前に電話して予約。カマボコ型の屋根が並んで、なかなかいい。これでシャワーがついて、布団を別につけてもらって3000円強。できたばかりなのか、床板の真新しい匂いがする。真新しい布団が3組ほどあり、そのうちの2組を背にして本を読んだりする。

 この日の夕食、近くのコンビニまでバイクでいき、缶ビール数本とツマミ。部屋で500ミリ缶ビールを2本ほどあけて、宿泊所のラウンジみたいなところで、テレビを観ながら、さらに缶ビール4本飲む。他にも宿泊客が数組。今日の走行距離、約300キロ。いよいよ総走行距離2万キロを越す。


四万十川。一度は見てみたかった。


沈下橋。


沈下橋で1枚。


支流の小川まできれいに見える。



四万十川源流。

源流の碑。


源流の近くにあった碑。


ライダーズイン。雲の上。


部屋の前でバイクの整備ができる。
工具は貸してくれるということだったが、そこまではやっていない。





1997年10月6日 四国ツーリング(2日目) 

2024年12月27日 | 1997年 四国ツーリングから帰郷
10月6日(月)
 徳島(小松島港)~高知市内~中村市~土佐清水(白爪キャンプ場)

 室戸岬までの途中。海岸線の峠道で事故を起こしたバイク発見。血のついたヘルメットが転倒したバイクの横に置いてあり、血に染まったティッシュが点々と転がっている。ヘッドライトの破片が散乱。フロントフォークは奇妙な角度でエンジン部分に折れ曲がっている。それほど日にちはたっていないはずだ。前日は日曜だったので、ツーリングだったのだろう。バイクはスズキ・カタナ。ナンバーは徳島。地元のライダーだ。気を引き締めなくてはと、あらためて気合いを入れ直す。

 白装束を着たお遍路さんにときどき会う。高校のときに観た映画「旅の重さ」を思い出してしまい、なぜか嬉しくなる。
 安芸市では、道沿いの弁当屋で魚フライ弁当を買いこみ、巨大な鳥居のような作りかけの鉄道高架の下で(あとで土佐くろしお鉄道と判明)昼食をとる。

 弁当食ったあと、桂浜にいく途中にある浦戸大橋を渡っているときに、クラッチレバーを留めているネジが2センチほど浮いているのを発見。後頭部に電気が走ったようになり真っ青になる。大橋の料金所を過ぎたところバイクを停めてネジを締めこむが、走り出すとすぐに弛んでくる。出発前、入念にクレ55をかけたのが、災いしたのかもしれない。これでもかと、ドライバーで入念に締めなおすが、結局、そのあとも何度か締めなおすことになる。

 桂浜の上にある休憩所のベンチで1時間ほど横になるも、結局10分ほど寝ただけで出発。横になっているとき、小学生らしいグループの話に思わず耳がダンボになる。語尾にチューをつけてしゃべっているのが妙に新鮮だ。
「おまん、宿題しちゅーか」
「しちゅーよ」
 にんまり頬が緩み、やっと四国にきたという実感がわく。

 12時半過ぎには出発。今夜キャンプするのは足摺あたりと漠然と決めて出発。途中の横浪黒潮ラインは素晴らしいの一言。車もほとんど走ってなく、ワインディングをただただ気持ちよく走る。中村市を流れる四万十川の河口にいく道を走り足摺岬に向かう。

 土佐清水には4時半くらいにつく。足摺岬にいくが、駐車場にバイクを停めて先端まで歩くのが面倒くさくなりUターン。土佐清水で給油して、321号線を宿毛市に向かう。5、6キロほど走って「白爪キャンプ場」とあったのでそこでキャンプすることに決める。

 ビールとツマミを近くの酒屋(――腹に溜まるものでも買おうと思っていたが、酒とツマミ以外は何もない)で購入、キャンプ場に戻るが、野っ原のようなサイトには他にキャンパーはいない。東屋があり、その近くまでバイクで近寄っていくと、ネコの白骨体らしき骨が散らばっている。げ。どうしようか、ちょっと迷う。だが、ほかのキャンプ場を探すのはしんどい。東屋から50メートルくらい離れた芝生の真んにでテントを張る。張っている途中で、蚊が何十匹と押し寄せてくる。

 苦労して張っていると(といっても簡易テントのようなものだが)、管理人のおじさんがやってきて、300円ほど徴収される。なんでもここは1年中やっているらしい。名簿のようなものに名前を書くと、9月になってから1週間に2、3回の割でだれかがキャンプしているようだ。だいたいがバイクできているという。100円で温水シャワーも使えるらしい。

 テントを張り終えてから、温水シャワーを浴びて、氷で冷やしていたビールをテントの前で3本飲む。ツマミはカッパエビセンのみ――夕食用にパンでも買うつもりだったが、酒屋にはそんなものなし。テントを張って1時間もしないうちに、デカシートにもフライシートにも夜露が付着。撫でると、べっとりと水。まだ午後7時にもなっていないというのに……。海がすぐ横だからだろうか。

 ラジオを聞きながら、星々を見上げるようにしてビールを飲む。時折、飛行機の尾翼灯が点滅しながら通過する。首に巻いていたタオルが皮膚に擦れて痛い。天の川を久しぶりに見る。近所の高校生らしい男女のグループがキャンプ場を横切って海岸にいったくらいのもので、あたりに人家や人の気配はない。

 10時過ぎには寝るが、夜中に汗ぐっしょりになって何回か目を覚ます。結局、前日の午後3時からほとんど寝ないで1000キロ近く走り続けていることになる。自律神経がおかしくなっているのだろう。夕方、シャワーを浴びたときには尻の皮膚が破けてはいないが、上皮がずるずると浮いているような感覚もあり、飛び上がるほど痛んだ。ジーンズを脱ぐときに、血がべっとりついているような感触まであった。幸いにも、そこまでには至ってなかったので、ほっとしたものだ。

白爪キャンプ場。ど真ん中で1人キャンプ。
手前左側にトイレやシャワー小屋。
右手奥に、猫らしき白骨が転がっていた東屋がある。


(おそらく)キャンプ場横からの夕陽。