バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1998年7月6日 北海道ツーリング 9日目

2025年01月31日 | 1998年 北海道ツーリング
7月6日(月) 稚内~宗谷岬~東川(キトウシ森林公園)




 8時には稚内のビジネスホテルを出発。
 9時には宗谷岬、時計のある土産物屋の前で記念撮影。ハラが減ったとカミさんが言うので、国道を隔てた食堂で、ミソと塩ラーメンを食う。両方ともコンブのダシがばっちりきいて美味い。
 あとは238号をひたすら南下。天気もいいし、気分良く走れ、気持ちいい。

 12時半くらいに紋別に着いたので、郊外のカニ卸売りセンターでタラバ(4500円)をゲット。客は他になし。自分がセンターのおじさんといろいろ、値段の交渉とか、どこで穫れたものかを訊いていると、カミさんは背を向けるようにして、入り口付近に供えてあった味見用のタラバガニをバクバク食べている。それも足1本とかじゃなく、次から次に勝手にカニの足を折っている。人のいいセンターのおじさんが「食べな、食べな」と勧めてくれたらしいようだが、そこまでやるか。自分も少しだけ相伴にあずかる。カミさんは腹一杯になるまで食ったようだ。
 それでも、なんか悪いなあと思いながら、2階のだだっ広い食堂でテッポウ汁とオニギリを注文。どうやら、そこは2000円弱でカニ食べ放題が売りらしい。まだ、客はいなかったけれど、床には食べたカニの乾いた殻の残骸が散らばっている。天井は高いが、かすかにカニの臭いというか、スルメを焼いたあとの臭いというか、そういう臭いがあたりに漂っている。

 4時前には、東川のキトウシ森林公園着。
 公園内にある一軒家のキャビンをK代が借りてくれたのだ。町民なので一般よりは安かったとのこと。15000円くらいか。
 設備はばっちり整っている。冷蔵庫、食器、暖房(今回は使わない)、2階もかなり余裕がある。10人ほどでも充分に泊まれそうだが、今回はk代の子供も含めて5人。k代の旦那は朝が早いので今回、泊まりはパス。午後8時くらいにやってきて、公園の門が閉まる10時には帰っていく。夕食は外でバーベキュー&タラバガニ。自分は午後12時には寝るが、カミさんたちは午前2時くらいまで飲んでいたようだ。


宗谷岬

宗谷岬


宗谷岬


宗谷岬 朝9時前


1998年7月5日 北海道ツーリング 8日目

2025年01月30日 | 1998年 北海道ツーリング
7月5日(日)  利尻~稚内

 利尻から稚内行きのフェリーは、午前11時と午後4時の2便しかないので、午後の便で渡ることにする。周囲50キロほどの利尻島をゆっくりと逆回りで2回ほど周回。180度違う利尻富士の景色が楽しめてなかなかよい。入江の岩場を封鎖してつくった自然水族館で、軽快に泳ぐアザラシ(冬場は稚内の動物園に移送されるらしい)などを見物。その近くで、摂った昆布を整理していたおじさんから、1000円分だけ昆布を買う。かなりの量だが、天然の昆布ではなく養殖の昆布だそうだ。天然昆布の採取解禁はもうしばらくしてからという。姫沼もなかなかよく、しばし、2人で昼寝。

 帰りのフェリーも満員。甲板に設置してあるベンチはかなりの空きがあるのだが、みんな船室で早々と雑魚寝態勢でマグロのように横になっている。2時間弱だが、海を眺めているよりはこっちのほうがいいのだろう。
 わしも荷物を置いて、みんなにならって部屋の真ん中に足を向けて横になる。カミさんは一般客と同じようにタラップから乗り込んでくるので、まだ姿が見えない。
 と、横にいた男性連中が荷物を置いて、甲板にでていくと、すかさず、おばさん連中がどやどやと上がり込んできて、そこに横になろうとする。
「そこ、きますよ」
 と言ってやる。
「は?」
 とすっとぼけたふりをして、今度はちょっと向こうに置こうとする。
「そこも、おられるはずですよ」
「でも、どこもいっぱいで……」
 とすねたように言う。
「空いているんじゃないですか?」と妙にしつこい。
 確かにわしの横は空いているが、そこは今からやってくるカミさんの場所だ。
 甲板のベンチはいっぱい空いてますよ、とよほど教えてやろうかと思ったが、そんなことは自分ですべきだ。無視して寝る。後でカミさんにきくと、通路側に座ったそのおばさんは、寝ていたわしをずーっと睨みつけていたらしい。きっと、自分も横になりたかったのだろうと思うが、こういうのは早く座った人の権利なのだ。その人たちは4~5人ほどのグループだったが、もし、その人たちが先に場所を取っていたら、7~8人分を他人無視で平気で使いそうな雰囲気をまき散らしていた。そういうのを感じたので、こっちもちょっと意地になった部分もある。

 稚内ではまた「さいはて旅館」に泊まってもいいかなと思ったが、とりあえず違った場所にも泊まってみたいので市内のビジネスホテルにあちこち電話をしてみる。どこも満室だったが、4軒目で和室タイプなら空きがあるというので予約する。
 南稚内駅に近いそのホテルは、地下にサウナ付の大浴場があったので、さっそく汗を流しにいく。
 ロシア人らしい若い男性もいて、テレビ室で新聞を読んでいると、テレビの野球放送を観ていた日本人のおじさん2人が部屋をでたとたんに、じいっとこちらを見つめる。目が合うと、チャンネルを変えていいかと身振り手振りで訴えかけてくる。ロシア語などしゃべれないので、自分も相手に合わせて首を縦に振ってどうぞどうぞと答える。夜は、ホテル近くのなかなか雰囲気のいい居酒屋にいく。


利尻島・姫沼


利尻・アザラシ


利尻島の中で、利尻山1枚



利尻から稚内のフェリー


ノシャップ岬だったか


1998年7月4日 北海道ツーリング 7日目

2025年01月29日 | 1998年 北海道ツーリング
7月4日(土)  稚内~礼文~利尻


 5時半には起床。
 6時20分発の礼文島行きフェリーに乗るために、旅館前でバッグをバイクに装着していると、コーヒーでも飲んでいきなさい女主人に勧められる。時間がないというと、わざわざ缶コーヒーを二本、バイクのところまで持ってきてくれる。どうも、ありがとうございます。
 フェリーは朝も早いというのに、座るところもないくらいの満席状態。
 礼文には8時着。なにやら港では踊りを踊って出迎えている。嬉しくなってくるが、あとで聞いたところによると、どうやら礼文のユースホステル・桃岩荘の歓迎の踊りだそうで、宿泊客が踊っているらしい。踊りの講習まであるという。恥ずかしがる人もいるが、これが病みつきになって毎年訪れている人も多いという。

 ハラがへって、とにかく腹ごしらえということで、船泊の食堂に行くが、まだ、やってない。仕方ないので、雑貨屋で、納豆にパン、ツキアゲなどを買って、近くの堤防でもぐもぐと朝食。
 そのあとスコトン岬にいく。カラリと晴れて、景色よし。ついでに途中にある見晴台にバイクを停めて、20分ほどクマ笹(チシマザサ?)の生い茂る高台まで細い道を上ってみる。ここもなかなか景色がいい。スコトン岬は観光バスが何台もついたばかりで、どわどわっと人の波。それを見て、申しわけないが駐車場でUターン。澄海岬などに立ち寄っていると、ハラがへってきたので食事をする。

 午後11時。船泊の「双葉食堂」で、うまいと聞いていた中華丼を注文。イカ、エビ、海草など、新鮮な海のものが豊富に入っている。これはお勧め。久須湖畔のキャンプ場には数基のテント。
 礼文林道はタンデムで走る。5キロくらいのものだろうか。途中、利尻富士が見え隠れするところがあり、やがて眼前に礼文の絶景が拡がってくる。結構、バイクも集まっている。ドカで林道を下っていくライダーと擦れ違ったりする。
 このあと元地方面にいき、防波堤1時間ほど仮眠。

 2時半のフェリーで利尻に渡るが、ぎりぎり5分前についたものだから、乗客用のタラップは下ろしてあり、カミさんは車乗り場のゲートより乗船する。
 利尻には3時過ぎに到着。さっそく今夜の宿の手配をと、鴛泊のフェリー乗り場にあった観光案内所にいき、民宿を紹介してもらおうとしたが、すべて満室とのこと。それではホテルでもいいやと交渉すると、それも全部埋まっているという。げ。考えてみると、今日は土曜日。しかも利尻礼文は花の咲く季節で一番の混雑期だ。
「空いているところも、ありますが……」
 と案内の女性。
「え。そうですか」
「〇〇ホテルの特別室です」
 特別室? ま、それほどの値段でもなかったら、仕方ないか。
「いくらですか?」
「1泊、1人8万円です」
 いやいやいや。ありえん。
 さて、どうしようか。野宿しようにも、道具などなにももってきていない。それに1人ならまだしも、2人だと、ちときつい。
「あの、素泊まりでしたら、利尻町でやっているロッジが空いているかもしれませんが……」
 もう、泊まれるならどこでもいい。
「それ、ぜひお願いします」
 お待ち下さいと言って、女性は隣町の役場に電話をしてくれる。幸いなことに、一棟だけ空きがあるという。値段も格段に安い(1000円しない)。役場でカギを渡してくれるというので、利尻町役場のある沓形に向かう。

 沓形につくと、ダメもとでメインストリート沿いにある民宿にいってみる。カミさんが交渉にいったが、なかなか姿を現さない。バイクをしっかり停めて、自分も行ってみる。
「満室なんだけど、おばあちゃんが使っている部屋でよければどうぞ」
 ということらしい。
 もちろん、即、オーケー。1泊、1人7000円。助かったあ。
 ロッジもそれはそれで面白いのだけど、なんにも用意してないので、ランタンからビール、食料、風呂、コンロ、夜は冷えそうだから、寝具、その心配もしなければならなかった。部屋の準備をするのに時間が少しかかるというので、役場にいき、ロッジの件で役場に断りをいれて、利尻富士中腹にある見返し台公園にいってみる。パトカーが1台いたが、山中で見かけると奇妙な気分だ。

 時間がありそうなので、また鴛泊に引き返し、温泉にはいる。
 民宿「なごり荘」
 1階の一番奥の部屋を急いで片づけたらしく、布団などは部屋の隅に積み上げてある。カレンダーなどはそのままなので、生活のにおいがぷんぷんしているが、全然気にならない。夕食がすばらしい。ホッケがこんなにうまいとは。朝、獲れ立てを煮付けにしたらしい。身がぷりぷり。サシミも切り身の断面が虹色に光っている。他にも海のもの(タコ、ナマコ、海草)が何種類も……。「今日、ウニがあるよ」というので、飛びつくようにそれももらう。1皿1500円。鮮やかなオレンジ色をしている。うまーい。甘ーい。旨味が口の中で溶けるように拡がる。昨日、殻付で食べた稚内の居酒屋のものとは、モノが違う。カミさんも幸せそうだ。
 ビールを飲みながら、うだうだしていると、家族の人たちも夕食をはじめて、次々に差し入れをされる。まだ、最初に並べてもらったものが、半分以上も残っているというのに。ここにいればいるほど、家族の人たちのぶんも勧められそうなので、早々に退散して、部屋でゆっくりワイン(さっき商店街で買ってきたやつ)を飲んで就寝。

礼文・スコトン岬近く。
カミさんも、カッパ着ている。

これも礼文。

礼文・船泊港

バックの山は利尻山

礼文の林道


遠くに利尻島


礼文島より利尻島

この日は、思いっきり写真をバシャバシャ撮っている。

うーん。ツーショット!


ここも、うしろのほうはスコトン岬だったか。


1998年7月3日 北海道ツーリング 6日目

2025年01月28日 | 1998年 北海道ツーリング
7月3日(金) 東川~士別~オロロンライン~稚内




 朝、小雨。
 9時の飛行機でカミさんが到着するので、旭川空港までK代の車で迎えにいく。空港カウンターの歓迎の看板に「TI様」と旧名を書いて、ロビーで待つ。定刻通りに飛行機到着。ヘルメットを持っていなくても、すぐにそれとわかる、いつものジーンズ姿がほどなく到着ロビーに現れる。
 一旦、東川に寄って、バイクのパッキングをやり直す。シート・バッグはK代宅に預け、サイド・バッグとタンク・バッグ、それにカミさんの背負うデイパックだけにする。一応、カミさん用にディスカウント・ストアで買ったレイン・スーツ(ようするにカッパ)を持ってきているが、どうにも心配で、カミさんはKMさんの登山用レイン・スーツを借りる。

 雨が止んできた12時半前後には出発。空はどんより。
 40号を士別まで北上、そこから239号をひたすら西へ向かう。途中から小雨。レイン・スーツを着込む。海沿いで232号に合流、北上。だんだんと雨足が強くなってきて、ついにサロベツ原野では激しい雨。視界は10メートル弱。それでも、ひたすらオロロンラインを走る。ときおり、トラックに追い越しをかけられると、ぶあっとタイヤの水しぶきが霧状に襲ってくる。追い抜きざまに、ヘルメットが左右にグイン、グインと風に煽られる。途中で休憩したいが、この直線道路だと――ヘタにバイクを停めると危険なので、稚内まで突っ走ることにする。ウィンター・グローブをしているが、手先が冷たい。だが、カミさんは軍手だ! 手がかじかんで痛いようだ。とにかく一刻も早く、熱い湯にでもはいってくつろがなくては。

 と、思っていると、稚内の近くになって雲が途切れてきて、筋状の光線が射してくる。なんと太陽まで顔を出す。空が金色に輝いて、利尻島がくっきりと見える。まるで海に浮かんでいるようだ。しばし、バイクを停めて、二人で至福の景色に見入る。雨上がりのせいか、空気まですっきり感じる。

 その後、気持ちよく稚内まで走る。今夜はどこに泊まるか、まだ決めていない。とりあえず稚内駅のあたりを一周してみる。駅の横道をはいったところに、「さいはて旅館」という旅館があり、そのネーミングに嬉しくなり思わず笑ってしまう。
「ここにするか?」
 と、冗談でカミさんに言うと、
「んにゃ」
 と、笑って答える。
 どこか、安くていいビジネスホテルはないかと、再び、駅前に戻り、歩道脇でバイクにまたがったまま、携帯電話片手に旅行案内書をめくっていると、知らないおじさんが近づいてきて、何気なく声をかけてくる。
「ひと部屋、まだ空いているよ。素泊まり4000円……」
 キャバレーか風俗の客引きみたいで、どこか胡散臭いので、早くあっちにいってもらおうと、適当に相づちを打つ。
「どこですか?」
「すぐ、そこ」とさっきの横道を指している。
 まさかね、と思っていると、
「さいはて旅館というの」との返事。
 おお。どっかーんという感じだ。
 いやいや、それは無理と、さっき、カミさんと話したばかりだ。冗談じゃない。おじさんを無視しようとするが、なかなか立ち去らない。ホテル案内の稚内の項を目を追っていると、さりげなく、
「熱い風呂沸いているよ」
 と、ボディ・ブローがくる。
 ぐらりとくる。
 カミさんの顔を見ると、まんざらでもないようだ。
「2人で8000円ですか?」とわかっていることを訊いてみる。
 頷くおじさんの顔を見て、もう一度、オバと相談。
「ここに、するか?」
「おう」
 と、いうことで、まさか泊まるとは思っていなかった「さいはて旅館」に投宿決定。部屋は和室で狭い。サイド・バッグなどを部屋に運ぶが、レインカバーをしていたにもかかわらず、中までぐしゃぐしゃになっている。レイングローブや軍手は、テレビの上や卓上ライトの上に載せて乾かす。

 早速、熱い湯(狭いステンレスの共同風呂)に浸かり、夜の稚内に繰り出す。教えてもらった居酒屋『Tちゃん』は、はっきりいって期待外れだった。有名俳優や歌手が美味そうにカニなどを頬張っている写真が店内に飾られているが、実際にでてきたカニ(毛ガニの刺身4800円。3000円の細ーい焼きタラバ)は大したことはない。ウニ(一ヶ、600円!――エゾバフンとムラサキウニを頼む)も痩せていて、正直がっかり。カニのウチコだけがちょっといけるという感じ。
 その夜、自分はものすごいイビキをかいて寝ていたようだ。



1998年7月2日 北海道ツーリング 5日目

2025年01月27日 | 1998年 北海道ツーリング
7月2日(木)  上富良野~東川




 午前9時には、上富良野Oさん宅を出発。
 上富良野から20キロ以上は続く真っ直ぐな道を、とりあえず富良野まで走る。富良野駅前にでてから、裏道にあたる851号をまた上富良野方面に向かい、千望峠で一休み。十勝岳の山並みに囲まれた富良野の町が目の前に広がっている。柵の向こうにはラベンダーの花も結構、咲いている。
 
 それから、昨夜、Oさんの奥さんに教えられた美瑛の「みそら」にいく。ラーメン屋だ。山小屋の雰囲気丸出しの店内で、普通なら大盛りになる量の「普通の」ラーメンを注文。味はまあまあ。腹一杯食べたかったら、ここはお勧めだ。店を出ると雨。レインスーツを着こみながら、どうするか考える。十勝岳の白金温泉は素泊まりができるらしいが、明日朝一番の便で東京からやってくるカミさんを旭川空港に迎えにいかなくてはならないので、空港近くにテントを張るのもいい。だが、明日も雨との予報。朝早くにテント撤収、荷物を旭川のK代宅に預けて、そのまま稚内にいくのもちょっと考えものだ。

 とりあえず、旭川空港近くの柏園キャンプ場を目指すが、降りしきる雨の中、キャンプ場の標識すら見あたらなく、国道を10キロ単位で何往復かするはめになる。結局、キャンプ場は見つからずじまい。そのうちに、十勝岳方面の山々が中腹より上の雲が引いていくのが遠目にもわかり、雨も小降りになってきたので白金温泉に向かう。気持のいい966号を突っ走り、とりあえず国民保養センターでひとっ風呂あびる(250円)。近くにキャンプ場があったので、そこにテントを張ることに決める。

 ――だが、また雲行きが怪しくなってくる。
 結局、小雨の中、東川町のK代宅に向かう。5時に電話すると息子のKクンがでる。電話をかけている「中西商店」から、ほんの少しいったところがK代宅と判明。K代と電話で話している途中で、子供たちが道に駆けだしてくる。
 K代宅(――実際は夫のKMさん宅だ)は、30数年前に建てられた校長宅を借り受けているということで、小学校の校庭裏にある。部屋にはデンとストーブが設置してあり、なかなか雰囲気がいい。7月でも火を点けるような寒い日があるとのこと。さっそく、ビールを飲み始める。KMさんも8時くらいには仕事先から帰宅。10年ぶりの再会だ。なかなか忙しいらしい。クロス・カントリーで訪れた北欧の話や写真など見せてもらったりして、12時前後には床につく。夜半、雨。