バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1996年 10月31日 信州1泊ツーリング(2日目)

2024年11月02日 | 1996年 信州ツーリング
10月31日
 木島平~志賀草津道路~草津~一ノ倉沢~水沢ウドン~伊香保~高崎~東京

 それほど熟睡して目覚めたわけではない。
 何時に起床しただろう。きっちり眠れなかったのは確かだ。2時間くらいしか寝ていないなどと、ビデオではぼそぼそと言っている。時刻は朝6時。起き出してすぐにビデオを回しているが、寒さに震えながら撮影している。昨夜、テントを張ったときは気がつかなかったが、テントのすぐ横には水溜まりがあって半分凍っている。

 テントのフライシートも吐いた息が結露したのか、薄く凍って張り付いている。はたはたと叩くと、薄氷の薄片がぱらぱらと落ちるほどだった。
 うーん。なめていたぞ、信州の秋。

 まあ、それでもぱぱっと撤収してぱぱっと出発。
 朝の清冽過ぎる空気の中、志賀草津道路に向かう。しかし、手が冷たい。途中で、何回もバイクを停めては、エンジンに手をやって温める。冬用のグローブなど持っていない。夏用のグローブだけで走っている。なんせ5月にバイクを買ってからまだ半年も経ってないときだ。ただ走れればいい、それだけでバイクに乗っていた。

 まあ、そんなこんなで高井富士をぐるっと回るような感じで、志賀草津道路に向かう。

 さあ、ここから志賀草津道路だなと思って入口までくると、11月1日より冬期、通行止めとある。一瞬、今日は何日だったか思い返す。と、11月1日は明日だ。ということは今日が最終日か。まだ山岳道路の陰の黒い部分が、凍結しているとか知らないころだ──凍結していたら、自治体が通行止めにするだろうと勝手に思っていた。今だったらテントが凍るほどの朝、駆け上がるなどと無謀なことはまずしないだろう。
 だが、このときはなんの迷いもなく進んだ。

 結果的にはなにもなかったのだが、よくぞ、走ったものだ。
朝早いせいもあるが、出会うバイクや車は一台もない。寒いは寒いが、天気がいいので景色だけはすこぶるよい。放射冷却で、昨夜はぐんと冷えこんだのだろう。渋垰を越えて、草津まで下りて、日本ロマンチック街道を吾妻町方面に走る。このころ読んだバイク雑誌にロマンチック街道の特集があり、どんなところか一回は走りたいと思っていた。
 暮坂垰から吾妻町、国道145号のロマンチック街道から、県道36号を上毛高原方面に抜けている。関越と並行するように水上町に向かい、土合駅を過ぎて谷川ロープウェイ乗り場の前を抜けて、さらにバイクで行けるところまで走っている。バイクを擦れ違うことはなかったが、ハイカーや車は意外に多い。

 一ノ倉沢だ。
 バイクでこれ以上進めないところまで行くと、すぱんと目の前に絶景が広がる。
 下段の木々の緑、中段の枝葉の赤、上段雪渓の白、その上に広がる青空、コントラストが素晴らしい。これを書いている現在(2018年)も、その景色が鮮烈に甦る。九州では見ない景色なので、よけい印象に残っている。しばし、一ノ倉沢の景色を堪能する。一ノ倉沢からは月夜野まで地方道を走り、国道17号を南下して、県道15号を榛名富士方面に右折して、途中で水沢ウドンを食う。こんなウドンもあったのかと感動している。お土産にも買っている。

 ウドンを食ったあとは伊香保温泉を通過して、あの榛名山麓の長い直線路を楽しみ、県道28号を高崎方面に下った。
 高崎で関越にのったが、何時に帰り着いたのかはさっぱり憶えていない。



1996年 10月30日 信州1泊ツーリング

2024年11月01日 | 1996年 信州ツーリング
1996年 10月30日
 東京~本庄児玉~塩之沢垰~黒川林道~十国峠~草麦垰~茅野市~白樺湖~上田市~鳥井峠~嬬恋村~万座ハイウェイ~毛無垰~小布施~飯山~木島平

 キャンプ面白い。東北キャンプから約2ヶ月。また走りたくなった。キャンプ装備はまったく変わらず。一人用のテントに、コッヘルもストーブもなにもなし。銀マット、もらい物のシュラフ。ただ走るだけ。
 1泊2日のキャンプツーリング。

 まあ、まだキャンプ自体が目的ではないから、まったく不便とも思っていない。どこまでも走れる限り走ってみる! 休憩なんぞ適当! 宿泊先も適当、どっかテント張れたら張ろうというくらいの気持ちだ。

 この日は朝早くに出発して、関越に乗り、花薗インターで下りている。
 日記は付けていないので、だいたいのルートしかわからない。ビデオカメラは持っていっているが、頻繁に撮影しているわけでもない。
 それでもビデオを観ながら、なんとなくルートを思い出しながら書いている。

 この日、午前8時には御荷鉾スーパー林道を走っている。
 ここは今も、そう変わっていないと思う。映像を見て、こんなところを走っていたのかと思うと感慨深い。今、フルカウルの大型バイクで、ここを同じように走れと言われれば躊躇する。だが、このときは400CCで嬉々として走っている。まあ、転けたとしても、楽に起こせるからなという気分だった。このころは、どんな悪路でも走れるという自信だけはあった。
 ただ、腕が伴わないだけだ。

 実際、バイクを買ってすぐ、荒川の堤防土手を斜めに駆け上がろうとして、見事に転倒している。ざざっとバイクが斜めに倒れたがケガはしていない。バイクごと、ごろごろと下まで転げ落ちなかったから幸いというものだ。しかし、あのとき、どうやってバイクを堤防道路に押し上げたのか記憶にない。400CCが軽いといっても、乾燥重量でも180キロはある。駆動力なしで押し上げられたはずがない。慎重にバイクを支えながら、下の道路まで下りたような気もする。

 ほかにも、堤防道路を気持ちよく走っていて、徐々に道路が狭くなったので途中でUターンしようとしたら、エンジンの腹が道路の中央部分につかえてしまい、どうにもならなくなったこともある。このころ堤防道路に凝っていたのは、大型バイクの免許を取るのに荒川の河川敷でけっこう練習したからかもしれない。

 別の日には、荒川の堤防道路を行けるところまで行ってみようとして、途中から玉砂利の道路になり、自転車よりも遅い速度で何キロも走ったこともあった。フロントタイヤがザザッと滑る、滑る。やべえとは思ったものの、実際のところ、それほどの危機感はなかった。どうにかなる、と思っていた。あのころのバイクは、自分にとってどこでも好きな道を走ることができる魔法の道具だった気がする。

 で、10月30日。
 御荷鉾スーパー林道を走り、途中で見える山並みが素晴らしかった。実際、雲ひとつない青空で、ビデオでも盛んにいい天気だ、いい天気だなどと感激している。まあ、今も天気のよい日に走ると、だれでもそうだろうが若干ハイになる。これを感じなくなったときがバイクを降りる潮時だろうと思っている。

 御荷鉾林道を走って、午前8時半くらいには塩之沢垰から地方道45号を南に下り、黒川林道に入っている。黒川林道を進むと、そのまま武州街道の国道299号となる。十石垰を越えて佐久町方面に進み、国道141号にぶつかったところで左折。しばらく進んで、国道299号を茅野市方面に右折。メルヘン街道というらしい。八ヶ岳林道に分岐する場所にある「レストハウスふるさと」の駐車場に入っていくと、この日は休日なのに車は一台も停まっていない。

 ただ、奥のほうにバイクが数台。ライダーはバイクの横で、なにやら雑談をしているようだ。地元のライダーのようで、女性のライダーも一人いる。
 会話を交わしたのは憶えているが、なにをしゃべったのかははっきりしない。

 そのあとはメルヘン街道に戻り、麦草峠を越えて、さらに茅野市方面に進んで芹ヶ沢から大門街道を白樺湖方面に抜けている。白樺湖を右に見て、大門街道(国道152号)を上田方面に進む。今夜のキャンプ予定地は、上田市内の「市民の森キャンプ場」だ。山中のキャンプ場でもいいのだが、天気予報では氷点下10度まで下がると恐ろしいことを言っていたので却下。
 上田到着は午後2時過ぎ。

 まだまだ走れる時間だ。もっと北に進もう。まあ、なんとかなるだろう。
 そのまま、144号を北上して、鳥居峠を越えて嬬恋村方面に走る。嬬恋村から万座ハイウェイを700円払って、〈万座温泉〉に向かって駆け上がる。すでに紅葉が始まっていたような気がする。万座温泉からは上信スカイラインに進入。道は狭く、いかにも山岳路という道路だ。途中、雪が残っているところもある。寒い。バイク雑誌で読んでいた毛無垰に寄ったのは午後4時前。最奥部まで走り、またここはどういうところだと、不思議な景色にしばし休憩。
 なんにもないところだ。

 そのあとは小布施まで下り、飯山と走るころには、すっかり日が落ちている。暗い中、飯山から403号に入りこみ、一旦、高井富士スキー場の近くまで走る。再び、引き返して403号沿いの、だだっ広い空き地にテントを張る。周囲には畑が広がり民家はない。じつは高井富士スキー場前では、昔の知り合いがロッジをやっていたが、それを確かめに行っている。そこで宿泊してもよかったが、飛びこみであるのと、当時の自分の状況を考えたら、とても「やあやあ、久しぶりですね」という精神的余裕はなかった。ロッジは数年後に全焼しているので、挨拶がてらに泊まっていたらと、あとで思ったものだ。

 空き地の隅にテントを張り、だんだん寒くなってきたので、家から持ってきた書き損じの原稿を一枚ずつ燃やして暖を取る。100枚近く持ってきているとビデオではしゃべっている。吐く息は真っ白。それでも、ビールは飲んだのだったか。あたりは真っ暗。ロクに照明器具もない中、空き地より一段下にある溝に放尿したりする。このときは名刺サイズのラジオを持っていったので慰めにはなった。このときも、まだ折りたたみイスなどは持っていないので、シートの上に直座りだ。

 夜も更けてくると、不思議なことに乗用車が一台、二台と空き地にやってきては、一時間ほどして去っていく。最初はなんだろうなと思っていたが、どうやら、カップルのたまり場のようだった。すうっとやってきては、エンジンを切ってしんとしている。車内灯は点けていない。まあ、暗がりデートスポットといったところだったのだろう。

 テントに引っこんで就寝したが、あまりの寒さに、テントの下に敷いていたブルーシートをテントに掛けなくてはならないほどだった。それでも寒さの防ぎにはならず、ただの気休めだというのはすぐにわかった。
 信州の秋の夜は寒い。
 それを実感したツーリングだった。