タルクィニウス 破壊王
次は、そのロムルスたちが作った、王政を壊した王のことを書きます。
破壊王とは、僕が勝手につけたあだ名で、当時ローマ人たちは尊大王または傲慢王と(おそらく影で)呼んでいました。
彼の父はタルクィニウス(同名です)、ロムルスから数えて5代目の王です。
しかし、ローマ人ではなく、エトルリア出身です。ローマでは他国人でも出世のチャンスがある、と聞いて移住してきた人です。そして努力の甲斐あって王にまで上り詰めました。まさにアメリカン・ドリームならぬローマン・ドリーム。
当時のローマ人にとって重要なことは自国人か他国人かではなく、有能か無能か、それだけでした。ローマは建国当時から、防衛にしろ、侵略にしろ戦争だらけで無能な王など戴いたら、あっとゆう間に周囲の国に攻め滅ぼされてしまう状況だったのです。
そして、次の6代目の王もエトルリア出身、セルヴィウスです。
彼は若いころからタリクィニウスに認められ、重用されたことから、出世街道を登りつめた男でした。
タルクィニウスへの感謝の気持ちから、自分の娘2人をタルクィニウスの息子2人と結婚させました。ちなみに、当時の結婚は昔の日本と同じで、まだ幼いころから親がいいなずけを決めるのが普通でした。
娘たちのうち、気の強いトゥーリアとおとなしい息子、おとなしい娘と気の強いタルクィニウス(子)という組み合わせで、お互いに足らないところを補ってくれれば、という親心でした。
しかし親の気持ち、子知らず、(それどころじゃない)しばらくすると、おとなしい方が2人とも原因不明で死んでしまい、トゥーリアとタルクィニウスがくっついてしまいました。覇気のない夫に愛想をつかしたトゥーリアが誘惑したのです。
このことについてセルヴィウスは何のコメントも残していません。ショックのあまり寝込んでいたのかも知れません。
タルクィニウスは野心家でした。しかしローマでは、いくら血筋が良いからといっても王になれるわけではありません。そこでクーデターを企画しました。
セルヴィウスの治世も40年も経て王も往年の勢いが失せていました。
セルヴィウスが戦場に陣頭指揮をとりに出かけている時をねらって、元老院の会議中に後援者たちとともに乗り込み、現王はローマの政治を私物化している、と弾劾したのです。
セルヴィウスが騒ぎの知らせを受けて急ぎ帰ってきたところを、タルクィニウスは元老院の階段の上から突きとばし、転げ落としました。
セルヴィウスは重症を負いましたが、必死の思いで宮殿に逃げました。しかしそこに待ていたのは猛スピードで馬車を駆るトゥーリアでした。
実の娘に轢き殺され、タルクィニウスのクーデターは成りました。
こうしてタルクィニウスは7代目の王になりましたが、その就任に際し、市民集会の承認も元老院の承認も得ていません。
法案を通すのにも彼らの意見を聴きませんでした。完全な独裁者です。もはやローマの王とはいえない存在です。
ここでロムルス以来の王政は終わったのです。
次は、そのロムルスたちが作った、王政を壊した王のことを書きます。
破壊王とは、僕が勝手につけたあだ名で、当時ローマ人たちは尊大王または傲慢王と(おそらく影で)呼んでいました。
彼の父はタルクィニウス(同名です)、ロムルスから数えて5代目の王です。
しかし、ローマ人ではなく、エトルリア出身です。ローマでは他国人でも出世のチャンスがある、と聞いて移住してきた人です。そして努力の甲斐あって王にまで上り詰めました。まさにアメリカン・ドリームならぬローマン・ドリーム。
当時のローマ人にとって重要なことは自国人か他国人かではなく、有能か無能か、それだけでした。ローマは建国当時から、防衛にしろ、侵略にしろ戦争だらけで無能な王など戴いたら、あっとゆう間に周囲の国に攻め滅ぼされてしまう状況だったのです。
そして、次の6代目の王もエトルリア出身、セルヴィウスです。
彼は若いころからタリクィニウスに認められ、重用されたことから、出世街道を登りつめた男でした。
タルクィニウスへの感謝の気持ちから、自分の娘2人をタルクィニウスの息子2人と結婚させました。ちなみに、当時の結婚は昔の日本と同じで、まだ幼いころから親がいいなずけを決めるのが普通でした。
娘たちのうち、気の強いトゥーリアとおとなしい息子、おとなしい娘と気の強いタルクィニウス(子)という組み合わせで、お互いに足らないところを補ってくれれば、という親心でした。
しかし親の気持ち、子知らず、(それどころじゃない)しばらくすると、おとなしい方が2人とも原因不明で死んでしまい、トゥーリアとタルクィニウスがくっついてしまいました。覇気のない夫に愛想をつかしたトゥーリアが誘惑したのです。
このことについてセルヴィウスは何のコメントも残していません。ショックのあまり寝込んでいたのかも知れません。
タルクィニウスは野心家でした。しかしローマでは、いくら血筋が良いからといっても王になれるわけではありません。そこでクーデターを企画しました。
セルヴィウスの治世も40年も経て王も往年の勢いが失せていました。
セルヴィウスが戦場に陣頭指揮をとりに出かけている時をねらって、元老院の会議中に後援者たちとともに乗り込み、現王はローマの政治を私物化している、と弾劾したのです。
セルヴィウスが騒ぎの知らせを受けて急ぎ帰ってきたところを、タルクィニウスは元老院の階段の上から突きとばし、転げ落としました。
セルヴィウスは重症を負いましたが、必死の思いで宮殿に逃げました。しかしそこに待ていたのは猛スピードで馬車を駆るトゥーリアでした。
実の娘に轢き殺され、タルクィニウスのクーデターは成りました。
こうしてタルクィニウスは7代目の王になりましたが、その就任に際し、市民集会の承認も元老院の承認も得ていません。
法案を通すのにも彼らの意見を聴きませんでした。完全な独裁者です。もはやローマの王とはいえない存在です。
ここでロムルス以来の王政は終わったのです。