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基本的に読書感想文です。

ローマから日本がみえる 7

2006-02-06 23:12:28 | Weblog
 予言者 カミルス

 共和制が始まって、約一世紀経ったころのことです。
 ローマは独裁官、カミルスの指揮の元、エトルリアの有力なポリスのウェイを攻略するのに成功しました。
 独裁官とは意思決定のスピードアップを目的として、戦時のみ置かれる役職で、二人の執政官の指名によって就任します。任期は6ヶ月のみながら、ほぼ全能の権力があたえられました。
 ウェイとの10年に及んだ戦争がようやく終わったのですが、それは別の抗争の始まりでもありました。戦時には一致団結するローマ人ですが、平和になると、貴族と平民の争いが顕在化するのです。
 陰に陽に、この一世紀は両者の軋轢が絶えることはありませんでした。
 根本の原因はブルータスたちが作った共和制のシステムそのものにあります。
 執政官は元老院で育てられ、議員のなかから推薦され、1年の任期が終わると元老院に戻ります。
 平民からみると、元老院イコール、貴族に政治を独占されたように見えました。
 また、戦争のための徴兵によって、平民は働き手を失い、生活が悪化するのに対し、使用人や奴隷を持つ貴族はそれほどのダメージがないのも、不公平感に拍車をかけました。
 兵役拒否のストライキすら一度ならず起きるほど対立が激しくなるなか、一つの対策として護民官が新たに設立されました。
 護民官は貴族の参加しない平民集会で選ばれ、執政官の決定への拒否権と肉体の不可侵権(予想される貴族からの攻撃に対する、安全保障として)の二つの特権が与えられました。
 それは画期的な改革のはずでしたが、実際にはあまり効果はありませんでした。 というのも、意思統一が最優先される戦時には護民官特権は停止するからです。そして当時のローマは戦争に明け暮れていました。
 
 ウェイを手に入れたとき、平民たちは立派な町並みをもつこの大都市を第2の首都にしよう、と提案しました。
 その裏には「貴族が幅をきかすローマを逃れたい」という意図があったのは言うまでもありません。
 この平民たちの提案に対して反対の先頭に立ったのはカミルスでした。
 「今日のローマがあるのは神々のご加護のおかげ、その神々の住まうローマを見捨てるなど、もってのほかである」と演説したのです。
 平民はウェイ攻略でこき使われたことも思い出し、カミルスを憎みました。そして「告発」によって対抗しました。
 「戦利品の使途に不明朗な点がある」と非難したのです。
 ローマには「自主的に国外退去したものは罪を問わない」という決まりがありました。
 市民集会で行われる裁判にのぞめば必ず有罪にされる、と考えたカミルスはローマから離れました。
 平民たちは快哉を叫び、続々と新天地、ウェイへ移住しました。
 しかし、ローマ人はこの住民大移動から時を経ずして、カミルスの予言が真実であることを思い知らされることになりました。