echo garden

基本的に読書感想文です。

宮澤賢治 「狼森と笊森、盗森」 1

2006-02-16 01:08:18 | Weblog
 賢治スケッチその1 

 宮澤賢治は37年の短い生涯のなかで一冊だけ童話集を出版しました。
 この狼森と笊森、盗森も含む「注文の多い料理店」です。
 イーハトーヴ童話と銘打たれていました。
 出版元は賢治の盛岡農林高等学校の1年後輩の、及川四郎が経営者である光原社です。社名の名付け親は賢治です。
 及川は原稿を良く読むこともせず、出版を決めました。
 当初、シリーズ化を目論んでいましたが、反響はほとんどなく、2冊目がでることはありませんでした。

 盛岡市にある光原社は現在も続いていますが、出版社ではなくお土産もの屋に変わっています。
 その前の通りは「イーハトーブ・アヴェニュー」という名前になって、賢治の坐像をはじめ、様々な賢治作品にちなむオブジェが置かれているそうです。

 あらすじ

 これからあらすじをかきますが、原文からの抜書きを多く使おうとおもいます。
 <これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月明かりからもらってきたものです。>
 <かしわ林の青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山のかぜの中をふるえながらたっていますと、>ひとりでに涌いてきた言葉の数々が本当にユニークでうつくしいからです。

 岩手山のふもとに4つの森にかこまれた野原がありました。
 <ある年の秋、水のように冷たいすきとおる風が、柏の枯葉をさらさらならし、岩手山の銀の冠には、雲のかげがくっきりうつっている日でした。>
 4人の百姓がそれぞれの家族をつれて歩いてきました。
 <男たちはてんでに好きな方向を向いて、声をそろえて叫びました。>
 <「ここへ畑おこしてもいいかあ。」>
 <「いいぞお。」森がいっせいに答えました。>
 <次の日から、森はその人たちのきちがいのようになって、働いているのを見ました。>
 まもなく冬が来て、一面の雪になりました。
 森はかれらのために冷たい北風を防いでやりました。
 春になり、小さな畑に蕎麦や、稗が植えられました。
 なんとか秋に穀物が実ったとき、嬉しさで大人たちまで跳ね回りました。

 <ところが、土の堅く凍った朝でした。九人の子供のなかの四人がどうしたのか、夜の間に見えなくなっていたのです。>
 みんなはまず、1番近い狼森にいきました。
 <森へ入りますと、すぐしめったつめたい風と朽ち葉のにおいが、すっと皆をおそいました。>
 <森の奥のほうでパチパチ音がしました。>
 <そっちへ行ってみますと、透きとおったばら色の火がどんどん燃えていて、狼が九匹、くるくる、火のまわりを踊ってかけ歩いているのでした。>
 もっと近づくと、いなくなった子供が4人とも、火に向かって、栗や初茸を食べていました。
 <「狼どの、狼どの、童しゃどかえしてくろ、」>
 狼たちはびっくりして、お互いきょろきょろしていましたが、一斉に森のおくへ逃げていきました。
 <「悪く思わないでくろ、栗だの茸だの、うんとご馳走したぞ」と叫ぶのが聞こえました。>
 <みんなはうちに帰ってから粟もちをこしらえて、お礼に狼森に置いてきました。>