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基本的に読書感想文です。

ローマから日本が見える 6 

2006-02-05 03:06:10 | Weblog
 タルクィニウスを追放することに成功したブルータスは、さっそく政治改革に着手しました。
 「今後、ローマはいかなる人物であろうとも王位に就くことを許さない」と宣言し、新たに執政官という制度をもうけました。
 執政官は市民集会の選挙によって選ばれるのは王と同じですが、終身制ではなく、任期はたったの1年のみ。
 また2人同時に就任し、お互いの政策に対する拒否権をもっていました。
 このように徹底的に2度と独裁者が現れないための対策がとられました。
 とは言え、任期が1年では長期的な視野に基づいた政治ができないため、かわりに元老院の機能が強化されました。
 200人だった元老院の定員を300人にまで増やし、ローマの主だった有力者をほとんどカバーしました。
 元老院は終身制です。そのため、そこに長くいれば経験をつみ、政治的見識を磨くことができました。
 執政官は元老院議員のなかから、元老院の「世論」によって推薦されます。
 つまり、元老院は執政官の養成所であり、次期候補の人材のプールになったのです。
 こうして最初の執政官に選ばれたのは、ブルータスとルクレツィアの夫である、コラティヌスでした。

 しかしどんな改革にも昔を懐かしむ反動勢力は出てくるものです。ローマの場合、それは意外な層から出ました。
 若者たちがエトルリアに逃げたタルクィニウスを呼び戻し、王政を復古しようと企てていたことが発覚したのです。
 王政ではたとえ若くても能力とチャンスさえあれば、王に認められ抜擢される可能性があったのに、共和制では、まず元老院入りし、経験を積み、人々に認められ、と言う気の遠くなるステップを踏まなければならない。
 野心あふれる若者にとっては、それは我慢ならないことだったのです。
 人々にとってさらに意外だったのは、陰謀グループの血判状のなかにブルータスの2人の息子の名があったことでした。
 国家反逆の罪は死刑です。
 民衆はブルータスの心中を察し、2人を国外追放にしよう、と提案しました。 
 しかし共和制は産声をあげて間もなく、危ういものでした。守るためには断固たる態度を取らざるをえませんでした。
 ブルータスはあえて2人の息子に罪状の真偽を問いました。
 息子たちがうなだれたまま何も答えないのを見ると、死刑を宣告しました。
 2人はその場で服をぬがされ、ムチで打たれた後、斧で処刑されました。
 「ブルータスはその光景を表情を変えずに最後まで見届けてから、立ち去った」と史書は伝えています。