拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ジャンニ・スキッキとラウレッタ(子の親にしてこの子あり)

2013-12-21 23:49:18 | インポート
fBにフィレンツェのヴェッキオ橋の素晴らしい写真を載せた方がいらして。おおっ、これが父親(ジャンニ・スキッキ)を脅かしたラウレッタの歌に出てくる橋だ(脅迫内容=お願い聞いてくれないとヴェッキオ橋から身投げするーっ)。だいたい、死ぬーと騒ぐ人は死にません。ジャンニ・スキッキはペテン師。だから、親が親なら子も子。子は親の背を見て育つ。ところで、「ヴェッキオ」(vecchio)は、それこそドイツ語の「alt」。フィデリオでドン・ピッツァロがロッコに「Jetst,Alter」と呼びかけるのをどう訳すのがいいか?「じじー、今こそ」「今だ、おいぼれ」こんなあたりですかね。「今ですよ、お年寄り」はブーッ(横断歩道を渡らせるんじゃないんだから)。

イタリア語のパルシファル

2013-12-21 10:02:53 | インポート
エルフリーデ・トレチェルは1958年に早世した。その時代だからイタリア・オペラもドイツ語で歌ってる。逆もまたしかり。マリア・カラスはクンドリー(ヴァーグナーのパルシファル)をイタリア語で歌ってる(ヴァーグナーをドイツ語以外で歌うなんて、と目くじらをたてる向きがあるかも。けど、イタリア語、うまいこと無限旋律に乗っかってます。「Das weiß ich nicht」→「Io non lo so」って具合)。原語上演が当たり前になったのは20世紀後半だそうで。歌手は大変になりました。ドイツのソプラノはスザンナを歌うにもイタリア語とドイツ語両方覚えなければいけない。フェリシティ・ロットは、インテルメッツォ(R.シュトラウス)をグラインドボーンでは英語、ミュンヘンではドイツ語で歌ってました。なかには白旗を揚げる人も。その昔、東ドイツのオペラ団が日本に来たとき、フィガロを歌うはずの歌手がイタリア語を覚えられないといってキャンセルした。