
昨年秋廃止の瀬戸際にありました北海道・帯広市の ばんえい競馬が、ソフトバンク関連企業の支援によって、帯広市単独での存続が決まり 地元関係者、多くのばんえい競馬ファンもひとまずこの吉報にホットしたところです。
廃止云々が取沙汰されてから、にわかに報道関係、そして地元でも関心がもたれ、全国的に注目の的と成りました。そこで我が「何でも探し隊」の一員として競馬場へ足を運びカメラに収めて来ました。馬にまつわる話題を織り交ぜて取材して来ました。

我々過去の生活に馬は人間社会と切っても切れない関わりがあったのです。特に北海道では開拓に、農耕に寄与し、戦時中は軍馬として徴用され我々の身辺に大きく貢献してきたのであります。又十勝あっても未墾の大地の開拓、農作業の力仕事には無くてはならない存在で、今の農業王国十勝の礎を築いた原動力であったのです。
その後十勝農業は機械化への道を進みトラクターなどの機械力にその役目を奪われ、馬の数も昭和30年頃63,000頭程居たのをピークに減り始め今では4,000頭位に減ってしまいました。
バドックでのお披露目が終わり騎手に導かれて、スタート地点の ↓ゲートへ10頭の出走場はむかいます。

十勝において本格的馬産の奨励、育種改良・増殖が始まったのは、明治43年国立の十勝種場牧場(現 家畜改良センター十勝牧場)が音更町駒場に設立されてからです。
昭和20年後半に十勝農協連(当時畜連)がフランスよりブルトン種牡馬を輸入しその後各町村も競って馬体の品種改良に力を注いだのでした。今ばんえい競馬に供されている大型の馬はその頃からの血を引き継いだ、ブルトン種ペルシュロン種が主流です。
スタートに備えて馬に橇を装着しゲートインする様子です~↓(この後スタータの旗の下 一斉にスタートします)

スタート後↓・・・・ 先ず1メートル程の高さの第一障害へ向かいます。此処は難無く越えられる障害です。

ここがレースの正念場 高さ2メートル近い大障害で観衆も手に汗握る場面です。人馬一体となっての障害越えは騎手のタズナさばきが見ものです。↓

また馬にまつわる諺や(表現)、馬偏の着いた漢字も沢山ありますネ。馬に関わる言葉の表現としては 馬車馬のように働く、 しり馬に乗る、 勝ち馬に乗る、 まえがきをする(これは馬が食べ物を欲しがるしぐさ)、 たづな(手綱)をしめる(ばん馬でも騎手がたずなもって馬を操縦しています)、 やじうま等々普段何気なく使う言葉は枚挙に暇がありません。また漢字の中に馬偏のついた漢字が、これまた沢山あります。騳、駅、駁、駻、駚、験、騂、駃、駬、馲、駄、これらの文字は一体なんと読むのか?その意味は?となるとなかなか難しいものです。ここで 〔クイズ〕です馬偏に馬と書いてなんと読むかお分かりでしょうか?〔 クイズ〕もちろん私も知りませんでした。答えはページの最後にあります。
このように馬偏にいろいろな意味や音を示す文字を組み合わせて300以上の馬に関わる文字が生まれたそうです。これ等を考えると過去において如何に人間社会と馬との結びつきが深かったを思い知らされる感じがします。
↓各馬の能力によって積荷の重さが違います、写真に出てくるレースでは600㎏の荷物を積んで居りました、レース毎に(馬の能力によって)積荷の重さが変わります。重賞レース(農林大臣杯等)では積荷は1,000㎏ちかい荷物を積んでの走行です。また入賞賞金も最近の経営難から以前の半分位に減っている様で、財政難がこんな処にも響いているようです。

戦い済んで200mのコースの中を大小2つの障害を走破してゴールにたどり付きました。 橇と、つんだ荷物はトロッコで又もとのスタート地点に運ばれて行きます。↓

毎朝まだ暗闇に包まれた4時頃より早朝トレーニングの「ずり引き」と言われる調教が始まります。およそ1時間600kgの荷物を積んで砂利の上の調教↓ 馬の汗とはく息が白い湯気となって立ち込めていました。厳寒時期には汗が流れ落ちて、立ち止まると落ちた汗が地面で氷状にもなるそうです。



〔 クイズ〕の答え 騳と書いてトク、ドクと読み、馬が並んで走る音を表すそうです。(馬の資料館々内の資料より)