ようやく初ブログをUPすることができました。かなり以前よりUPしたいと思っていましたが、スマホに替えたのは二か月前というIT難民に近い存在でしたから中々勇気?が出ませんでした。今日一発奮起して初投稿しました。さて、これからは日々気になった事プラス郷土史(磯城郡川西町)を折に触れて載せていきたいと思います。
1,コロナウイルス禍考 今年に入ってから世間はコロナウイルスで一色と言っていいほど毎日耳にしそして今も関わっています。昔もいわゆる伝染病との闘いがありました。その痕跡を過去の地図より見つけます。避病院という言葉を聞いた事ないでしょうか。法定伝染病の患者を隔離、収容し治療に当たった病院です。明治の中頃より設置されたようで、奈良県においては明治後期の地図から避病院の地図記号がちらほらと載せられてきます。郷土川西町においては、明治後期の地図には載ってませんが大正十一年の地図には載せられています。この頃になると全国的に設置されたようで、大体が人里離れた山麗や田園の辺地に置かれたようです。川西町では現在の水道局辺りにあったようで、以前聞いた話によると、結核患者が収容されていたとの事です。(参考地図)各地にあったこれらの病院は、戦後解消され、避病と言う言葉も死語となりました。但し、伝染病患者やそれに関わる施設や職員に対しての差別意識は今も昔も変わりません。悲しい事です。