まっしゃんの雑事記

 日々の興味のある出来事などを、気ままに書いていきたい。
特に、郷土史には力を入れたい。

雛祭り考、雛祭りと曲水の宴

2021年02月28日 | 日記
 雛祭りは、桃の節句または上巳の節句といわれる三月三日に行われる行事である。いつ頃始まったかのかはわからないが、平安時代の頃の紙で作った人形を流し穢れを払った流し雛が起源となり、江戸時代に現代のようなスタイルになったといわれている。ただ、人形を川に流すということは奈良時代の日本のあちらこちらで木製の人型(ひとがた)が祭祀目的で作られ川に流されたものが出土している。両者とも共通することは、人型を川に流して穢れや病気退散の目的で行われた。
 さて、表題に書いた曲水の宴だがこれは雛祭りと大いに関係がある。
曲水の宴とは、3月上巳に参会者が曲水に臨んで、上流から流される扇の上の杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を作り杯を取って酒を飲み次へ流すという催しである(広辞苑より)。この行事の起源は中国で、諸説があるが宋の時代に書かれた書物に後漢の章帝(A.D.76~88年)の時、ある村で三月上巳の日に女の子が二人生まれたが三日に亡くなったので、村人大忌して川で身体を洗い穢れを祓い、ついで、水に酒杯を浮かべる行事が始まったという。以来中国では禊祭として行われていたが、次第に遊興色を帯びるようになり、王羲之の蘭亭曲水の宴(353年3月3日)蘭亭の序で有名)のような催しが、庭園内の清流に水鳥を模った船のようなものを浮かべ、その上に酒杯を載せ(流觴の曲水)自分の前を通り過ぎる前に詩を詠み、出来なかった者は三杯の罰杯を科すような座興が行われた。日本においては5世紀頃伝わり行われたと日本書紀に書かれている。元々禊(みそぎ)祓いの行事が流し雛として受け継がれ、盃を流すという行いが曲水の宴という催しとなったのであろう。
  現在の雛祭りは、穢れを祓うという意味合いは無くなってしまったが、健やかに成長を祈るという願いは古代より一貫していると思う。
表題写真:Wikipediaより。参考図書:上原敬二著日本庭園より

初めての天体写真

2021年02月21日 | 日記
 小学4年生から約半世紀ぶりに今年の正月に天体望遠鏡を購入。鏡筒を載せるビクセンの経緯台がひと月遅れで到着。昨夜、やっと望遠鏡の初覗き。天頂近くに輝く半月をターゲットに鏡筒を向けた。低倍率になお相手は月であるからファインダーを使わなくてもすんなり視野に入ってくれた。実に感激である!「これが半世紀ぶりの我が目で見る月のクレーターか‥」。10㎜の接眼鏡に変え、取り敢えずスマホで写真と、接眼鏡の接眼部にスマホのレンズを付けピンとが合うのを待つのだが、手持ちせいもあるし、設定もカメラ任せも原因だろう、なかなか画面に月が写ってくれない‼ 時間が過ぎると視野から外れてしまうし、5分以上もたついているうちにやっと入ってくれた瞬間3回シャッターを押した。人生初天体写真(望遠鏡を通しての)を表題に掲げさせてもらった。還暦の手習いお笑い下されれm(__)m
使用機器:SVBONY SV503 80mm、ビクセンポルタⅡ,iphone8(PCにてレタッチ)
*表題写真は少しだけの修整に



先週、唐招提寺に行ってきました。

2021年02月15日 | 日記
 先週、平日だが唐招提寺を訪れた。半年余りぶりである。約一年前からのコロナ禍により、以前は多くの内外の拝観者で賑わっていた寺も当日は、一人もしくは二三人の日本人と思われるひとが時折パラパラと拝観されるのを見かける程度であった。駐車場は乗用車数台のみで、観光バスは終日皆無。唐招提寺は、東大寺や興福寺や春日大社といった奈良駅近くの地区から離れているため、頼みの中華圏からのインバウンド客がぴったっといなくなってから激減。
よって今、奈良(日本中どこの観光地もそうだろう)の有名社寺を訪れる絶好の機会で、じっくりと納得できるまで拝観できる。不謹慎という人もいるかもしれないがもちろん対策をしたうえである。余談ではあるが、私は帰り売店にていつもの招堤味噌を買って帰った。中身は和歌山県の金山寺味噌に瓜やナスなどが付け込まれたもので、昔、当寺の文献上に名前しか伝わっていなかった鬼味噌というものを昭和末に再現された。ご飯の友にお勧めです。