雛祭りは、桃の節句または上巳の節句といわれる三月三日に行われる行事である。いつ頃始まったかのかはわからないが、平安時代の頃の紙で作った人形を流し穢れを払った流し雛が起源となり、江戸時代に現代のようなスタイルになったといわれている。ただ、人形を川に流すということは奈良時代の日本のあちらこちらで木製の人型(ひとがた)が祭祀目的で作られ川に流されたものが出土している。両者とも共通することは、人型を川に流して穢れや病気退散の目的で行われた。
さて、表題に書いた曲水の宴だがこれは雛祭りと大いに関係がある。
曲水の宴とは、3月上巳に参会者が曲水に臨んで、上流から流される扇の上の杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を作り杯を取って酒を飲み次へ流すという催しである(広辞苑より)。この行事の起源は中国で、諸説があるが宋の時代に書かれた書物に後漢の章帝(A.D.76~88年)の時、ある村で三月上巳の日に女の子が二人生まれたが三日に亡くなったので、村人大忌して川で身体を洗い穢れを祓い、ついで、水に酒杯を浮かべる行事が始まったという。以来中国では禊祭として行われていたが、次第に遊興色を帯びるようになり、王羲之の蘭亭曲水の宴(353年3月3日)(蘭亭の序で有名)のような催しが、庭園内の清流に水鳥を模った船のようなものを浮かべ、その上に酒杯を載せ(流觴の曲水)自分の前を通り過ぎる前に詩を詠み、出来なかった者は三杯の罰杯を科すような座興が行われた。日本においては5世紀頃伝わり行われたと日本書紀に書かれている。元々禊(みそぎ)祓いの行事が流し雛として受け継がれ、盃を流すという行いが曲水の宴という催しとなったのであろう。
現在の雛祭りは、穢れを祓うという意味合いは無くなってしまったが、健やかに成長を祈るという願いは古代より一貫していると思う。
表題写真:Wikipediaより。参考図書:上原敬二著日本庭園より