3月5日となり、雛祭りを祝う3日を過ぎてしまったが、旧暦の3月3日に祝うため4月3日に行われる地方もあると聞く。実際4月3日の方が桃の花も咲き相応しいと思う。
さて今日書きたい事は、近年マスメディアにて頻繁に目(耳)にする児童虐待の事件である。先回のブログにも書いたが雛祭りは子供(女子)の健やかな成長を祈る節句の行事を行い祝う日であるのに、悲しい悲惨な児童虐待の事件がメディアから流れている。私は以前より幼い子供が、事件に巻き込まれた報道がテレビから流れると、思わずチャンネルを変えてしまっている。昨日千葉県で起きた心愛さんの虐待死事件の父親の二審判決が出たが、あの事件の詳細を知った時はいい歳をしたオッサンが涙が止まらなかった。私も同じ年頃の孫がいるせいか、より思いが強くなる。心愛さんへの憐み、同情や加害者への憎しみそして如何ともし難いやるせなさ・・・。思い出すと今こうしていてもつい涙ぐむ。こういう事件を聞くとつい犯人以外に児童相談所等行政を攻めたくなる。多くの行政側の人は精一杯やって下さっていると思われるのだが、やり場のない怒りの吐け口が無いからつい行政側にあたってしまう。1300年も前に山上憶良が万葉集に「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも 」(銀も金も宝石も、どんなええもんでも子供という宝に比べたら何でもあらへん:私訳)と歌っている。今はどうだろうか?物質的な文化の豊かさや便利さは当時より凄い発展しているが、心の豊かさはどうであろうか。子供は社会の宝と言ってはいるが、私の心の中いや、世間の人々の多くが先に書いたようにチャンネルを変えてしまうがごとく目を逸らしてしまっているのである。「国会よ、週刊誌ネタばかりやらないで、このような事が防げるよう議論せんかい!糞議員ども」。最後の締めくくりに「きけわだつみのこえ」を勝手に変えて使わせて頂く。嘆けるか 怒れるか はた黙だせるか(注:黙っているのか) 聞け親に殺(あや)められし わらべらの声を
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