まっしゃんの雑事記

 日々の興味のある出来事などを、気ままに書いていきたい。
特に、郷土史には力を入れたい。

月と日本人

2020年10月22日 | 日記
今日のお昼、NHKラジオ番組「竹内陶子のごごカフェ」かMBS「こんにちわコンちゃんお昼ですよ!」どちらかのラジオ番組で(両方に時々切り替えて聴いてたので)月の話題をされていたのだが、今月は満月が二回あり10月1日と10月31日である、それで今月末の満月をブルームーンと呼ぶらしい。その満月は2020年では最も地球から離れていて、今年4月8日のスーパームーンと比べ今年10月1日のコンデジで撮った満月(十五夜)。ブルームーンといえばこの「Blue Moon of Kentucky」というブルーグラスの名曲が思い浮かぶ。
 さて、日本人と月は上古より非常にかかわりが深い。前記の番組でも触れられていたのだが、満月の次の日の十六夜を「いざよい」出るのをためらうという意味からか、また「不知夜月」「既望」と呼ばれたいする。次の夜の月を「立待月」夕方月が出るのを今か今かと立って待つからの意。その次の夜の月を「居待月」座って待つからの意。更に次の夜の月を「寝待月」昨夜より更に遅くなるので寝て待つの意。また更に次の夜の月を「更待月」といい更に夜更けになるという意。この様に月出だけをとっても色々な呼び方があり、如何に月と日本人は関わりが深いかである。何よりも明治までは「太陰暦」を使い、生活や行事に深く関わっていたからである。付録:月に関係する秋の季語(角川、図説俳句大歳時記より)初月(新月の事) 二日月 三日月 夕月夜 待宵(十四夜の月)名月 無月(十五夜が曇って見えない事)雨月 十六夜 立待月 居待月 臥待月 更待月 月 月代(月の出ようとする時)上り月 降り月 弓張月 有明月 後の月など以上。

阿智村の「日本一の星空ツアー」に疑問

2020年10月13日 | 日記
 一昨日、昨日とGoToトラベルを利用し、阿智村と木曽駒ヶ岳にツアーに参加し行ってきた。心配していた天気ににも恵まれて大変よかったのだが‥。
個人の感想として阿智村には物申したい。天空の楽園、日本一の星空ツアーと称し参加者に星空を見ながらの解説は、プラネタリウムの解説を実際の星空でやると言う試みは素晴らしい、これは続けてほしい。だが、私が言いたいのは日本人の星空と言いながら、僅か夜八時から30分間の消灯時間しか肝心の星空が見れないのではないか!たとえ話をする。以前、丹後の民宿に泊まったのだが、その民宿の主人は「うちは、大きい風呂もないし建物も貧弱や!せやけど、カニは負けへん腹一杯食べて、もういらんとゆうて(奈良弁で失礼)」と言ってもてなして頂いた。私が言いたいのは「阿智村は何も無い(すみません)けど、星は要らんほど降ってくるから好きなだけ観ていって」と言ってほしかった。星空を守らなければいけないのに、スキー場の季節外利用にかこつけてナイター照明設備で赤々と照らし、おまけにあちこちでのプロジェクター。「村自ら光害まき散らしてどうするねん」。「普段から照明は控え、足元誘導灯を工夫するだけでええやろ」、「奈良の郊外の田んぼほうがよっぽど星が多いがな」、「天候なら許すけど光害で見れへんなんてなめてるんか」。以上オッサンのボヤキ(# ゚Д゚) 最後に「日本一星空を台無しにする村」と冠付けてくれ!

トビイロウンカの被害その後

2020年10月08日 | 日記
今年の奈良県のトビイロウンカの被害は凄まじい。7日では奈良盆地の中部では半数ぐらいのたんぼでは稲刈りが終わっているが、残されている田んぼには「坪枯れ」ならぬ「反枯れ」と言っていいくらいほぼ一反前後の田んぼが全面茶色く変色してしまった所も多数見られた。大和高田市から葛城川の堤防を川西町方面へ北上すると、広陵町では南郷、百済周辺が非常に深刻だ。それから三宅町も酷い所があり、隣町の田原本町多数の田んぼで被害が見られる。慌てて、もう収穫寸前だというのに薬剤散布をされてる農家も見られたが、正直残留農薬は大丈夫なのか心配だ。今年は8月の初めに農水省から西日本にウンカ注意報が出されていて、奈良県は例年より非常に多いと注意予報が農協を通じて出されていたようだが、長年被害がなかったせいで誰もが用心を怠っていたようだ。過去も江戸時代の享保17年(1732年)に西日本でウンカ大発生により大凶作になり、江戸期三大飢饉の一つに数えられている。余談ではあるが川西町内の字上吐田の春日神社内の本殿裏に実盛塚が祀られているが、それは昔虫送り(ウンカ退散)の行事が行われていたのであろう。

奉納子供相撲の中止

2020年10月03日 | 日記
 以前、10月1日は結崎郷内の糸井神社の秋祭りの一環として奉納子供相撲が結崎郷内各垣内で行われていた。近年諸事情により第二日曜に変更して行われていたのだが、今年はコロナ禍ということで中止となってしまった。ただ例祭の方は行われるそうだ。本当に残念なことであるが、無観客でマスクつけての取り組みなど出来ないから仕方ない。私の子供時代の奉納相撲の思い出はもう半世紀前の事となるが、当時は御頭屋宅の庭に(農家が多いので屋敷内に空き地がある)土俵が作られ、四方に枝葉付きの竹を立て、紙垂を吊るしたわら縄を竹に括り付け、神事として行われる。0歳から小学6年生男子が東西に分かれ相撲を取る。戦前は大人(青年団)も取り、河内(八尾)からほんまもんの力士を呼んで盛り上げて三日間もやってたらしい。私の頃はもちろん一日限りであったが、思い出は何といっても勝敗で貰う景品である。文房具や玩具、一番の楽しみは、普段買ってもらえないプラモデル(イマイのサンダーバードシリーズなど)がもらえるのである。上級生ともなれば当時(50年前)で二千円ぐらいのプラモデルがもらえるのである。四、五番ぐらい取るから結構両手に景品である。女子は土俵に上がれなので、銘々に文房具、菓子などが渡される。景品の費用は全額頭屋負担となるのだが、中にはお盆に盛られた百円玉のつかみ取りをやって下さった頭屋があって、東西代表の六年生二人がつかみ取り、公平に東西に分かれた子供に分け前を頂いた事を憶えている。そもそも何故奉納相撲が行われるのか、それは春日大社「おん祭り」の影響である。おん祭りで行われていた奉納相撲を見てきた郷村の氏子(糸井神社も若宮末社)が、自村に持ち帰って行ったものであろう。最後に、来年こそは例年通り行われる事を祈る。