『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

池田勝正(いけだかつまさ)

2015-10-17 14:25:45 | 信長公記の蔵:人物篇
池田勝正(いけだかつまさ)

〔現代かなづかい〕いけだかつまさ


 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


筑後守。長正の長男。

戦国初期池田氏は管領細川氏の被官

として摂津国に侵入してくる三好衆、

松永勢と戦った。1566年松永方の伊丹

親興の領内焼き討ちを行なう。

1568年10月信長入洛戦の時、池田城を攻め

    られ降参。

1569年1月六条合戦の時は信長方として後巻

    を務める。

1570年6月三好長逸に内通していた一族の

池田豊後守に城を追われ、1571年8月池田城

奪回のため細川藤孝とともに攻めたが落ちず、

原田城の守将となる。


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