『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

斎藤孫四郎(さいとうまごしらう)

2017-04-16 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
斎藤孫四郎(さいとうまごしらう)

〔現代仮名遣い〕さいとうまごしろう


道三の二男。

嫡子義龍は1555年11月伯父の長井隼人正と

組んで、弟の孫四郎・喜平次を日根野備中に

謀殺させる。


 ※兄が弟を謀殺しようとする例は、

  ・中大兄皇子(天智帝)→大海人皇子(天武帝)

  ・信長→勘十郎信行

  ・斎藤義龍→孫四郎・喜平次

  と古今東西枚挙にいとまありません。


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