『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

斎藤義龍(さいとうよしたつ)

2017-04-17 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
斎藤義龍(さいとうよしたつ)

〔現代仮名遣い〕さいとうよしたつ


新九郎。道三の嫡子。

1555年11月伯父の長井隼人正と組んで、

    弟の孫四郎・喜平次を日根野備中

    に謀殺させる。

1556年4月父道三との戦いとなり、道三を

    討ち取る。道心を起こし「范可」と

    名乗る。道三を救援しようとして

    出陣してきた織田信長を撃退。

1561年5月急死。


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