『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

浅見対馬(あさみつしま)

2015-03-31 20:21:50 | 信長公記の蔵:人物篇
浅見対馬(あさみつしま)

〔現代かなづかい〕あさみつしま


 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


もと浅井家の臣。

1573年8月焼尾の取手を守備していたが、阿閉

    貞征が信長の身方になるのと同時に、

    身方になる意思を表明、軍勢を引き

    入れておく。

その後の浅井氏滅亡後所領を没収され、柴田

勝家に仕える


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