『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

林員清(はやしかずきよ)

2018-11-27 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
林員清(はやしかずきよ)

〔現代仮名遣い〕はやしかずきよ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


与次左衛門。近江打下(うちおろし)の土豪。

1572年7月の浅井攻めで、信長方として湖上方面

    で戦う。

1573年7月信長が高島を攻撃するときに林のとこ

    ろに居陣。

1575年9月信長越前攻撃の最中、北庄の普請場で

    殺害される。

1570年9~12月の叡山攻囲戦の時、浅井・朝倉を

引き入れ信長に早舟から矢を射掛けたらしい。



↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 林高兵衛(はやしかうべゑ) | トップ | 林源太郎(はやしげんたらう) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事