『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

蘆名盛隆(あしなもりかた)

2015-05-03 07:42:57 | 信長公記の蔵:人物篇
蘆名盛隆(あしなもりかた)

〔現代かなづかい〕あしなもりたか


 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


別名:会津の屋形もりたか。奥州蘆名氏第十八代

の当主。岩代会津黒川城主。相模三浦郡蘆名村

から興り、会津を領した豪族。盛氏の時に全盛で、

子盛興が早世したため、須賀川の二階堂盛義の子

盛隆を養子にした。


1581年8月信長に「愛相駮の馬」を進上した。

1584年10月黒川城内で家臣大庭三左衛門に

    暗殺される。


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