『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

三日月の葉茶壷(みかづきのはちゃつぼ)

2014-10-11 13:10:33 | 信長公記の蔵:美術工芸篇
三日月の葉茶壷(みかづきのはちゃつぼ)

呂宋壺の一種。もと足利義政所有の大名物。1575年

10月大坂方(石山本願寺)、三好康長・松井友閑を

仲介として謝罪。信長これを許す。お礼に「小玉澗」

「枯木」「花」3枚の絵を進上。大坂方がまず康長に

「三日月の葉茶壷」を進上し、それを信長に献上して

おいたので許されたもの。1575年10月信長が二条

妙覚寺で茶の湯を主催したとき床の間にこれを置く。

1578年1月元旦信長主催の朝の茶会の時、座敷の西に

飾られる。本能寺の変で焼失。

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