「日本の武士の中で誰が一番強いか?」を考えると結構
楽しいですが、信長公記や源平盛衰記の中では軍の時に
勇ましい名乗りを上げる武士が数多く出てきます。
*道家兄弟の「天下一の勇士」の旗
信長公記巻三の記事です。越前朝倉攻めの時、尾張守山の
道家清十郎・助十郎兄弟が参戦しました。ある年武田信玄が
美濃高野口に出働したとき、森三左衛門・肥田玄番の先駆け
として首三つを取ってきて信長公のお褒めにあずかり、彼ら
が持っていた白い旗に信長自ら「天下一の勇士」と書いて
授けたという名誉ある兄弟です。今回の軍でもその旗を掲げて
森三左衛門とともに奮戦し、討ち死にしました。
*能登守教経は「精兵の手きき」
源平盛衰記巻三十三の水島の軍の段で、「能登守教経は精兵
の手ききなりければ一として空矢なし」と、揺れる船のうえ
でも矢を間違いなく射れる手だれとして表現されています。
*今井四郎兼平は「日本一の剛の者」と号して自害
源平盛衰記巻三十五で「日本一の剛の者が主のお供をして
自害するのを見よ、東八箇国の殿原!」と号し、太刀の
切っ先を咥えて馬から真っ逆さまに落ち、今井四郎兼平は
壮絶な最期を遂げます。
*熊谷次郎直実・小次郎直家の親子は「日本第一の剛の者」
源平盛衰記巻三十七で熊谷次郎直実・小次郎直家の親子が
一の谷の大手木戸口に攻め込むとき、「日本第一の剛の者」
と号して攻め込みます。あまりのすさまじさに、敵が寄って
こなかったそうです。
時代が下ると、真田幸村が「日本一の兵(つわもの)」ですね。
誰が本当の日本一なんでしょう?
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勇ましい名乗りを上げる武士が数多く出てきます。
*道家兄弟の「天下一の勇士」の旗
信長公記巻三の記事です。越前朝倉攻めの時、尾張守山の
道家清十郎・助十郎兄弟が参戦しました。ある年武田信玄が
美濃高野口に出働したとき、森三左衛門・肥田玄番の先駆け
として首三つを取ってきて信長公のお褒めにあずかり、彼ら
が持っていた白い旗に信長自ら「天下一の勇士」と書いて
授けたという名誉ある兄弟です。今回の軍でもその旗を掲げて
森三左衛門とともに奮戦し、討ち死にしました。
*能登守教経は「精兵の手きき」
源平盛衰記巻三十三の水島の軍の段で、「能登守教経は精兵
の手ききなりければ一として空矢なし」と、揺れる船のうえ
でも矢を間違いなく射れる手だれとして表現されています。
*今井四郎兼平は「日本一の剛の者」と号して自害
源平盛衰記巻三十五で「日本一の剛の者が主のお供をして
自害するのを見よ、東八箇国の殿原!」と号し、太刀の
切っ先を咥えて馬から真っ逆さまに落ち、今井四郎兼平は
壮絶な最期を遂げます。
*熊谷次郎直実・小次郎直家の親子は「日本第一の剛の者」
源平盛衰記巻三十七で熊谷次郎直実・小次郎直家の親子が
一の谷の大手木戸口に攻め込むとき、「日本第一の剛の者」
と号して攻め込みます。あまりのすさまじさに、敵が寄って
こなかったそうです。
時代が下ると、真田幸村が「日本一の兵(つわもの)」ですね。
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