『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

九条兼孝(くでうかねたか)

2017-01-07 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
九条兼孝(くでうかねたか)

〔現代かなづかい〕くじょうかねたか

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


関白殿。藤原氏北家摂関流。父は二条晴良。

九条稙通の猶嗣子。母は伏見宮貞敦親王の女。

1574年稙通から九条家の家督を相続し、

家記秘伝類、家領の全てを伝領した。

時に右大臣。1578年12月関白。


1579年11月誠仁親王の二条御新造への移徙

    で近衛前久の次に輿で参る。

当時家領は東九条など京都近郊膝下荘園以外

はほとんど不知行状態であり、稙通から九条家

の興隆を託されたのであるが、統一政権下で

安堵されたのは千余石であった。1636年死去。



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